フーコ

世界は岬にあった。私のほかに誰も入れない鍵がかかった部屋にその岬と同じ大きさをもった他の岬がある。この岬で私が描くのは、自身とまだ鏡が無いので眼を背けあった王と民衆の姿

‪他の岬がある、この部屋で私が描くのは自身とまだ鏡が無く眼を背けあった王と民衆の姿。それは、テクストの絶対的先在のほかに確かな同一性を指示できぬ思想史の空間のことである‬

フーコ

世界は岬にあった。私のほかに誰も入れない鍵がかかった部屋にその岬と同じ大きさをもった他の岬がある。この岬で私が描くのは、自身とまだ鏡が無いので眼を背けあった王と民衆の姿

‪他の岬がある、この部屋で私が描くのは自身とまだ鏡が無く眼を背けあった王と民衆の姿。それは、テクストの絶対的先在のほかに確かな同一性を指示できぬ思想史の空間のことである‬

「弁名」ノート‬ No. 26 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 26 ( 私の文学的フットノート)

(子安訳) 「人の性質はそれぞれに殊なるとはいえ、また人に知愚・賢不肖といった違いがあっても、みな相互に愛情をもって養育し、補助し合って成し遂げていく心と、運用営為しる能力とは一様にもっている。それゆえ統治は君主の力に頼り、養育は人民の力に頼り、農工商買(しょうこ)がみな相互に頼り合って生活をなすのである。群としての集団を離れ、無人の郷で独立して生活することができないのは、それがただ人間の性質だからである。君主とは群としての人間集団の統率者である。君主においてその統率を可能にするものは、仁に非ずして何があるだろうか。」

ここでは君主と人間の集団性が言及されている。‪「君なるものは群なり」といわれるところの、人間の集団性とその統率物の存在との分かち難い関係の意味は何か。ここで子安氏は荀子を引く。「君とは何ぞ。曰く、能く群するなり。能く群のするとは何ぞや。曰く、善く人を生養するなり」。「君なるものは民の原(みなもと)なり。原の清めば則ち流れも清み、原の濁れば則ち流れも濁る」。仁斎が『孟子』を読み直すことで、「聖人の道」をめぐる仁斎の言説体系を構成することに対抗的に応じている、と指摘している。 ‬近世の言語は絶えず注釈によって自身を顧みる。テキストの絶対的先在による。"il faut le préable absolu du texte‬"(Foucault) 世界が語と標識の混在で成り立っているとしたら、‪注釈によるのでなければいかに語るのか?仁斎と徂徠が注釈で行なっていることは、言説をつくることである。仁斎が孟子を語るように、徂徠は荀子を語るのである。孟子は仁斎によって初めて語られるのであるが、ずっと昔から語られてきたかのように語りだされる。これとは内容的に反対の方向から、荀子は徂徠によって初めて語られるのであるが、ずっと昔から語られてきたかのように語りだされるのである。

誰が教育勅語を語るのか?

誰が教育勅語を語るのか?何が隠蔽されているのでしょうか?皇国史観の研究者からきいた話ですが、わたしが理解したところでは、教育勅語をめぐる元勲のリベラル派と保守派との議論があったらしくて、前者は後者に対して、教育勅語による無理なマインドコントロールで臣民の天皇に対する反撥が起きると警告したらしいのです。そこで教育者の内部規律ぐらいにとどめたのが、結論を言うと、教育勅語は文部省が学校に普及させてしまったとのこと。これが私の理解ですが、細かい点はわかっていないでしょうが、大体間違っていないでしょう。明治時代は、国民道徳というのがありましたが、西洋の市民道徳もありました。国家がする教育の必要が言い出されるのが、大逆事件から起きてくる市民蜂起からなのですね。市民道徳は国を滅すという危機感が生き残った明治の元勲から起きたようです。帝国主義日本が確立する時代に、「大逆事件」という国家転覆の物語が作文されてしまうのです。その「教育勅語」が天皇ファシズムを支える危険な言論弾圧の意味をもってくるのは、昭和に入ってからのことです。ここから現在をみると、いまの安部内閣の中心的メンバーは十年前の教科書問題のときに台頭してきた連中です。イラク戦争を契機に、日本人も血をながさなくてもいいのかというキャンペーンが起きましたが、これを推進してきた連中が「教育勅語」を言い出している事実にもっと注意が払われるべきだろうとおもいます。ちなみに近代主義者たちが今更教育勅語の前近代性をいっても全く仕方ないことで、(安倍も稲田も皆んな、近代しか意味がないと考える同じ近代主義者なのですから)、それよりは十年前に遡って、教科書問題のグループが何を目的として活動してきたのかというこの点をもっと追求すべきでありましょう。

知識人

‪命題;「われわれ」あるいは「わたし」をいう文化人であることが知識人がする外部への依拠の全否定を導くときは、自己にあっての差違において要請される批判性が失われることになる

「自己にあっての差違においてでなければ。おのれを同一化しえず、「わたし」あるいは「われわれ」と言えず、主体の形式をとることができないというのである。この自己にあっての差違がなければ、文化や文化的同一性は存在しない。」(デリダ『他の岬』)