MEMO

‪上京してきた大学生ー特に女性ーはまだ投票先を親に相談した1980年代と、相談せずに親が投じる自民党に投じる現在。違いがあるの?これ以上悪くならないから野党も考えてみて


I go to school とI go to the school では分節化が違う。前者は「勉強する」の意で、後者は「その場所に行く」の意。日本語は「学校へ行く」


Wie weit diese in die Interpretation des λόγος und umgekehrt der Begriff des >Urteils<

mit Eminem merkwürdigen Rückschlag in die ontologie he Problematik hineinwirkt, zeitgeist das Phänomen der Copula. ーHeidegger



‪Tell the story ( an amalgam as absorbing as calzium choereydes and hydrophobe sponges could make it)‬

‪ - Joyce , Finnegans Wake‬

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‪「この私は時間か?」と問うたのはハイデガーが最初ではないですが、デカルトのように「わたしの存在は何か?」と問わず、存在者が存在する意味を問うたのは最初です。彼を批判したポストモダンのフーコは「言語は空間か?」「言語が存在する」とはなにかと新しく問い始めたのではなかったでしょうか?‬


「わたしは時間です」はわたしにおける内なる対話者から発せられた質問への答えです。彼は「あなたはなにものですか?」とは問わなかったのです。かわりに、「存在するとはどんな意味でしょうか」と問うてきたのです。時間が存在する意味も問われていますが、「存在」が論理的に先行します。同時にわたしも彼に問いていたのです。と、こちらからはその姿が見えない無の傍らにいる彼もこう答えるでしょうか。「わたしは時間です」と。しかしこれは存在の問題を時間のあやふやさに委ねているようにみえます。なにか、死である時間が永遠に延期されるという感じなのです。逃れられないこの有限性のなかで死から見られているのに、死は時間によっては克服されないのにです。さてポストモダンハイデガーをどう乗り越えていくのでしょうか?

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哲学は自ら枯渇する(か思考として自らを裏切る)ということを告白することーおそらく哲学とはこうした巨大な告白なのでありましょう...わたしは、恐怖のなかでしか、つまり狂人であると告白された恐怖の中でしか、哲学しないのです。

ーコギトと『狂気の歴史』。デリダエクリチュールと差異」)


‪Et la philosophie est peut-être ce gigantesque aveuー je ne philosophe que dans la terreur, mais dans la terreur avouée s'être fou.

ーDerrida


思想史は親不孝の始まり。おなじものは不可能だと告発するから。如何なる差異も権利を持つと考える狂気。歴史も、あり得ないと知っているが、知識を以って自らの狂気を隠蔽している


フロイトはどんな狂気にも差異の権利を与えた。レヴィストロースは差異としての部分は全体よりも大きい自立的構造を分析できた。構造主義の道は無意識と野生の思考が準備していた


野生の思考は、ヨーロッパの知と対等な自立的構造があることを教える。囲い込みできない海のようなこのような構造が、思想空間としての現代中国の言説に包摂されようとしている


聖徳記念絵画館の説明する饒舌な言葉は、日本人のなかで王政復古の幻想が国家祭祀の幻想を生んでいるだけ。公の俯瞰でさがしてもこの国家の何処にも絶対的価値はない(絶対的価値をさがす絶望的な試みは、三角形を四角形にするようなものだ)


マルクスは労働・土地・利潤のような価値を生み出す源泉を求めようと努力したが、不毛な企てに終わった。同様に彼は使用価値という用語を頑固に保持していた。交換市場に絶対的価値が存在しないという単純な事実を認めることは、誰にとってもやさしいことではなかったからである」(ハンナ・アーレント『人間の条件』22)


‪The reason for Marx’s stubborn retention of the term “use value”, as well as for the numerous futile attempts to find some objective source ーsuch as labor, or land, or profitーfor the birth of values, was that  nobody found it easy to accept the simple fact that no “absolute value” exists in the exchange market, which is the proper sphere for values, and that to look for it resembled nothing so much as the attempt to square the circle. ( Hannah Arendt)‬


Coronavirus in my area: Tokyo. Are Japan Covid-19 cases rising near me ?


プラトンの洞窟にセザンヌの光を」というゴダールの言葉は色々解釈できるが、映画のことしか語っていない。国家の公から完全な無限をみることができないから、天からみるために洞窟のなかで脱出の方法を考えよ、と。つまり思考としゅての映画は何処にも存在する。洞窟の原点に帰れと


フーコは魂と身体の間の曖昧な境界を書いた。『監獄の誕生』における言説的なもの間に成り立つと可視的なものの独立性は、現代映画を思い浮かべながらならば何とか理解できるものである。だけれど『言葉と物』における言語と表象(の表象)の間の関係はそう簡単ではない。‪言語は存在する。‬表象の傍らに存在する書き手は、裏側における境界にあって、画家が描く自身の姿を見られまいとするように、透明でない文において隠されている\現れている

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毎日数字だけを発表されてもね、毎日罰をうけているのか、何だろうか?国家は解釈の中にあるならば国が消滅したのか?国が自らを解釈できなくなったほかは何もかも同じなのだけれど


源氏物語』は仮名文字が書いた物語で、『平家物語』は漢字が書く物語だ。『太平記』も危機の時代に避難する三種の神器の正統性を書いた。21世紀国家像もgo to三種の神器


Das existenzial-ontologische Fundament der Sprache is die Rede. ( SEIN UND ZEIT Martin Heidegger)


The existential-ontological foundation of language is discourse.


投企が存在する?

投射が存在する?

言語が存在する?



逃亡した形而上学の痕跡に耳をすますべきだが、誰がその痕跡を明るみに出せるのか?体用(本体と作用)からは物理学を考える。だが理気から政治なき宗教的天しか読みとれないのに


嘗てフーコはマルクス主義教条主義に対して思考の横断する柔軟性を配置した。今日は思考の分割する理念性の配置が重要だー左翼における国家神道ヒューマニズム化の言説に対して


天皇に「人間であれ」とする象徴性を過剰に超えた象徴行為の容認は、フランス支那学の『論語』の読み、というか、オリエンタリズムー君主に「人間であれ」を説くーと全く無関係か?


フーコはハイデガーをどう読んだかをかんがえるためにはハイデガーを読む必要がある。だがわたしにとって、ハイデガーの一文一文が山道みたいだ。挫折するのは訳語である。標識を読めなければ道を辿っていけない。ドイツ語ができないから?それはそうだけど、出来が悪いけれど、長年英語を勉強した経験から言って、ドイツ語ができるようになれば読めるようになるというような透明な希望もない。訳語を読めないと読めない。だが他の言語訳されたものを参考にしていくら新しいわかりやすい訳が登場しても、結局西欧形而上学の知識がないと、どうして訳においてこの語が選ばれたか考えるのが大変難しい。朱子学を通してアジアの形而上学を理解してくると以前と比べて、なんとか西欧の形而上学も理解できてくるところがある。まあ、分かっている人達はこんなことは当たり前で、わざわざ書くほどのことでもないのであるが、ここで特に言っておきたいのは、アジアの形而上学を理解するときは、もちろん現代中国語でないと翻訳不可能なものが沢山あるようだが、江戸時代の漢文読解も大事にしたほうがいいのではということである。これは大切な認識だと思うのよね。明治の近代が翻訳した西欧思想を、江戸思想が理解したアジア形而上学の助けを介して理解すること。これは学問のプロ(専門家)がやることではない。アマチュアだからこそできることだ。そうしてなにが起きてくるか?それはわからない。ここで、再びハイデガーについてだけれど、言語の存在を表象することは、歴史(江戸時代)に投企(投射)された言語の姿を思い浮かべてこそ、可能となるとおもう。デリダに傾く言い方かもしれないが、言語は、差異が自ら差異化していくように存在する、そういう多様性を考え始めるのじゃないかしら


‪ ‪Bei der fortschreitenden Erkenntnis der Struktur des λόγος konnte es nicht ausbleiben, daß diese Phänomen des apophantischen >Als< in irgendeuner Gestalt in den Blick kam. ‬ーHeidegger


With the progress of knowledge about the structure of the logos, it was inevitable that this phenomenon of the apophantical “as” came to view in some form.


ロゴスの構造についての認識が進むにつれて、この命題的な「として」の現象は、なんらかの形態において視線に捉えられずにはいませんでした。

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Der Entwurf bertifft immer die volle Erschlossenheit des In-der-Welt-seins ーHeidegger


「投企はつねに、世界・内・存在の完全な開示性に相当します」(ハイデガー存在と時間』桑木務訳 岩波文庫)

Project always concerns the complete disclosed ness of being-in-the-world.

ーHeidegger


Und als geworfenes ist das Dasein in die Seinsart  de Entwurf  geworfen 

ーHeidegger


「そして、投げられたものとして現存在は、この投げる働きの在り方のなかに、投げ込まれているのです」(ハイデガー存在と時間』桑木務訳 岩波文庫)


拘束するな!天下に好きなことをもっと自由に喋らせろ!!を言う近代はフランス革命から始まると思う。サドにおける非言説的言説、文学的な無限に端緒を為す本源的呟きは、言語の存在を要求した。この欲望は、命名に忙しいルネッサンスのいかにも文法的な表象的秩序からは生まれてこなかった。

文法といえば、屈辱的に?ジョイスは最後まで外国語の文法を勉強した作家である。これはシュールレアリスムからみたら拘束だろう。たしかに拘束だが従属ではない。アナーキストのワイルドから影響を受けて、ジョイスは普遍の脱構築を考えた。50ヶ国語を利用して書いた『フィネガンズウエイク』における普遍言語なき普遍言語が生まれた。フランス革命モデルのグローバル近代からはみえてこないが、地域的にみると、多様な差異がみえてくる。帝国主義の国家と対等でそれからの自立的私をつくる戦略のヴァリエーションがある。江戸思想の朱子学の取り組みの意義も位置付けることができるのではないか


法律の理想はまことに社会民主主義なり。(国体論及び純正社会主義)ー北一輝


朱子学をどう読むのか?形の上にある理は見上げる他者で、形の下にある気は見下げる他者か?理は先行し、理と気は互いに離れない。常に二つの他者をもつべきだー起源なき廃墟へ行く



植民地化された国の思想・文化が見上げる他者は西欧である。モダニズムの時代は、西欧をみながら、どうして自己がオリジナルでないのかとアジアは自らを問い続ける。帝国主義が見下げる他者はアジア。ポストモダンの時代は、アジアをみながら、なぜ自分がオリジナルでしかないのかとヨーロッパは自らを問う。二つの他者をもつことによって、どこへ行くか?


