多神教的か、一神教的か

ハロウィンなんですね。多神教的世界を祝うケルトの世界といわれますがね、イエーツについては彼がアイルランドに書きこんだ想像の共同体は一神教的なものでしょう。そう読めます。ラシーヌのフランスからアラン島へ行けとイエーツに言われて行ったシングですが、現地で彼はリアルにゲール語を研究したし、祭祀共同体について綴ったかれの詩を読むと、どうも多神教的な関心によったのではなかったかと思うのです。国家を呼び出すのはイエーツの一神教ロマン主義言説のほうなんでしょう

漢字論

中華帝国は漢字をもつことによって、言語支配者としての成り立ちがある。帝国からすると、漢字文化圏の日本の言語はマイナーである。ところが明治維新の近代からみると徳川日本の漢字がマイナーなのである。同じ漢字に見えても、漢字の見方が違う以上、同一の漢字は存在しない。せっかく視点を非等質的に多様化したのに、もし言説「漢字借り物論」に絡みとられるようでは再-同一化(等質化)である。『漢字論ー不可避の他者』を読まなくちゃ

京都の僧侶はシニフィエを固定するが専制君主シニフィアンを提供する。本にかわるものは領土の始原的なものと口述的なもの。唯一の本、宇宙としての本は存在しない(宇宙生成論の解釈が書かれていても)。他方で、町民にとって、宇宙第一の書とは何なのかな?絶対的天が顔を背けるときは、仰ぎ見るひとも顔を背けていたときだってあるだろう。本の中の究極のシニフィアンを何も変えずに受け取ってしまうのは、この裏切りの身振りにおいてではなかったか。(その結果すべてが変わる。) 顔は裏切り性をもつことによって、信の理念的の成り立ちがある、と、かんがえてみようか...こういうことも武士が天皇を京都のなかに隔離していたことによるのだとおもう。古代的である権門体制の復活を防いでいたのである

MEMO

きのうはトランプ・タワーネオリベについていくポチかとおもえば、きょうは社会主義ネオリベをたたえている、この信念なきポピュリズムは、どうも、単純には一神教的な日本会議と同じ性質であるとはいえないようです。ほんの僅かでも、ポピュリズムナショナリズムに還元されない意味ある隙間が存在しているとか?同じ一つでない以上、少なくとも、どっちがどっちを利用しているのかとよく観察する必要がでてきたという指摘もあります。しかしそれにしても多神教ポストモダン世界の時代においては資本主義はどんな要素とも結合できるのですね。アジアはEUをモデルにすることが困難だとしても、一でもなく(その代替物である)一的多でもないようなどんな自立的空間と政治的自由をこれから構築していくのかという問題

それでもいいんじゃないですか?それで大切なことが伝わるのならば。もちろんご指摘のように、その通りに伝わらないと意味がありませんね。そうなると、原発事故があった事実すらなくなる将来を心配しています。中には、「メルトダウンになんの問題があるんだ」と言い始めていますからね。また少なくとも同時代人がその思想を自分たちのものにする努力の必要があるでしょう。そうでないと後世の人々は...。元社長の証言は、はっきりしませんが、はっきりしないために、被告人の過失責任の前提となる予見可能性と責任があったことをギリギリ裏付けてしまったと解される可能性がないわけではないとみる専門家もいます。裁判という場ですから、完全に全体の事実が明らかになることは難しいですが、わたしの考えでは、どうもこの通りのことだったのではないか、この男は事故が起きることがないと「正しく」確信していたのではないかとおもいます。そうだとすると、どういうことが言えるか?彼をはじめとする関係者たちは、許されないことですが、原発に対して危険なことが絶対に起きないと考えているので、彼らは彼ら自身をただすことは不可能でしょうね。理性の不在みたいなそういう場合には、彼らに解決を委ねることは倫理的に不可能です。当時の、「正しい」と思い込んだ(思い込まされた)司法だけでなく、マスコミ、政治家と官僚、経済界もまた不可能です。正しいことだからただすことがありえないのに、また正しいことを正したら不正義なのに、なんの思想を以って共同体が異議を申し立てるのかという問題を倫理的に考えていく必要があるとおもってます。不十分なことをすこし急いで書いてしまいました たしかに、「慣習として」確信していたということだとおもいます。他者の視点と経験にもとづかない彼らの理性の内部での「定数」となっているということを考えました。『全体主義の起源』に書いてあった一文を思い出しました。「考えるな」に対抗できる思想ですね、機能主義や功利主義に嘲笑われることなく

