市民とは何か?まだわからない...

‪人間が有限であり、言葉の極限に人間が到達するのは彼自身の中心ではなく、彼を規定する縁、死が彷徨い、思考の消滅、起源の約束が無際限に後退していくあの領域で、文学が注釈学によって活気づくのは。ここで止まっちゃいけない。「人間」と言う限り、西欧知の真実性の奥に絡みとられるからね。どうすりゃいいんだ?まだ答えは無いが、丸山真男の戦前講座派を包摂した「市民社会」概念が破綻し尽くしているので、とりあえずそこから「市民」という言葉だけを取り出して新しい意味でつかおうとしている。ポスト構造主義以降の「市民」とは何か?まだわからない...。ところが批判性をもった知識人であることよりも、批判性をもたない文化人であることを選んだスマートな若手の思想家たちから、「帝国の経験」に即して自分たちを作り直せるというようなことを言われちゃってもなあ (「民主の経験」はどうしたの?)

ダルデンヌ兄弟監督「午後8時の訪問者」

‪ベルギー人兄弟が監督した「午後8時の訪問者」を観たました。これは凄い映画でした。音楽が使われていない。映像はこれといった視点をもっていないから、編集も作り手の意図がみえないようになっています。情けない男性たちが主人公の女医に助けられるという構図が印象に残りました。そして探偵のように彼女の視点から事件が解決されていくにが面白いのですね。ミステリー作品として紹介されていることを後で知りましたが、手法はそうでしょうが、それに枠づけられない内容をもっていて、わたしの関心はヨーロッピアンフェミニズムというか、やはりアッカーマンがいたからこそ、男性の監督たちがあのような映画を作れるようになったんだろうかとおもいましたね。 ‪映画は、白人男性の暴力とその限界を描いていました。共同体が迎い入れる他者は移民の形をとっているのだから、殺されたのが娼婦であれ誰であれ、人生の痕跡である名を取り返さない限り、祀られることはないのだし、女医はその名を獲得しないと自身が人間としてやっていけなくなるんだと思ってます‬ね。

フーコ「言葉と物」

『フィネガンズ・ウエイク』のモチーフである「バベルの塔」の崩壊、雷と言葉の拡散をかいてみたんだけど、どうかな?フーコがいう言語の拡散とは「バベルの塔」の崩壊から繰り返し言われた。「人間」が現れたとき、問題となるのは、言語の集中とは何かだ。これは、フーコ「言葉と物」のことだと今更気がついた。「人間」の後は、外部の思考に依りながら<解体>を我に為すことで、<解体>と我を同一化させる方向である。 「言葉と物」にはなんでも書いてあるようにおもってしまう。自らが、poststructural-ism (ポスト構造主義)として表にし整理と分類を行い排除するというまさにこの本が問題としなければならなかった原理的読みの中心に位置づけられてしまう危険を、ちゃんと見抜いていた。「言葉と物」について書かれたものは、奇妙にもこの本は映像が先行していたということを忘却してしまう。その結果、「言葉と物」について書かれたものは例外なく、フーコが憂いた通りのものとなっている。「言葉と物」こそが、自身を含めたなんでもかんでも書いてあるとボルヘスが物語った本だったのか?だけれどね、「言葉と物」がベラスケス絵画から始まるのは、最後の最後まで、内部化に絡み取られないようにとたえずここに帰ってくることが望まれたような仕掛けだった。フーコはこう言ったではないか。「わたしはポスト構造<主義>といわれているものなどとは無縁です」と。

映画『ザ・論語』の構想

忘れないように、映画『ザ・論語』の構想を書いておこうとおもいます。孔子と弟子達を撮るとしたら、たとえば切り替えのショットを利用して彼らの位置的関係を示すのがよいでしょうか。そうして対称性を以て分割された空間は同質的であるといえるでしょうね。他方で『論語』は体系的な思弁の書にあらず、孔子の言葉は実践的に具体的な内容をもっていて、孔子から切り離せない弟子達一人ひとりに応じて異なっていました。また『論語』が過去とその言葉に依拠するのは、(「映画史」が過去の映画を呼び出すのと同じで)、新しく考えるために必要だからなのです。そして原初的テクストである『論語』を読むためには、朱子とか仁斎と徂徠による読みに依るのでなければ、『論語』についてなにが新しくいわれることになったのかを明らかにすることができません。問題となってくるのは、『論語』におけるこの注釈の思考をスクリーンに一体どのように表現するかということ