アイルランドからの物の見方では、ヨーロッパは19世紀アイルランドの植民地化によって自己自身を植民地化したというのである。しかし自己自身を植民地化するとはどういうことか?わたしはよくわかっていない。マルクス主義の見方は単純過ぎるだろう。兎に角もしそうだとしたら、明治維新の近代が受け入れたヨーロッパは、帝国主義のヨーロッパでありまた自らを植民地化したヨーロッパであると言わなければならない。

考え方として、近代日本は明治維新によって植民地化を免れたといわれるのは嘘で、帝国主義として確立した限りにおいて他国を植民地化しただけでなく自らを植民地化したのであると。伝統をゼロにして近代化に対する抵抗をできなくしたと



ネオリベにおける何でもかんでも解決してくれる市場の概念を表象するためには、完全な知を思い浮かべなければならない。例えば何人かわからないが大勢集まったので、全員前向きで一列に一直線に並べる。全員が先の指示に従って「定理!」と叫ぶ。‪これが完全な知である。しかし一列のなかで他のことを喋るロゴスは魂と身体を奪われないでおこうとする‬


何でも解決してくれるネオリベ的市場の概念を表象する為には完全な知を思い浮かべる必要がある。そこでは死に場所もない。だから魂と身体を奪われまいとするロゴスは他のことを喋る


権利のない社会に反対するというときの権利は、人は人としてあることの意味を言語化した筋道としての理(ロゴス)は言語とともにあること、理(ロゴス)と言語なくしては人間はやっていけなくなるということを黙らない権利も含むとわたしは考えようとしています。もう未来がないかもしれないと言っても大袈裟ではない今日ほど、演劇とは何か?音楽とは何か?が社会との関係において問われることは無かったでしょう。演劇も音楽もそういう活動的在り方として社会において成り立つどんな権利であるかと語る理(ロゴス)が要請されているではないかとおもいます


ネオリベを批判するときは経済学が語る労働の内部にいるのか?また国語批判のときは言語学・文献学が語る諸言語(ラング)の内部にいるのか?死に場所が無いと考えるときは生物学が語る生物の内部にいるのだろうか?『朱子語類』における<理(ロゴス)は考える、故に言語と共に人は存在す>は自らを、経済学と言語学と生物学に投射する。方法として、投射される限りにおいて経済学と言語学と生物学の間に分節化はおきてこない。ネオリベと国語と死に場所が無いことは後期近代において一体としてある構造だから、この構造の批判が可能なのは「として」の理(ロゴス)によってである。今日理(ロゴス)にもとづくのは、知識人的士大夫か?否、現在は21世紀である。知識人的士大夫でないとすれば、専門は何ですかと問われても困惑している、何をやっているのかわからずワイワイガヤガヤと外部からやってきた市民かもしれず‪(“市民主義”ではない!)‬、そうであればこそ文学という孤児が大切であると言わなくてはならない


理(ロゴス)は筋道。人間の生死に筋道を与えて言語化する。理は理について言及する(形而上)。理は気(形而下)から離れない。知識人が基づくのは理であり、祀られる国家ではない


日本人はこだわりだすとつまらない。『徒然草』はこだわりのない和漢混淆文が書いた随筆で面白いね。隠遁しているが後醍醐天皇の政治をただす国内亡命のイメージをもっている?


伊藤仁斎『語孟字義』は、ドイツ留学生達の医学論文を保管する中之島図書館に展示していました。わたしは大きな関心をもちました。なぜこの書物が尊敬をもって大阪のここに堂々と展示されているのでしょうか?だから、近世・近代ー商業の大阪から学問文化と政治が立ち上がってきたーを証言する図書館をfor sellにしてはいけないのです。維新の橋下は、彼ら自身の為にも。東京中心主義に対する異議申し立てだったとしても、歴史の感覚ー学問文化の京都と商業の大阪と政治の江戸が形づくるネットワークのなかにおいて大阪が自立的な知をもちはじめたーをもっていないために、結局大阪を東京中心主義にしてしまうような明治維新の罪深い幻想に絡みとられてはいないでしょうか?


ジジェク知名度ないの?私はズレちゃっている。ロンドン時代は何処にでもいたように感じた(笑)。現在日本は知識人が出ていないのは議論できるポストモダンの思想誌がないから?


資本主義の交換様式は貧富の格差をもたらすが多様なものを生み出すと教える言説がある。アングロサクソンの国をまわると、何処の街も同じにみえるけど?他方で国家の交換様式は奪って与えると教える言説があるが、資本主義に対抗して実際に富の再分配をしているか一度見にきてよ、go toアベノマスク日本


交換様式・互酬的Xのユートピアを言うけれど、互酬の機能が常に正とは限らない。(安倍からはじまった)ヘイトスピーチにおける負の互酬構造の危険を知らないの?


二十代のときに頼まれて家庭教師した台湾人が話していたのだけれど、彼女の兄が李登輝さんに招かれて彼の自慢の書斎に入ったら置いてあったのは殆ど日本語で書かれた本だったという


先づ自然の言語は鄕土の方言ありて、五方各同じからず、又時世に隨ひても移りかはるもの也。然るに字音は、他國の音をうつせる者にして、もと此方の自然の者に非るが故に、方音の差たがひあることなく天下同一に天はテン地はチにして、異音なし。(漢字三音考)


東京裁判』は、映画史に残る作品なのか知らないけれど、わたしはどうして大川周明の映像しか覚えていないのだろうか?あれは実は、身振りやジェスチャーの映画なのかもしれない。映画史とは何か?映画史は思想史よりも知られていない。ゴダールによると映画の編集はアルバムの写真をどう並べるか考えるときのようなものだと言っていたが、そんなアルバムは、見取り図みたいなものを前提にしていて、可視的なものに光を置く博物学的空間である。ここから、映画史というのは映画と映画をどう並べるか考える考古学的時間といえようか。問題は映画史の編集をどう読むかにある。ここが大事。この映画を無関係に思っていたあの映画に向かって直線を引く。互いに遠いものどうしを近づけよだ。そうして目に見える表層にどんどん多様性が増殖していく一方で、奥深いところに目に見えないびっくりするような大きな統一性が成立していくことになる。否、そんな統一性は一瞬あるようにおもうだけだ。映画のように儚い...


他者の空間の基本的配置(形而上の見上げる他者、形而下の見下げる他者)は、地球環境と言語がともに存在する可能性の空間である。だけれど21世紀において現れてきた大きすぎる他者をどうしていいかわからずに、ここの中心にどんどん巻かれていき、この僅か数年のうちに、生存条件がモノを言う生活条件の現実の空間で覆い尽くされるかもしれない。1970年代からはじまった、逃げろや逃げろというスローガンは楽観的過ぎたかもしれないが、巻かれたら巻き返せ、トータルに確立した物の見方のなかで別の見方を構成する知のあり方を一緒に考えるときがいまではないか


前後の順序を正しく問う。政治的独立の「後」に、独立運動だけが存在したという植民地時代が表象される。ナショナリズムの「前」に、帝国と対等で自立した精神的反逆が存在していた



前後の順序を正しく問う。明治維新における政治的「独立」の後に、反幕の独立運動だけが存在したと表象される。ナショナリズムの前に、西欧と対等で自立した普遍性に依拠する言説が存在していた(横井小楠等)


20世紀精神史に書き記すことがあるとしたら..


嘗て近代主義ポストモダン天皇擁護の前近代と見做した。近代主義はいつまで国家祭祀の近代を問題にしないから天皇ファシズムの近代がみえない。近代主義ポストモダンが批判するスターリズムの近代も反近代的文革の近代も無かったことにするわけにはいかないだろう。今度は、多分おなじところから、近代主義のなかでネオリベの思想と等置する見方が出てきた。だけれど今日ネオリベの物の見方が確立しているならば、そのなかからそれにたいして別の見方をするのがポストモダンの構成である。議論すべき日本ポストモダンの問題は近代主義に戻ってしまったことである。これをどう考えるか?近代主義永久革命が停滞している自己の深い絶望にしか関心がないとき、愛国者とおなじものに接近しているようにみえるのだが、もし本当に愛国者になってしまったら近代主義でもないのだろう。丸山真男は専門の政治学以外のことを語らなかったのは近代主義における否定の力を自己に対しても厳しく適用していたからだろう(そうして言論によっては覆されない絶対権威になった問題はある)。国家と対等で自立的な私を構成するポストモダンの肯定を棄てて、近代主義に戻っていきながら、しかし近代主義の国家から独立している永久革命的否定の力に依らないようでは、世界の半分しかみていないのにトータルに何でもかんでも喋るという構造主義的になって、そうしてオリジナリテイを再発見したと錯視して天皇にもとづくあり方になるのか?これも明治維新の近代がもたらすことになった痛い精神的従属ではないかと、20世紀精神史に書き記すことをわたしは考えようとしている


トイレはですね、『ユリシーズ』のなかでの描写ー広告の仕事をしているブルームがおもいついた広告のキャッチフレーズを新聞紙に書き留めてはくだらないという感じで水に流してしまうーを思い出すのです。トイレこそは魂の秘密を考える洞窟的闇だおもうのです。トイレこそは物(うんこ)と身体との境界の印象がうまれる場所でもあります。その洞窟的闇において、言語(ランガージュ)はおのずから透明となりますから、本も集中して読めますね、iPhone で映画を観るのもよし。わたしは大昔、トイレット博士が好きな友達の気持ちがなんかわかって来ました。

追記. ゴダールのスイスへは何度か旅行しましたが、ほんとうに面白くない国ですが、ルソーが流離ったところ行くと、魂と身体の曖昧な境界についての印象がうまれる場所がありますね


『書を捨てよ町へ出よう』はポジティブでアグレッシブだったが、コロナ禍を契機に、「これでいいのか?」と芸術は自らを問う。初めて世界と一緒のおなじ苦しみに立つことになった


中江兆民はphilosopheを「理学」と訳す。漢文の伝統は抵抗の拠点だ。実際に幕末の知識人的活動家の流れを汲む自由民権運動は漢文的思考に頼っていた。「本当は大したことがない」のは「哲学」と指示した井上哲次郎。翻訳において朱子学の語彙を利用してきたくせに、philosopheに関しては、「哲学」と読んだら何のことかわからなくさせる武装解除である


推敲中

BLACKBOARD 黒板 32

 Foucault

‪「言葉と物」を読むと、単純なものは、互いに切り離せぬ関係を以て、複雑な表象をもつものから自立している。此処から、思考を構成する四つのもの(分節、主辞-属辞関係、指示、派生)へ展開するというような書き方をフーコはする。画家がそいうふうに描いていくことになったというべきか。ネグリ帝国論(世界資本主義v.s.マルチチュード)から、恰も世界史の必然性を以て(?)、柄谷グローバル帝国論 (アメリカ、ロシア、ヨーロッパ、中国)が展開する今日の言説は、画家の描き方を反復しているだけだ


推敲中

ジョイスの多言語テクストの翻訳(日本語)を指さして、どの国の言葉からの翻訳かと問う者は、翻訳が全部オリジナルだと気がつかない。書記言語としての「古事記」についても、近代主義者はどの国の言葉からの翻訳と考えるが、コピー(翻訳)が先、オリジナルが後!コピーの前を起源と考える必要なし!