‪貴族の放火と掠奪と強姦しかなかった野蛮の時代に「民主主義の基本」があった?聖徳太子憲法は当時何人の貴族が読んだというのだろうか?恥もなく、敗戦後の戦前に戻さぬと誓った人民の誓いを棄てよと国会で呼びかけている。‬ 稲田朋美「民主主義の基本は我が国古来の伝統であり、敗戦後に連合国から教えられたものではありません」‬

Comment voulais-tu écrire mieux que Joyce ou que Rilke ? ー Godard 1989

"There is a battle on for the soul of America, between the peevish, racist cruelty of Trump and his supporters and a vision of inclusion, justice, and decency forwarded by an increasingly diverse coalition on the left. Much of that battle is being waged in white women’s hearts." (The Guardian)

ラクリット既すでに理学りがくに邃すいにして、又また詩しを善よくし、極きわめて物ものを形容けいようするに妙みようなり。是ここに於おいて、其その深念しんねんの際さい、一譬いつぴを設もうけて嘆たんじて曰いえり、「吾人ごじん一ひとたび足あしを河流かりゆうに入いるるときは、更さらに再ふたたび足あしを此この河流かりゆうに入いれんと欲ほつするも得う可べからず。何なんぞや。初はじめ足あしを入いれし時ときの水みずは、已すでに逝ゆいて反かえらずして、後のちの水みずは復また前さきの水みずに非あらざればなり。夫それ、水みず滔滔とうとうとして流ながれて留とどまらず。前さきの者もの逝ゆき、後のちの者もの来きたり、是かくの如ごとくにして窮已きゆうい有あること無なし。独ひとり水みずのみに非あらず。即すなわち我わが身みの如ごときも亦また常つねに変転へんてんして不朽ふきゆうの物ものに非あらず。之これを要ようするに我われなる者ものは、或あるいは有ある乎か。或あるいは無なき乎か。是これ未いまだ知しる可べからず。大哀だいあいと謂いわざる可べけんや。」 (『中江兆民全集4』、岩波書店、115ページ。ただし、現代表記にし、本文のカタカナはひらがなに変えて引用。) (訳)ヘラクレイトスは哲学の奥義に達し、詩にも通暁していたので、物事を譬えで言い表すのが実にうまかった。あるとき、彼は深い思索の中で、次のような譬えを作り出し、慨嘆して言った。 「川の流れに足を踏み入れ、さらにもう一度、同じ流れに足を踏み入れようとしても、それは不可能である。なぜなら、最初に足を踏み入れた時の水は既に流れ去っており、次に踏み入れたときの水は、先ほどの水とは別物だからだ。水は滔滔(とうとう)と流れて留まることはなく、前の水は流れ去り、後の水が流れて来て、終わりがあることはない。これは水だけの話ではなく、私自身の肉体も常に変転していて、不朽のものではない。こうして見れば、私自身は果たして存在しているのか、存在していないのか。それさえ分からぬとは、なんという悲哀だろうか!」

雑多なもの、非等質なものがことごとく召喚される平面、文字通り宇宙的な平面。フッフッフッドゥロワ(わたしにぐいぐい近づく)

ANGER ! Japan approves extension for reactor similar to Fukushima units that melted down