官僚

官僚は国民の公僕としての自覚を言うも半信半疑。国民の多数派政党の為に働くと言うのもぶりっこ。文字を重んじる知識人の影響圏にあった。世界的傾向だが、計画をやめるという市場任せのグローバル時代に官僚は考えることをやめてもう二十年もたつ。なお存続できるとしたら、官僚が官僚の名に値するそのあり方とはなにか?

「弁名」ノート‬ No. 26 b ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 26 b ( 私の文学的フットノート)

‪「ただ仁に依りてしかるのち道は我と得て合すべし」(仁の大徳に依拠して徳をわれに成すことで、仁をもってする聖人の道とわれとは合一するのである)といわれていることについて述べているが、いかに特殊が全体に連なるのか。「学び」によってである。つまり「聖人の道の学び」によってである。「人は己れのそれぞれの殊なる性質にしたがって徳を形成するのではあるが、しかし学ぶところはみな聖人の道である。」武士は武士の名を得るのは、学びによってである。官職について安民の職務を果たすという目的が与えられている。‬

‪(子安訳)「聖人の道の学びによって、人は己れのそれぞれの殊なる性質にしたがって徳を形成するのではあるが、しかし学ぶところはみな聖人の道である。そもせいじんの道の要は民を安ずることに帰着する。だとすれば、聖人の安民の徳である仁に依ることなくして、どうして聖人の道に長和・順応して、徳を己れに形成することができようか。聖人の大徳に拠らないとは、たとえば人を食べさせるのに五穀をもってしないことと同じだ。人は痩せ衰えて死ぬだけだろう。君主が人々に学ばせて徳を形成させるのは、彼らをどこに用いようとしてなのか。彼らをその材として形づくられる能力にしたがって官職につけ、安民の職務を果たさせるためである。このように聖人の徳は完備するためであるとはいえ、また君子の徳はその性質にしたがって殊なるといえ、それはみな仁を補佐し、安民を実現させるためだ」‬

知識人が語る「天」の意味

知識人が語る「天」の意味

「天」の意味と知識人が語る「天」の意味は同じにあらず。知識層から知識人となっていく方向づけにおいて、同様の普遍主義的な語り口とはいえ、仁斎と徂徠の差異から近世思想史の言説的曲面をかくことができよう。徂徠の謂わば「一番弟子」であったと考えられる宣長とて、この儒家言説の枠組みに接すると理解できる。篤胤は反知識人的だけれど、だからといって近代主義が烙印を押したようにそれほど反普遍主義といえるのだろうか?問題となってくるのは、篤胤の世界は先行する全ての言説的曲面の"正しさ"を疑う点でメタレベル的に普遍主義に属するという風に言えるのではないかという点である。

‪「『顔淵死す。子曰く、噫(ああ)、天予(われ)を喪(ほろ)ぼせり。天予を喪ぼせり』の反対側にあるのは、『我を知るものは其れ天か』という言葉である。この言葉は、天に置いた孔子の究極的な信を言っている。天への信において孔子は究極的に立つゆえに、その挫折の嘆きは天に見放されたものの嘆きとしてある。孔子にあるのはこの天への信である。信とは信頼である。信とはその人の深奥における究極的な信頼的依拠である。天への信において孔子は立つゆえに、その挫折は天に見放されたものの嘆きとしてあるのである。『天予を喪ぼせり』と嘆く孔子は、顔淵の死に慟哭する。」‬(子安氏)

‪「...ここには同じく古学をいいながら仁斎と徂徠の学を隔てる何かがあることがいわれている。その何かとは一つには超越的な天の問題である。仁斎には道徳的理念としての天は存在しても、己れの究極的な依拠(信)を置くような天はない。だから仁斎は『論語』の孔子の言葉にこうした信が向けられるような天を読むことはない。一方、徂徠は孔子が奉じる先王の道の究極に超越的な天を見るのである。『先王は天を奉じて道を行う』といった言い方を徂徠はするのである。」‬子安氏)