BLACKBOARD 黒板 32

 Foucault

‪「言葉と物」を読むと、単純なものは、互いに切り離せぬ関係を以て、複雑な表象をもつものから自立している。此処から、思考を構成する四つのもの(分節、主辞-属辞関係、指示、派生)へ展開するというような書き方をフーコはする。画家がそいうふうに描いていくことになったというべきか。ネグリ帝国論(世界資本主義v.s.マルチチュード)から、恰も世界史の必然性を以て(?)、柄谷グローバル帝国論 (アメリカ、ロシア、ヨーロッパ、中国)が展開する今日の言説は、文字で描く画家の描き方近代を反復しているだけだ。‪沈黙する映像のカオスに対しては無秩序の言説で対抗すべきなのだ‬

MEMO


起源なき廃墟


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討論なき都知事選でなにを失ったのか?


「もし自由になんらかの意味があるとするならば、それは相手が聞きたがらないことを相手に告げる権利をさすのである。」(ジョージ・オーウェル、出版の自由ー『動物農場』序文)


極右翼のヘイトスピーチにNoといえない人物を600 万人が支持しました。歴史修正主義の信者は1000万人。もっとヤバイのは、この数を異常だとまだ気がつかない人たちの数




カントは表象の限界をいい、存在論形而上学にとってかわる理念性の批判をうちたてたい。ヘーゲルは経験的なものに形而上学を復帰させたい。理念を精神的なものとして思弁的に再構成できないだろうか。このように一見してカントの思想とヘーゲルの思想は全然違うようにみえるが、この両者は知の考古学からみると同じ地層に属する。両者は補いあうもつれた差異なのだ。思想を考えることがずっと難しかったのは表象の限界を超えて不可視なものを見るからだ。しかしひとつの精神は意識が奪回する経験的なもののうちに思考するために、表象と、表象の限界-裏側の見えない外部のもの-との間に交わらぬ平行性を保つことができるのだろうか?不可能だ...


表象「東京ファースト」が言っている言説とはこういうトートロジーで出来上がっている。「日本人は日本人自身である」なぜなら「日本はこの道しかない」からだ


Awful  

In the Japan, the image ‘Tokyo First ‘ say; this is what Japanese do at the first’ because’ We are on our own’


In the US, white people can’t imagine black people who are just like them ?



Tokyo’s First Female Governor Sails to Re-Election Even as Virus Cases Rise


漢字において呼び捨ては軽蔑を意味している。「安倍」と呼び捨てる私はヘイトスピーチする自分を自覚している。ヘイトスピーチに反対するが、「安倍さん」と言うつもりは全然ない


「漢字は借り物である」という言説がある。オリジナルなことを考えるためには音声化された言語(ラング)がもとめられている。「借り物」は「karimono かりもの」としょう。だが「かりもの」の裏側に漢字が存在する外部がある。そこで私達は意味を知る。ここに漢字文化の他者性がある。漢字と仮名の歴史こそはわれわれをつくっている。漢字を借り物と考える必要がないとおもう。ちなみに、英語の場合は古代ギリシャ語やラテン語を正確に指示できるのは特権知識人だけなのである


講座後のワイワイガヤガヤ、ウロウロウヨウヨの喫茶店☕️トーク丸山真男の時代は、平田篤胤を擁護することは反デモクラシーを告白することだった。いまでもそう考えるひとがネット世界にいることはいて私も非難されたことがあったが、篤胤についての研究が進んで、現在はもうそういう時代ではなくなった。平田篤胤における平等の理想をもって一時政府に入ったリアル平田派は追放されて大学を創った左翼だったのではあるまいか?島崎藤村『夜明け前』は平田派について書いている。一方、政教分離で政府の中にいなかったが、明治維新の不平等体制に迎合した自称平田派は、平田篤胤とは無関係で、国家祭祀の視点を考えない限りみえてこないが、この連中が国家神道の言説の生産を通じて問題を起こしたのではなかったか。


「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」?虚だ。私ならば、「トンネルを抜けるとどこまでも出口が無かった」。そこでアイルランドのイエーツの詩の言葉とともにわれわれはある


M・ロビンソン大統領は自身がアイルランドのみならず世界中の全アイルランド移民を代表すると考えた。人々よここに来たれという共和主義運動は非同盟中立の先駆だが、南アイルランド政府にとって大きすぎる。そんな意味で、島崎藤村『夜明け前』を読むと、明治政府にとって、西欧を超える政教一致による絶対平等を目指す平田派も大きすぎたか...


推敲中

「 安倍首相から財界要人まで」「安倍晋三の参禅以来、禅寺に関心が集まっている」「心をリセット」「中曽根元首相が参弾」。正直、新聞の「分析」以上の思いれである。なぜ、朝日新聞が、このような上流階級的の反近代、反民主をかくも権威的に称えるのだろうか。やはり保守同志ということなのか?ああ、毛沢東主義の保守的言説よ。中国共産党の公式イデオローグの反民主的言説にすら夢をみるまでに、天安門事件民主化運動を抑圧するまでに、閉じてしまったか?


何もかも母国語にして飲み込む字幕はナショナリズムの化物かもしれず、それは支配する欲望に関係している?私は字幕を殆ど読まないので大抵映画の筋(ロゴス)を理解していない


洋画は日本語の字幕を読まないが、ただし邦画のときは必ず外国語の字幕を読む。母国語の声に囚われてうっかり感動してしまったら映像を失う。英語は字幕を読む為に勉強した


写真リアリズムの成立と共に絵画は、客体の側にある客体化されぬ根底を描く。「女給」では精神が死としての鏡から、「あなたが考えることを知っている」と此方を見るとき、わたしの理解だが知の考古学からいうと形而上学の表層が届いている。

写真リアリズムの成立と共に絵画は、客体の側にある客体化されぬ根底を描く。「女給」では精神が死としての鏡から、「あなたが考えることを知っている」と此方を見る。形而上学の表層が届く


 ‪ ‪’ あなたは外部からきた、それから私のなかであなたは支配した、愛によって、そしてあなたをうけいれた’ (補い合う縺れる差異、思考としてのウイルス的形態の情報、言語)


‪マンガ日本の古典(中央公論社)の『古事記』(2020)のあとがきで、石ノ森章太郎さんは『古事記』を「幼少のみぎりから慣れ親しんできた、タノシイ昔話の世界」と書いている。この人は敗戦のときは七歳だった。漫画を読んだのは、『古事記』の「天の岩戸」が「サイボーグ009」の漫画でどのように絵で描かれるのかという好奇心からである。太陽神である天照大御神が隠れ、世界が暗闇に包まれた岩戸隠れの伝説の舞台。「八百万神、天の安の河原に神集ひ集ひて」と記されていて、これについて本居宣長は「八百万は、数の多き至極を云り」という。「思金神」(面白い名!)の案で、八尺鏡を作らせ、常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。『古事記』を岩波で読むと、どうしても漢字の存在感に圧倒されることになるが、漫画を読んでいる限りにおいては、数が自分自身で数を増やしていく仕掛けのようなものを思い浮かべてしまった。中心なき?自己差異化する差異体系の生成的賑わいというか...。さて和辻は「祀る神は祀られる神である」と解釈してみせた‪(講座『明治維新の近代』(子安))‬。たしかに、何かこの解釈は令和の従属させてくる風景ー天皇統合性に向かって象徴性を過剰に超える思考の構造ーを理解させてくれる。問題は、ひとつの原理に包摂する近代主義とともに成立したこの構造をどうやって解体するか?ひとつの原理に包摂されない思考の平面(多様性)を語ること、国家と対等で国家からの<自立的私>を以って語ること、外部の思考を書くこと、起源の廃墟を書く\描くこと。そのためには言語を集中させること(江戸思想だけでなく『朱子語類』‬のエクリチュールも役にたつ)。だけれどこうしたことに挑むポストモダンの思考に場を与える雑誌も本も現在まったくなくなったイヤな現実なんだ


「自粛」という言葉はお上の言うことをききすぎるなと仄めかす。回復すべき活動のことを考えるし、議論できないしデーターもないが、これから感染で苦しむ人達のこともかんがえる



推敲中

現代思想」連載「中国論を読む」をおまとめになった本です。毎週土曜日に早稲田大学小教室にて昭和思想史研究会が主宰した講義は、「われわれは中国をどう論じたか」という、子安先生らしい問題意識で展開して行きました。子安先生による、中国学(溝口)批判は、仁斎の朱子学批判とパラレルと思いました。もし私の発見が正しければ、今日の中国論を批判的にとらえるような、江戸朱子学には豊かな「対話」があったことは驚きです。われわれはどう中国を論じたかはという問いかけは、同時に、これは、われわれはどう他者を語ってきたか、と同じ問いかけです


子安宣邦著「日本人はどう中国を語ってきたか」(2012、青土社


天安門広場事件から簒奪された「事件性」を取りもどすこと、今日神話的に内側に絡み取られてしまった言説から、批評にもとづくリアルな歴史を取り戻すために、子安宣邦氏は、本書「日本人はどう中国を論じたか」を書いたのではないだろうか。「日本人はどう中国を論じてきたか」という問いとは、なによりも、「われわれはどう他者を語ってきたか」という開かれた問題提起と等価ではないかと私は考える。