イギリスの裁判は長い歴史がある。人々はよい判決をだす知恵ある裁判官をさがしてお願いした時代があった。裁判官の間で他よりもよりよい判決を出そうと努力したという。時代は違うが、裁判というのは何が法であるかを発見すること。このことは変わらない。日韓条約と個人賠償請求権の解釈について、韓国の最高裁が日本最高裁に発見できなかった法を発見してくれた。そう考えてみると、判決は意味がある。無かったかのようにしてはいけないとおもう。同じアジア人なんだし、分かち合おうよ

養生という言葉を知ったのは早く、15、6歳でしたが、何十年たってもこの言葉の意味がわかりません。外国生活の苦労のおかげで呼吸と脈と温度と湿度に関わる日常の工夫みたいなことで理解してきましたし、天の形而上学と日常生活のハウツーとが身体に結合すること?貝原益軒の講義でわかりかけたような気もしましたが、やっぱりまだわかってないのでありますが、ますますだいじな言葉になってきたようきに思っています。何が言いたいのかわからん文になっちゃいましたが

‪1987年前後、韓国人カップルが恵比寿の老朽アパートに引っ越してきて隣人となった。日本語が上手く経済学を研究しようとしていた男性と、親しくなって、光州事件について毎晩議論するようになった。「朝日ジャーナル」で自分が読んで持っていた光州事件の知識からする視点は必ずしも相手に承認されなかった。議論となる。テグ出身の彼は光州事件のとき愛国的兵隊だったが、後に軍国主義批判に転じていた。奥さんは愛国者。彼らを訪ねて来る友人に盧泰愚の親戚がいた(政治に恐怖していたようにみえた。)昭和天皇が死んだ年に初めて公害反対運動の市民デモに参加することになったが、多分このときの光州事件の議論がなければそういう場所に出かけていくこともなかったかもしれない。ほんとうに寂しかったが、彼らは二年後に再び引っ越した。韓国について真鍋さんが分析して書いていらっしゃる文を読んで、誰が誰を祀るのかということ、とむらふ場所を与えることときりはなせない「記憶の闘争」について考えることになった。死んだらそれっきりという近代の物の見方にたいする闘争でもあるとおもった

<狼男> ジジェクに質問しているトロツキーストー女の声で話す少年達の群れ。去勢lackの問題についての話ではない。何の話か?漢字はボルシェヴィキ毛沢東主義の群衆ではない。漢字は性質を変えずには分割できない狼たちの群れではなかったかと。否、かもめたちだった。それは面白い、フィネガンズ・ウエイクみたい。クイズだ。かもめたちをのけてみようか。何が残るか?漢字が一匹残る。つまりそれはきみの漢字である。

原発問題

浅田彰『構造と力』はよく読めていなかった本だったが、考え方として E = mc²とは「物質と情報の等価性」と読めると大胆に示唆していた部分の記憶がある。さてエネルギー供給に責任を持てという人たちにたいしては、原発でなければいけないのかと疑問をもつが、宜しい、その通りだとしよう、エネルギーが大切だと、そして市民の知る権利(危険な原発体制に介入する倫理的な責任というか)もまたエネルギーを構成していると言いたいのだけれど。そうでなければ原発事故から何も学ばなかったことになってしまうではないかと心配だ。科学と技術は政治と経済とのあいだにだけ関係を作るのだろうか。そうではあるまい。倫理とも関係をもっている。おそらく言語と深い関係をもっている。間違いなく、人間にとって原発のもたらした豊かさとは何であったのかを問う市民の思想とも関係をもつのだとおもう

「自己責任論」という偏在する権力の抑圧

‪この国にあるそこそこの自由と両立しているようにみえるから、「自己責任論」は、権力の抑圧であるとははっきりと自覚されないが、それは権力の抑圧である。「自己責任論」は自己規制の効果を以って、言論と表現の活動を脅している。「自己責任論」の自己規制の権力は、真実を知る自己も真実を伝える責任も両方を崩壊させる危険がある‬とおもう