ところで神話的な語りというのは、対象を対象の内部から対象に即してみる<語り>に立脚する。本書のなかで日本における中国学の視野を分析している箇所が大変示唆的である。そこで、中国学が、いかに中国を中国の内部から中国に即してみる言説として自ら完成していくのかという知の歴史が、説得力をもって描き出されている。たとえば、日本における中国学の内部で、「内なる天皇」に対応するが如き「内なる中国」というオリエンタリズム的幻想が誕生していくプロセスがよく理解できた。驚いたことは、今日中国のアカデミズムが、この最近の日本の中国学を取り込んでいるというのだ。

なぜ今日日本の知識人たちが、命を脅かされている2010年ノーベル平和賞受賞者劉暁波をはっきりと支援できないのか?オリエンタリズム的言説と知識人のあり方、この両者は、「日本人が中国をどう論じてきたか」において、互いに切り離せない関係にあるだろう。本書を読み終えたとき、なぜ日本の知識人たちが命を脅かされている劉暁波を見捨てるのかその理由の核心が、それまでこの問題を無知であったこの私にも非常によく理解することができたのであった。

現代の中国を語るとき、「官僚制資本主義」を語る視点が欠かせない。端的に「官僚制資本主義」とは、<アジア的原始共同体>と<専制政治>から成る体制として定義できるが、神話的な語りは、この両者が、孫文毛沢東によって、あたかもすでに克服されて終わったかのように語ってきた。いつでもわれわれが生きている現在の姿というのは、神話的な語りによって、過去との連続性に位置づけられるものだ。中国も然り。しかし神話が終わったところから、天安門広場の占拠が始まったのである。天安門事件広場での抗議は、連続性の夢からわれわれを覚醒させようとしたのである。つまり、現実には、<アジア的原始共同体>と<専制政治>は解決済みのものではなかったことを一人ひとりが自発的に世界に知らせようとしたのだ。そして、これこそが、事件性と呼ぶに値する、批評性と関係した言論活動にほかならない。

言論の場で子安氏が繰り返し訴えてきたように、事件性とは、小さな人間の声が、大きな人間を糾す<喋る>民主主義の語りのことである。この点に関して、<かれら>の官僚的資本主義の問題といえ、<われわれ>の原発問題といえ、構造が齎したの問題の解決を、再びそれを推進した政治的経済的文化権力的一体的構造に委ねることは不可能であるしまた倫理的にも許されないものだ。こうして、「日本人はどう中国を論じたか」という問いとは、なによりも、「われわれはどう他者を語ってきたか」「われわれは依拠すべき他者との関係をどのようにつくっていくかと」いう開かれた問題提起として、与えられてくるのである。



以下、子安宣邦「日本人は中国をどう語ってきたか」のあとがきより


私の「中国論を読む」ことの動機をめぐってさらにいえば、現在なお中国の獄中にいる2010年のノーベル平和賞の受賞者劉暁波の支援の問題があった。劉暁波に対する私たちの支援は日本ではまったく孤立している。日本の既存の中国研究者で劉を批判するものは数多くいても、彼を支援しようとするものは殆どいないということは、私にとって驚きであり、考え込まされる事態であった。なぜなのか。この懐疑が私を戦後日本における中国観の見直しに向かわせたのである。さらにいえば、現代において全く批判的、思想的機能も意味をも失ったかのような日本のアジア主義、あるいは中国主義というアジア・中国への<肩入れ>とはいったい何であったのか、という問いもまた私に「中国論を読む」ことを促した理由でもあった。



戦前の知識人だったら劉暁波をどう考えたのか?戦後は民主主義が脆弱なので無関心なのか。否。一国民主主義と国語の近代とたの劉暁波への無関心は両立しているのではないか


‪戦前は国民主権なき民主主義だった。さて「もし」という前提だけれど、もし戦前における国民主権なき民主主義の知識人だったら劉暁波をどう考えたのだろうか?知識人達は、デモクラシーが明治維新が規定した政府の中に留まるとは考えなかったので、対象へ接近する構成に差異はあるとしても(社会主義者から伝統保守アジア主義まで)、他者・劉暁波との関係を自分たちの問題として考えたのではないか?では戦後は主権はみとめられたが民主主義が脆弱なので劉暁波に無関心でいるのだろうか?むしろ、一国民主主義と自立的一言語主義の近代と劉暁波への無関心は両立しているのではないかと考えるようになってきた。それだけではない。言説の権力の問題がある。子安宣邦氏の中国問題の講座に参加し『日本人は中国をどう語ってきたか』を読んで考えなければならなくなったのは、言説が形成する権力の問題についてである。竹内の「方法としてのアジア」を、「公」の正当性を強調する溝口の「方法としての中国」に書き換える言説があったし、また独自の「帝国論」の柄谷の「資本論の読みへのこだわり」によって「資本論の読み方」をアジア知識人達に教える言説(中国共産党は資本主義を正す「礼」である)がある。ポストモダンモダニズム化によって自らの批評の政治性を消去してしまった(隠蔽した?)中国左派(毛沢東主義を支持する立場)による言説の展開もある。そして天安門広場前の事件をネオリベの「私」の非政治的活動とみなす視点(日本の一部の中国研究者)の言説がある。全部これらは物の見方における構造を形成している。そうして他者の名・劉暁波が、構造論的な平衡の只中に侵入できないままになっている‬現在の日本の閉塞が起きているとわたしは考えるのだけれど。閉塞は閉塞に気がつかなくとも起きてくる。きっとだから閉塞といわれるのである


表通りの乱君の政治が失敗しています。何を言っても無駄だという孤立感がどんどん広がっています。家で本を読むのは避難です。この本たちがコロナ終焉後、以前よりもっと多くの人々を、裏道に、心を開いてくれる小劇場や音楽に連れて行くとき、もっと自由に喋らせてくれという言葉を語り始めるかもしれません


香港はどうなってしまうのでしょうか?わかりません。しかしたしかなことは、日本語を喋る香港の民主化活動家たちはこれから成熟していってアジアの政治家になっていくでしょう


津田左右吉は1916年以降の普遍主義かそうでないのかはっきりしない。思想家の間違いは凡庸にみえない。そもそもどんな人間も彼の思考がおかす間違いには思考に値する意味がある


世の中の10%しか知らないくせに大多数を代弁していると身体感覚がなくなってくるのではないか。だから怪物の身体を所有できる見世物小屋を必要する。自分たちと同じように10%で世の中をわかっちゃっているその身体は痩せていなければならないがただし太ももは痩せ過ぎてはいけないとか色々注文がおおい


『言葉と物』第九章で再びベラスケス絵画における表象が現れるー異形なものの介入。17世紀に天を仰ぎ見る孔子の立ち姿が再び現れるときには表象の傍らにアンチコスモスが存在した


‪イエーツはトンネルを抜けると出口がない共同体を描いた。動く映像を拒んだ。時間を止めたから。私も形を崩していかなければならなかった。改めて見ると海辺と波を描いていた‬


「イケメンクラスタ」とでも呼んでくれたらいいのに。どうしてマスコミは「舞台クラスタ」と呼ぶのかしら?こんなときですから舞台パッシングが起きないとはいえません


横井湖南


三代の際、道行候時は君よりは臣を戒め、臣よりは君を儆め、君臣互いに其の非心を正し、夫より万事の政に押し及ぼし、朝廷の間欽哉戒哉念哉懋哉都兪吁咨の声のみ有レ之候。是唯朝廷の間のみにて無レ之父子兄弟夫婦の間互いに善を勧め過を救ひ、天下政事の得失にも及び候は是又講学の道一家閏門の内に行れ候。上如レ此講学行れ其勢下に移り、国天下を挙げて人々家々に講学被レ行、比屋可レ封に相成候。(「学校問答書」)


自己否定の観念をもつが、香港の若者のように精神的従属を強いる社会へのネガテイヴなイメージを明確にもたぬ読者に、天皇を否定しない構造主義者が書いた共同幻想論を与えてやれ


Go to キャンペーンの政権は自ら生活できなくなってきて助けを必要とするもっと広範囲の人々の存在をみえているか?マスコミが沈黙するならば対抗メディアのSNSが批判する


他者の名が構造論的な平衡の只中に侵入できないままになっている‬現在の閉塞。寧ろ見えないものを見ようとしない現在のそこそこの自由を閉塞としない魔法の絨毯は精神的従属である



講座『明治維新の近代』で「きけわだつみの声」を取り上げたときだったと思うが、ウロウロウヨウヨしてはいった居酒屋でのワイワイガヤガヤで、大岡昇平の『レイテ戦記』の話題が出た。

「雨滴といっしょに、山蛭が落ちて来た。耳の中、瞼など、人間の粘膜に取りつき、乏しい血を吸って太る。朝眼をさまして兵士たちは、目の前に蛭が縄のれんのようにぶらさがっているのに気がついたりした。」(29 カンギポット)

『レイテ戦記』は、『万葉集』をマッチョ化したリアリズムの観察。植民地なき明治維新の近代の帰結がゼロだと証言すればいいのに、天皇の死者を祀る視線と日本知識人の視線が重なり合うことによって全体性を回復した文学の勝利を書き記している。大岡昇平は『野火』を書いたのだけれど..

われわれは戦後文学から罪悪感を学んだ。戦前の文学は罪悪感はない(プチブルの小市民的後悔の念を描いているだけだ)。大岡昇平は『野火』を書いたのだけれど..国家祭祀の鎮魂歌はいらない


推敲中

映像と言葉の均衡が大切とおもいます。映像は多いが、それと自己との関係について語る言葉が少なくないでしょうか?あまりに映像に依ると直に、「大したことではない。世の中には他にもっと悲惨なことがある」という例のテレビの消費的心理に陥り、そのうち事件も忘却していきます。難しい課題でも、ネットは、戦争を構成していく(繰り返されてきた) この依存症的な忘却構造を断っていく方向に沿ってできる限り努力していかないと、既存のマスコミの対抗的メディアとしての独自な役割を発揮できなくなる。逆にいうと、映像と言葉の均衡こそ大きな力かもしれず、ここにチャンスあり!


『日本書記』冒頭の書き出しを読んでいたら平田篤胤のことを考えはじめていた。彼は西欧の神学を知っていたみたいだ。しかし影響を受けたかどうかはわからない。中立的に、宇宙の法則を支配する神は遠く、これに接近するのにどれだけの時間がかかるのか?神はこちらを見えないだろう。これでは救われない。問題は神がこちらを見るためには距離をいかに縮めるか?だけれど距離を取り払っても、もし国家が所有する神々しいひとつの入り口では、嫌なhierarchyができてしまうにきまっている。国家のために敵を殺したものは祀られる。だが殺された住民の弔いの場もないとしたら、そんなひとつの入り口は国家そのものじゃないかしら?死後は再び隅々まで差別されるようなこんな所をもう住処としたくないね。平田篤胤が考えたように、霊の行方のために生者の卑近に沢山の入り口があったほうがいいよな。彼はそういう多数性としての距離を抽象的に考えようとした。これはガリレオが距離を考えたように、知識人にとって特別なことではない。今風に言うと、死を分裂化させる。多様性の方向性をもつ左翼の平田派が出てくる。てだけれど救われなければいけないという救済を重視すぎるとどうも知識人はうまく考えられないのかもしれない。平田派を名乗る、多様性を重んじない似非平田派が出てくることになる


推敲中

「踊るときには、魂が先行する。人間が歩くときには、足のことを考えますか。誰も考える人はいない」(大野一雄

Romeo Castellucciが演出したダンテ「神曲」に大きな感銘を受けました。だけれど感想文が中々書けなかったのはなぜでしょうか?Romeo Castellucci の運動イメージの演出については、演劇を語る言葉よりも、寧ろ映画か、現代舞踏をみた言葉で書くべきだったのかもしれません。やっとそのことに気が付いてきました。「踊るときには、魂が先行する。人間が歩くときには、足のことを考えますか。誰も考える人はいない」(大野一雄) 。舞台のうえでは、身体の終わり、身体の消滅は、地面に倒れることを通じて表現されました。ここから、(身体から)分離した魂のリズムが多様化します。魂は動きの息の中で長く持続するのですが、やがて詩を語る息のなかで魂も消滅します。権力の網に絡みとられるまえに。そして魂は(人間と動物と植物と鉱物に共有される)言葉に依拠することになるということを示唆していたと思います。これは中世的世界観の再構成で、世界の中心に外部を置くという往復運動の哲学に触れたように思いました


知識人はヒーローのライオン丸か?


世界を考えるというのは曖昧な観念である。だからそれは世を救う明確なイメージによって補われている。例えば世を救うヒーロー・ライオン丸こそ知識人のイメージ。だけれど知識人は救おうとするときうまく考えられないのが現実である。ライオンぐらいの頭でしか考えられない。そうして親鸞悪人正機という変なことを言い出した(「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」)。平田篤胤の神学は救済論で不格好になった。現在をみると、柄谷行人は知の停滞を何とかしようとして廣松を叩いたときは良かったが、ネオリベの世を救おうとして帝国の構造を喋りはじめたのはヤバイ。清沢満之を勉強したときに知った名だが、知識人はストア派エピクテトスが言うように「力の及ぶ範囲」で頑張るのが宜しいかと。これはポストモダンのシニズムではない。何が世の中の疎外の原因なのか明らかにすることが知識人ができることだし彼の責任であるとジジェクがロンドンで語っていたよ


梅雨にしてはちょっと肌寒いね。こういう雨の日にあう素敵なジャズ音楽をラジオでやっている


分かる人が描く漫画においては分かっている人がやる翻訳のように凝集している。建築と人間の関係を表現できている漫画『源氏物語』では、俯瞰される宮殿の屋根が鏡の裏側のように見える


ヴェイユの「国」country は完全な愛の対象であるためには、渡辺一民ならば豊かさは人間にとって何かを問うこと、国家から自立した対象として構成される必要をいうのかな


マイケル・ジャクソンの時代は「白人と全く似ている黒人」が消滅し、オバマ大統領の登場で「白人」も消滅した。だが同一的本質の近代はどうしても差別を無くせない。寧ろ「前近代」と近代が蔑視している体制よりも差別は広がっている。これについては、他者への畏怖がないと差別が起きるから、これからは見た目の差異性が大切ではないかと問題提起する思想もある。方法として、一人ひとりがマイノリティーに成る、すなわち方法として怪物に成ることの意義が言われる(実体として怪物になるという意味ではない)。これは「前近代」とレッテル貼りされそうである。「前近代」が「近代」を批判する「知」のあり方をトータルに検討する必要があるだろう


 革命家だったがリベラルになった若い先生達がわたしに語る言説「日本は成功した社会主義」は、家の中で官僚が喋る「日本は成功した資本主義」と同じ地層にあると思った高校時代はもっと普遍的なロゴスを探究したが、小田実のエリートの「世直し」の論理は遠く、自分に関係がないと感じた。震災以降に書いたラディカルなものこそがロゴス


‪卑近に教授の知的環境があり友人と議論もする大学時代は一日で考えがガラリと変わる。恋人と本をさがして活動もしなければならない。家でいつまでもパソコンのなかの大学ではねえ


 ‪今日は自由が丘駅付近で喫茶店の中で変なおじさんがいるのを目撃した。テーブルのその隣で教科書を開いて試験勉強中の女子高生三人。突然、ひとりがプラトンイデア論の記述を読みあげた。聞いていた二人があやしんだ。「変だよ、話がみえないって」。「それ何?」。読みあげたのは興味があるからか?友達二人に答えた。「変でしょう、倫理だって...」。と、そのとき変なおじさんは、「お嬢さん、その通りですよ。諸言語(ラング)では見えないんです」と告げようとしたが、‪しかしこんなときだから黙って眉毛を動かして暗号をおくった。‬変なおじさんは私でした‬


もう自分たちが何をしているのかわからなくなっていると言わざるを得ない

東京五輪、延期後の競技日程を発表 開会式は7月23日」


表象「コロナと共生」はまさかね、都合よくコロナの時代にネオリベとの共生を同一化させようとしているのかしら?他国は発想の大転換しているというのに..


『日本書記』の歴史も『古事記』の神話も難しいが読ませようとしている。『源氏物語』の物語は公の世界に意味を伝える意図がない。前二者におけるオイディプス的父を殺戮している


植民地主義の成立とともに成立したのが近代文学ー「意識の流れ」であれ「神話的リアリズム」であれーからみると、帝国主義\帝国から離れた公の世界なき『フィネガンズ・ウェイク』の世界は迷宮であると軽蔑される(反対に、実験精神としてのモダニズムの極限とたたえられる)。公(=近代国家)に従属しない天から見ている、あるいは、天を仰ぎ見ていると読めることは、ファシズムの時代に書かれた本の意味が、1980年代における起源なき廃墟をいうポストモダンによってはじめて分かってきた。この本について先ず最初に言わなくてはならないことは、これは読めない本である。この言説を前提に、あえて構造主義の記号に行かずに、反時代的にニーチェがやったように、言語学的文献学的に言語とは何かを問うところに留まったとき、われわれは他との自立的交流が不可欠になってきた時代に、「あまりに人間的な...」排除的境界線をなす「われわれ自身」の表象とか「かれら」の表象から離れる外的条件が必要だったのではなかろうか


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戦争もしていない筈なのに世界報道自由度ランキングがどんどん低くなるし、男女平等ランキングも絶望的。いや待て、トップに来たものがある。『コロナ禍』のおかげで従順度世界一


カウントリーミュージックの方が北海道は小さいアメリカだと教えてくれた。東京の小劇場が開く空間は小さいヨーロッパかもね。欧米が探究している新しい普遍主義をつくれとおもう


たまたまそこに置いたのにそこになければならなくなったように只長く続いていたものを続ける。そんな偶然なものは消滅しても同じだ。不可避のものになっているかもしれないのに?



たまたまそこに置いたのにそこになければならなくなったように、「オリジナリテイー」のないものならば只長く続いていたものを続ける必要なし。これから成熟するかもしれないのに?


‪「たまたまそこに置いたのにそこになければならなくなったように只長く続いていたものを続ける。そんな偶然なものは消滅しても同じだ。不可避のものになっているかもしれないのに?」‬たとえば漢字の問題はこういう形の思考をとる。「たまたまそこに置いたのにそこになければならなくなったように、日本列島において只長く続いていた漢字を続ける。『シナ』から借りたそんな偶然なものは消滅しても同じだ。だけれど漢字は不可避のものになっているかもしれないというのに?」

(言説「商品が貨幣である」についても同じ議論があり得る。「たまたまそこに置いたのにそこになければならなくなったように、商品世界において只長く続いていた貨幣を続ける。外部との交換が始まる前まで元々商品世界になかったそんな偶然なものは消滅しても同じだ。だけれど貨幣は商品世界の成立にとって不可避のものになっているかもしれないというのに?)


井筒


<略>
 「果分可説」と空海が言う、その「果分」に対立するものは「因分」である。「因分」とは、すなわち、我々普通の人間の普通の経験的現実の世界。我々が通常「コトバ」とか「言語」とかいう語で意味するものは、「因分」のコトバであって、「果分」のコトバではない。両者は、同じくコトバであるにしても、それぞれ成立の場と機能のレベルとを異にする。「果分」的コトバの異次元性の事実については、もはや繰返し強調するにはおよぶまい。
 しかし、他面、「果分」と「因分」とが、全く別々に存立していて、両者の間に何のつながりもない、というわけでもない。「果分」のコトバは、たしかに異次元のコトバではあるけれども、それだからといって、普通の人間言語とは似て似つかぬ記号組織であるのではない。それどころか、普通の人間言語が、そこから自然に展開してくるような根源言語として、空海はそれを構想しているのだ。「果分」の絶対超越的領域に成立し、そこに働くコトバの異次元性を、空海は「法身説法」という世に有名なテーゼによって形象的に提示する。「法身説法」――大日如来そのものの語るコトバ。人間の語るコトバと根本的に違うものであろうことは想像するに難くない。ちょうど、大日如来が普通の人間とは全く次元を異にする存在であるように。
 しかし、それと同時に空海は、法身の語るコトバと人間の語るコトバとの内面的関連性を指摘することを忘れない。「コトバの根本は法身を源泉とする。この絶対的原点から流出し、展じ展じて遂に世流布のコトバ(世間一般に流通している普通の人間のコトバ)となるのだ」と『声字実相義』の一節で彼は言っている。つまり、我々が常識的にコトバと呼び、コトバとして日々使っているものも、根源まで遡ってみれば、大日如来真言であり、要するに、真言の世俗的展開形態にすぎない、というのだ。
 「果分」のコトバが、その異次元性にもかかわらず、「因分」のコトバの究極的原点であり、この意味で「因分」のコトバに直結しているとすれば、「果分」において絶対無条件的に成立する「存在はコトバである」という命題は、「因分」においても、たとえ条件的、類比的にではあれ、成立するであろうことが、当然、予測される。
 それでは、「存在はコトバである」というこの命題は、「因分」、すなわち人間の日常的言語の通用する領域において、どのようにして理論的に正当化され、根拠づけられるであろうか。それが当面の問題である。そして、この問題を解決するために、私はここに、意味分節理論を導入する。

「心の中の天皇」も「心の中の資本主義」も、永久革命近代主義が深く絶望している停滞の記号で、厄介なのは、希望を持つときは結局、資本主義を正す天皇主義になるのかな(溜息)

 空海紫式部と徂徠は天才である。空海は天才だという話がすこし理解できてきたが、曼陀羅についてまったく語ることもできない。空海の持って帰った曼陀羅も、ケルズの書も、9世紀とかのものだし、ケルズの書ならば一言二言言えるかもしれない。古代ヘブライ語に痕跡があるというバベルの言語の存在を表象する為には、ラテン語を利用して絶えず言語が書かれている姿を思い浮かべなければならない。イメージの傍らにアンチコスモスが存在するのかもしれないー新しいコスモスを再構成するために。そうして、間違いなくケルズの書は『フィネガンズ・ウェイク』のジョイスにおける宇宙の劇場の創造に役立った。だけれど普通の人々ordinary people にとって果たして意味があるのだろうか?顕現epiphanyという言葉を以て、まさに普通の人々が喋る言葉に完全なものがあらわれていると考える見方がある。これは、完全な言語がいかにも不完全でしかない言葉を住処としているというのだから面白いね。だが「顕現」の語はやはり宗教くさいちょっぴりヤバイ感じがする。とはいえ、言語の存在は自然(地球)と一体であるというほどの信をともなうことがなければ、言語が国語の同化主義によって破壊されるし、環境も開発からまもられないのである。だがもはや言語も存在しない、地球も存在しないとしたら。わたしは宗教がないのだけれど、公害運動の坐り込みのときも原発事故の抗議のときも、この信を言う外部がなければやっていけないと言いたかったと何か遅いがやっと分かってきた..「信」の字が外部性をあらわしているらしい。まだその場所がどこなのかわからないのだけれど


空海の持って帰った曼陀羅と、9世紀のケルズの書。一緒に論じられることが無いみたい。コスモスの再構成のために両者においてイメージの傍らにアンチコスモスが存在しているのに



MEMO

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砂浜に見えた何かの形が波によって消えてしまう。もうそこにないのに存在するかのようにそこにもう一度形を思い浮かべてみるが、反復はない。映画のスクリーンへの投射と類似している。時間は波。そして言語の集中のなかで、人間が存在しないのにあえて人間の存在を表象する、諸人文科学の平面への思考の投射もある(フーコの「人文科学」)。


ハイデガー存在と時間』における「わたしは時間か?」という問いの構造は溝口映画の近くにいたときわかった。映画における表象の傍らでなければ時間の傍らに無が佇んでいなかった


 ‪政治家夫婦は安倍晋三に警戒心がない。男は後に小泉がやる中曽根の靖国公式参拝に学生のときに抗議しなかった異常な同世代で、現在社会の中心にいる。世の中を腐らせていないか?


 ‪恥ずかしいが、危機感を感じていながら当時私も中曽根の靖国公式参拝に大した抗議をしていない。‬30年後に実現してみせると言っていたことー国家神道復活と再軍国主義ーを現在、経済徴兵も含めて全部実現してしまったようだ。


アリストテレスの芸術における模倣のモデルは演劇から取られている。この概念をすべての芸術に適用可能にするために行った一般化はややぶざまに思われる。(ハンナ・アーレント『人間の条件』第5章注11)


模倣は本質的構成であると言われる。演劇は言語を模倣するのである。つまり演劇では言語が身体と空間を以って再構成される。比べると、映画の場合は言語を貼り付ける、まさにポストモダン的というか。演劇については十分よく知られているが、映画はそれがなにであるかわからないまま百年間で終わってしまった。大衆の原像である映画の終焉によって、絵画についてこういうことがわかってきた。絵画は言語をゼロから創ると。映画が現れる前の絵画はそんなことを考えなかっただろう。否、これは何か、自らを枠づける、ポストモダンにおけるモダニズム化の如き変な幻想形態か?


‪東京デパートの展示でみたキスリングの絵画は「洋画」との最初の出会いだった。子供時代はオーストラリアにいたのに?当時はヨーロッパはこの国にとってデガダンスを意味していた。絵画も、ナショナルアイデンティティである「自然」に反するとされて避けられた。これはオーストラリアの近代である。これが批判されるようになったのは、私と同世代の隠蔽を問題としたポストモダンの批評家たちによってである。‬


「世界史」は日本にしかない。ヨーロッパに「世界史」は存在しない。東京に戻ってくると再び「世界史」に絡みとられて喋れない自分に気がつく。「世界史」からは国家神道がみえない


根無し草の大衆を世話したのはコミュニズムファシズムと映画。映画は観客としての大衆と映画(大衆を描いた)から成る。大衆は映画である自分自身から学ばない。映画の名は軽蔑


多元主義は差別を生み出してしまう。なにであれ一神教的一元主義が平等を重んじるといわれる。ここから、多神教インドは常に多元主義だったわけではなく、イスラムの支配のもとで一神教的なものが支持されていた時代もあるというイスラムからの見方もある。これに関して昨夜はインドを媒介とした中国におけるイスラムからの影響について喋ったら(居酒屋トーク)、実証的年代順を無視していると指摘されてしまった。まあもっともである。しかし実体的同一性にこだわる世界史でみる限りにおいて繋がり方がわからないものも、ネットワークの接続形態でみる宗教の人類学からば理念的に説明できるのではないか。この場合は、図形の場合におけるような繋がり方を問題とする世界宗教の構造を考える。ただしアフリカの視点をもつヨーロッパのナイジェリア人は、帝国か民族かの差異はあるが、ともに奴隷を売っていたイスラムユダヤも信用していないから、そもそも平等を重んじるという一元主義にたいする見方も疑問をもつだろう。死者と生者との関係をどう説明するのかの比較宗教学ならばアフリカもはいってくるとおもうのだけれど、そう簡単ではない。ヨーロッパ植民地主義的形態の幻想もあるからである。


推敲中

STRUCTURE

中心からは考えることができない。周辺(端)においてでなければ考えられない。あえて中心はそれを考えるならば、中心は周辺がいかに考えたかを必要とする。他者を不可避とするその中心は中心でなくなり、周辺は周辺でなくなるだろう。構造がかわるということだ ・子安氏の『漢字論ー不可避の他者』の中国語版の刊行についての申し出でが来ているという


島崎藤村『夜明け前』より


 その時、半蔵は翌朝の天気を気づかい顔に戸の方へ立って行った。隅田川すみだがわに近い水辺の夜の空がその戸に見えた。

「半蔵さん。」と寿平次はまたそばへ来てすわり直した相手の顔をながめながら、「君の誓詞には古学ということがしきりに出て来ますね。いったい、国学をやる人はそんなに古代の方に目標を置いてかかるんですか。」

「そりゃ、そうさ。君。」

「過去はそんなに意味がありますかね。」

「君のいう過去は死んだ過去でしょう。ところが、篤胤あつたね先生なぞの考えた過去は生きてる過去です。あすは、あすはッて、みんなあすを待ってるけれど、そんなあすはいつまで待っても来やしません。きょうは、君、またたく間まに通り過ぎて行く。過去こそ真まことじゃありませんか。」

「君のいうことはわかります。」

「しかし、国学者だって、そう一概に過去を目標に置こうとはしていません。中世以来は濁って来ていると考えるんです。」

「待ってくれたまえ。わたしはそうくわしいことも知りませんがね、平田派の学問は偏かたより過ぎるような気がしてしかたがない。こんな時世になって来て、そういう古学はどんなものでしょうかね。」

「そこですよ。外国の刺激を受ければ受けるほど、わたしたちは古代の方を振り返って見るようになりました。そりゃ、わたしばかりじゃありません、中津川の景蔵さんや香蔵さんだっても、そうです。」

 どうやら定めない空模様だった。さびしくはあるが、そう寒くない時雨しぐれの来る音も戸の外にした。


ユリシーズ』の最後でモリー・ブルームが言う’yes,yes,yes’は‘no,no,no’の意味。言説「私はブルジョワ中産階級に同化しない」の命題文が9文字に集約


言説「天命之謂性。率性之謂道。修道之謂教」の命題文は、「毛沢東とマリリンモンローとの結婚という公の体制にわれわれは同化しない」という拒絶として読めないのかしら?


言語としての漢字は表現だけではなくて言説を書く(命題文「漢字は不可避の他者」等々)。漢字は他者を表象できずとも(津田)、言語の総体が否定されず言語の他者性を思考できる


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「‪命題は言語(ランガージュ)にたいして、表現が思考にたいするのと同様の関係にある。すなわちそれは、言語(ランガージュ)の最も一般的な形式であり、同時にそのもっとも基本的な形式にほかならない。なぜなら、命題を分解するやいなや、もはやそこに言説(デイスクール)はなく、ただばらばらの素材としての要素があるだけだからだ。(...) アヴェロンの野生児がことばを話すようにならなかったのは、彼にとってさまざまな語が、物や物から彼の精神が受け取る印象の、音の世界における標識にようなものにとどまっていて、命題としての価値うぃ帯びていなかったからである。彼は差し出された鉢をまえにして「乳」という語を発音することができたが、それは、「この飲料と、それのはいった容器と、それを対象とする欲望との入り混じった表現」にすぎず、語はついに物の表現的記号(シーニュ)とはならなかった。なぜなら、彼は、乳が熱いとか、乳の用意ができたとか、乳を待っているなどとは、決して言おうとはしなかったからだ。事実、命題こそ、音声記号(シーニュ)を表現としての直接的価値から切り離し、それをその言語としての可能性のうちにみごとに位置づけるものにほかならない。古典主義時代の思考にとって、言語(ランガージュ)は、表現のあるところにではなく、言説(デイスクール)のあるところにはじめてあらわれる。「いいえ」(non)と言う場合、人は拒絶を叫びによって翻訳しているのではない。この一語のうちに、「...わたしはそう感じない、あるいは、わたしはそう信じない、という命題全体」を凝縮させているのである。」‬

‪ー フーコ『言葉と物』第四章 語ること、3 動詞の理論


‬ ‪La proposition est au langage ce que la représentation est à la pensée; sa forme à la fois la plus générale et plus élémentaire, puisque, dès qu'on la décompose, on ne rencontre plus le discours, mais ses éléments comme autant de matériaux dispersés (...)‬

‪Le sauvage de l'Aveyron, s'il n'est pas parvenu à parler, c'est que les mots sont restés pour lui comme les marques sonores des choses et des impressions qu'elles faisaient en son esprit ; ils n'avaient point reçu valeur de proposition. Il pouvait bien prononcer le mot < lait> devant le bol qu'on lui offrait; ce n'était là que < l'expression confuse de ce liquide alimentaire, du vase qui le contenait et du désir qui en était l'objet>; jamais le mot n'est devenu signe représentatif de la chose car jamais il n'a voulu dire que le lait était chaud, ou prêt, ou attendu. C'est la proposition en effet qui détache le signe sonore de ses immédiates valeurs d'expression, et l'instaurer souverainement dans sa possibilité linguistique. Pour la pensée classique, le langage commence là où il y a , non pas expression, mais discours. Quand on dit < non> , on ne traduit pas son refus par un cri; on resserre en un mot < une proposition tout entière; Je ne sens pas cela, ou Je ne crois pas cela>‬

‪ー Michel Foucault " Les mots et les choses"‬


‪ー フーコ『言葉と物』第四章 語ること、3 動詞の理論‬


昭和十年代の15年間の戦争を4年間の「太平洋戦争」に縮約して十年間の日中戦争のことを隠蔽しるが、さすがジョージ・オーウエルだ、ヨーロッパの作家ははっきりと認識できているようだ。隠蔽しなければ国家神道の戦争を認識できるはずだ。

ナショナリストはすべて、過去は改変できるものだと信じている。⋯⋯重要な事実が隠蔽され、日時が改変され、前後に関係なく一部分だけ引用して意味を変えてしまう。起こるべきでなかったと思われる事件については口をぬぐって語らず、最後には否定する」(ジョージ・オーウエル)


僕は旅をする放浪者だからね。放浪者の視点というのはあると思うな。放浪者の視点というのは、ひとつは逃げるということがある。つまり、ひとつの視点をとって、ニッチもサッチもいかなくなったら、べつのところへ行って始めるということがあってもいいと思う(安岡章太郎との対談)『大逃走論』'69


肖像画の貴族の視線は冷たい。絵画の前に立つ鑑賞者に全く以て関心がない。人間的眼差しは粛正してくるスターリンからはじまった。現在独裁者はスマホから暖かい眼差しを送ってくる


『言葉と物』は第1章で分析したベラスケスの絵を第七章で再び見る。映画『ヴェニスに死す』のラストー砂浜に最早人間は不在だが敢えて人間を表象したーのように。無分節の再分節化



「東アジア思想史」で検索したら、East Asian philosophical thoughtで出てきた。(East Asian philosophical thought began in Ancient China, and Chinese philosophy begins during the Western Zhou Dynasty and the following periods after its fall when the "Hundred Schools of Thought" flourished (6th century to 221 BCE).) しこれは中国思想史のことだ。東アジア思想史は江戸思想史もあるのだから(朝鮮思想史も台湾思想史もあるだろう。江戸儒学、朝鮮儒学、台湾儒学がある。) History of philosophical thought in Kanjiではだめなのだろうか、わたしは専門家ではないのでわからない。日本語は漢字と仮名だけれど。ちなみに、イギリスでは、大学のなかにおいては英文学はEnglish (British) literatureだけれど、違和感がないわけではない。History of literature in Englishという言い方が70年代から定着したとナイジェリアからきた友人からききました。ニュアンスが全然違うのですね。わかりますか?イギリス文学だけではないよ、アイルランド文学もあるしスコットランド文学もウエールズ文学もあるよということですね


朱子学の「理」は根拠や筋道のこと。「理」という字は、井筒氏が書いていたが、石肌の細かい模様のことらしい。初めての台湾は大嵐だったが霧の隙間から現れる筋たちが迎えてくれたよ



竹中平蔵「東京都は巨額資産を市場に売れ」。議論が足りんとさ。サッチャーはEnglandが<for sale >だった。Tokyoも<for sale >(東京も販売中)


日本ドウルーズ研究家は思索の純粋な<一>への拘りを示すが、グローバル資本主義の分割をなす<一>帝国の中のn個の「一国ニ制度」のアジアに起きている全体化に目を逸らさないで



朝鮮儒学を称えよう


1916年、ハンガリーアイルランドイースター蜂起に注目した。オーストリア=ハンガリー帝国解体後に、何が起きてくるのか?新しい普遍主義を模索した脱コード性はウイーンの文化に再領土化したとかんがえられる。この視点をもって、アジアを見渡すと、どういうことがいえるか?中華帝国を継承した朝鮮儒学において朱子学純化が起きたとき、朝鮮儒学のおかげで、ここから江戸時代の隣国の学者さん達(士大夫でない町人や農民出身)による脱コード化と再領土化が展開したのではなかったか。17世紀のアジアの知識革命である。アジアにおける新しい普遍主義の模索は、明治維新によって非常に悪い形で行うことになったが、ポストモダンの時代において漢字文化の他者性を発見しつつある。


(不可避の他者である漢字は、「孝」(朝鮮儒学のキーワード)反日だとさけんでいる連中にとっては、「日本語」あるいは「国語」とはまったく関係ないとおもっているのだろうけれど。そんな自分たちを正常だと思い込んでいる連中の口から「漢意は下らない」という言葉を聞くほど呆れるときはない。漢意批判を語った宣長のときは国家がなかった時代で、彼は幕府批判のために中国文明からの自立を主張したところがある。「普通の人々」はナショナリズムを異常とかんじたのだ。そういう意味で近代国家に生きていない宣長ナショナリストではない。とくに文献学的近代とイデオロギーの分裂にとらわれた宣長を語る誤解は近代的諸形態の幻想の類いだ)



鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?

嗚呼、この国で嫌われている言葉が、鎖国という言葉ではあるまいか。それは、「前近代」という言葉とともに、永久革命エートスに対する絶望的停滞を意味するからかもしれない。だけれど増殖中にコロナウイルスと一体となったグローバル資本主義の時代に、国家(公)に戻らずに開かれた天下的サコクの方向にむかって発想の大転換が必要ではないかとおもう。問題は、鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?西欧列強のアジア植民地化を止める制度だったのでは?横井小楠は西欧に普遍があるならば国防を整えたうえでむしろ普遍に向かって開国すべきであると言っていた。もちろんサコクは、大学封鎖を暴力がなくなったら直ぐにやめるべきように、利潤最大化のために資本と人の流れがもたらす問題の終息と共に直ちに終わるべきである。サコクを原理にしてはいけない。地球環境の問題は常に考えなければならない


『漢字論』の序文を読んだ方がデリダ論をやってほしいとおっしゃる。たしかにデリダならば漢字をどう考たか知りたいものである(彼はちょっとだけ言及しているが、はっきりわかるものではない。)だからそう簡単なことではない。これについて適当に書くことをゆるしていただきたい。「声はなにかについての意識である。」という言及からはじめると、この意識について語る言説は純化をどうしても指示することになる。声は声としてあるのは自らから他から独立している限りにおいてである。声=意識、である。これは声が何かを伝える媒介であるという意味ではない。漢字が媒介である。媒介があるといっても、声の自立のもとに媒介があるだけである。漢字は媒介としてだけ働く借り物である。しかしこのように語られる声の優位性における配置のもとでは媒介を保てなくなるし、声そのものと純粋な意識の融合で思考に必要な分割もなくなって思考も成り立たなくなってくるのでは?そして媒介がなければそこに隣同士はもちろん誰もいなくなってしまう‬


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Le répète immèdiatement, c'est-à-dire reproduise l'autoaffection pure sans le secours d'aucune extériorité, 

(Jacques Derrida La voix et le phénomène, Introduction au probème du signe dans la phénomènologie de Husserl.)


「誰かに語りかけること、おそらくそれは自分が語るのを聞くこと、自己によって聞かれることであるが、同様にしてまた同時に、他者によって聞かれる場合には、その<自分が語るのをー聞くこと>を、他者が、私がそれを産み出したとおりの形式で、他者の内で直接的に〔即座に〕反復させるようにさせることなのである。直接的に〔無媒介的に〕反復するように、つまりどんな外在性の助けも借りずに純粋な自己ー触発を再生させることなのである。」(デリダ 声と現象、林訳)


I need silence, to be alone, to go out and to save one hour to consider what has happened to my world. 

- Virginia Woolf


推敲中


フィネガンズ・ウェイク』Finnegans Wakeは『ケルトの書』を利用して書いたといわれる。ジョイスは娘のルチアに『ケルトの書』の装飾文字を練習させたりしている。装飾文字は、書くことと描くことの区別がない時代の精神の痕跡かもしれない。文字の外から文字を構成する内部を覗くとき、絵で隠蔽されている迷路と感じるような謎々で溢れている。しかし本当にそれほど迷路なのか?その領域は表の世界に属しているが表の世界の部分とならないーわれわれが頁をめくっても近づけないー表をトータルに描いている裏側なのではないだろうか。不可避の他者としてあるこの裏側を論理的にみるのか、道徳的に倫理的にみるのか...‬


推敲中

‪たしかに資本主義は止まらない。今日グローバル資本主義がもたらす不均衡の問題は経済の内部で解決しようとしている。しかしこの資本主義の近代を続けていたのでは地球環境の限界を超えてしまう。経済問題を根にもつ宗教と民族の地域的紛争も生じている。資本主義の近代について、これをどう考えるによって、互いに対立する見方がある。革命からはじまるマルクス主義の経済学は終わりから始まる見方である。終わりから意味のある差異がはじまる。またそれは最初の対立関係の状態が最後には対立なき関係へ行くゲームを考える(階級闘争止揚)。他方で、近代経済学は収穫逓減の法則。この法則はつぎのことを上手く説明できる。ビール一杯目が一番美味しい。二杯目は美味しいことは美味しいが、一杯目ほどの美味しさがない(人によってはどんどん美味しくなるが、これは例外とする)。近代経済学は始まりから終わる見方だといっていい。はじまりにこそ意味のある差異がある。再びはじまりがなければ差異を食いつぶしていくだけだから常に開発する。また最初の対立なき関係が最後に対立関係へ行くゲームを考えているわけだ(植民地主義)。マルクス経済学と近代経済学、この両者はお互いに反対同士にみえるが、しかし知の考古学からみると近代という同じ地層にある(つまり補い合う。実際に自国民ファーストという名のもとに階級闘争植民地主義によって止揚された。) 問題は、この近代をいつ終わらせるのかである。資本主義の市場がもたらす不均衡の問題を解決するために、再び資本主義を推進した一国民主主義に委ねることは倫理的に不可能であるとおもう


If Donald Trump is not removed from office, Abraham Lincoln’s republic cannot endure ーFintan O'Toole


「微力でも無力ではない」は敵が絡みとられている思弁性を排除するという意味で実定的であるが、梟猫の構成ではない。ホー、経験が成り立つ\成り立たないの分割を問題にする方法こそは「無力でも微分(差異)がある」。排除されている無力だからこそ文学からの言葉をききたいニャリ


幻想が幻想をうむ。資本主義は消費者の自分が権力をもつとか所有する知識は権力だと錯視させる体制だから、デモへ行くの、投票へ行くの。いかに自分が無力であり愚かであることを知るために


「乱君ありて乱国なく、治人ありて治法なし」(『荀子』)。乱れた君主がいるのであって、乱れた国があるのではない。よく治める人がいるのであって、よく治める法律があるのではないという。「乱都知事小池ありて乱東京なし」という真実。何を言っても無駄な乱世である


「乱都知事小池ありて乱東京なし」


MEMO 中国に言論の自由があった時代が二つありますー辛亥革命後の議論が可能だった十数年間(帝国の言語を解体しようとする文学者の運動もあった)と諸子百家の時代

Wikiより 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子老子荘子墨子孟子荀子などの人物を指す。「百家」は儒家道家墨家、名家、法家などの学派を指す。



これはシネマトグラフィーについての大切な論考。美術史が先行する。ところで17世紀にはいって市民が芸術論を読みはじめた。なぜ危機の時代の17世紀だったのか?西ではヨーロッパは外部に出はじめた。東も、秀吉の朝鮮出兵が明を滅ぼしてしまったといわれる。17世紀は芸術もまた外に出はじめた


Joseph Mascelli著の「The five Cs of Cinematography

シネマトグラフィー(映像の演出)について、5つのCという基本があると書かれている本です。5つのCとは、Camera Angles(カメラアングル), Continuity(一貫性), Cutting(編集), Close-Ups(接写), Composition(画面構成)


Pour la présidentielle de 2022, Mélenchon veut privilégier la « clarté et l’intransigeance » plutôt que l’union à gauche


アウトサイダーアート】精神病患者や美術教育を受けていない作家の美術活動。仏語ではアールブリュット。イギリスの美術史家ロジャー・カーディナルが提唱。ヘンリー・ダーガー、マッジ・ギルなどが有名。


フーコの知の考古学的地層は思想史の平面の束である。『言葉と物』はこれらの互いに異なる機能が一緒に働く平面を書く。多様なものの配置である。つまり、形而上学ルネッサンス、コギト懐疑主義、カント的理念性、ヘーゲル的思弁性、人文諸科学、文献学者ニーチェの言語への反時代的問いかけ、精神分析構造主義。江戸思想史を勉強しはじめたときは、子安先生の仁斎を表象するためには、カントを書くフーコの地層をいつも思い浮かべなければならなかった。外国語を読むときはいちいち母国語の翻訳を必要とするが、何というか、所謂西欧思想史を母国語のようなものにしていたのだから変だよね。日本近世思想が外国語としてある。でも大袈裟だがこれが日本近代の知の宿命といわれるものなのかもしれない。現在は、不勉強ながらも、なんとか、仁斎を考えるときは、江戸思想の平面ー朱子学と古学(仁斎と徂徠)、国学(宣長)、神学(篤胤)、政治神学(後期水戸学)ーにおいて考えることができるようになった。これからの課題はもっとポジティブに朱子からストレートに江戸思想の平面を考えてみることである。多分このことによって、アジアで展開した思想を自分のものにできるのかもしれない、翻訳(西欧思想史)を必要としなくなるという意味において(無理かな?) そしてほんとうに大切なのはアジアにおける注釈の体制である。それから天道の絵じゃないかな。1970年代からこうした近代の見直しが可能となったのだけれど、何とか自分の思考もそこに属しているが、編集者の説明によると、現在は「近代」という言葉は売れないらしい(『明治維新の近代』(子安先生)に代わるタイトルを探しているが、中々うまくいかないようだ)




推敲中

このことをふまえて、わたしの理解では、われわれの世界は、天に方向づけられている縦軸と、人の道に方向づけられている横軸で構成されていますが、縦軸は絶えず横揺れするのです(天地自然の時に示す異常・変異)。朱子学における宇宙論的・存在論的な秩序が成り立たないが、だからこそ縦軸が再構成されていかなくては人はやっていけなくなるということです(「天は偽りを容れず」という仁斎の主宰的な天道観)。人間の現在は最も狭く、最も限定され、最も瞬間的で、最も点の性質があり、たえず線を分割しそれ自体も過去と未来に分かれて行く、つまりたえず未来を思い出していくというか、直線状の点です。すべてが日常卑近の表層で進行する、ものを平面化する台こそが人の道といえます。人間に即して考えていけば、過去においてXとYは互いに関係があったかもしれません。だが未来においては、既存のものに依存することは無理があります。未来における横軸のdxは、未来における縦軸のdyとの間の予定調和的な関係は断ち切れているのです。そういう意味で縦軸のdyと横軸のdxは互いに関係がないのですが、だからこそ、この<無ー関係>から、新しく関係をつくる天地の間の運動が生まれてくるといえるのではないでしょうか。われわれの世界は、相互の関係と反作用とによってのみ存在するということです。


最後に、このカント的仁斎または仁斎的カントのテーマと、「論語」」のなかに示された、国内的亡命者という世の中と対等であるという生き方の問題をめぐる新しい解釈との言説的関係にわたしは関心をもつ。問題提起したいところである。今回は「論語」から引用した言葉だけを示しておこう。


「子の曰く、賢者は世を避く。其の次ぎは地を避く。其の次ぎは色を避く。子の曰わく、作(な)す者七人。」(憲問)


当然に次の文も深い関連性がみとめられるかもしれない。


「子の曰く、道行われず。筏(いかだ)に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由(ゆう)なるか。子路(しろ)これを聞きて喜ぶ。子の曰く、由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所なからん。」(公治長)


17世紀にはいって市民が芸術論を読みはじめた。15世紀とか16世紀ではなかった。なぜ危機の時代の17世紀だったのか?西ではヨーロッパは外部に出はじめた。東もみると、秀吉が朝鮮出兵へ行く。明を滅ぼしてしまったともいわれる。17世紀は芸術もまた外に出はじめた。さて差異が価値を生み出すとマルクスがはじめてこのことを言った。空間が価値をうむのではなくて、差異が価値を生み出すのである。しかし差異としての空間が世界から消滅したとき、差異としての時間がとってかわった。ゲームの規則が変わった。これからは時間が差異を生産する。ここでマルクスが言っていた事情は同じで、差異が重要である。時間が価値をうむのではなく、時間と時間との差異が価値(剰余価値)を生み出すのである。萩原朔太郎が憧れたパリは舟で二か月もかかったが、飛行機で9時間で行けることができてパリは消滅してしまう。パリは時間のなかに定位していたということがわかるのである。20世紀の大衆は失われたものを映画において読みはじめた。しかしあらゆる映画の表現は50年代までに消滅してしまう。もともと映画には未来がないといわれていた。1950年代後半から人々は過去の映画ー過去の映画を利用して制作された映画ーを発見した。フィルムを溶かして再利用していたブルジョワは古い映画の保管にビックリしたかもしれない。商品でなければなんの役に立つのかと?だがブルジョワの中から映画を保管する映画博物館の意義を積極的に理解するものもあらわれた。アナーキスト系アーチストの「ヌーヴェルバーグ」と名づけられた感化の大きな運動は、だけれどブルジョワが創造した世界の外部であったと言わざるを得ない


何度でも書くよ。ナチスを裁いたヨーロッパに出てきた極右翼と戦争責任をはたさない日本の(そのままの形で現れた)極右翼の差異を無視すべきではない。この差異を前提に、ヨーロッパにおいて2.5%の支持を得た極右翼は今日20%以上の支持。日本の街頭で直接行動する極右翼に17万票。2020年東京、毒キノコ増殖中!


MEMO

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ジョイスユリシーズ』の書き出しの言葉はStatelyで、最後の言葉はYes。この本はSで始まりSで終わる。Sを以って、終わりとはじまりとが繋がっているようにジョイスは書いた。これはアイルランドのことしか書いていないこの本が自己完結しているという印象を与える。問題は、トリエステ-チューリッヒーパリと書き記した最後の署名である。ジョイスアイルランドから出て7年間のあいだ色々な都市に転々と移りながら『ユリシーズ』を完成させていったことがわかる。アイルランドで書いた本ではないとはいえ、アイルランドを書き尽くした本である点を考えると、『ユリシーズ』の最後の署名にダブリンがはいっていないのはいかにも奇妙ではないか。なぜだろうか?精神分析かあるいは構造の知に委ねるべき表現の問題か?誰もわからない。多分ジョイス自身も。最後の署名は本を閉じるように自らを閉じている


子安宣邦氏の仕事が中国に受け入れられている理由として、中国におけるポストモダン思想の受容という背景があるようである。ポストモダン思想の用語を使うと、『朱子語類』が『四書』の読み方を変革して漢字文化圏のコスモスロジーを成立させたコード化であるとしたら、徂徠と宣長、篤胤と後期水戸学派は超コード化。中江兆民は脱コード化といえるだろうか。子安宣邦氏『漢字論』は、ポストモダン孔子漢字文化圏の占拠という意味で脱コード化による再領土化になるのではないかとわたしはかんがえている。「不可避の他者」という副題が必然だったのは、「それは他者を待ち、他者に開かれた言語への期待とともに増していった意味」だからである。


Artist who make "fragments "

ホホー、未来を思い出す部屋に、

求めあう表の世界と裏の世界があったニャ、

そこでは失うために失うことができた


十代のときから何か好きだったプロコフィエフ「ロメオとジュリエット」を現代バレーがどう構成するかを恵比寿の映画館で観てよかったな


ナチスは好んで農民の格好をしたがったし都会のユダヤ人はお洒落だった。農民が勝利する「サウンドオブミュージック」が人気があるのは無意識にファシストを応援しているからだとジジェクは聴衆に語った


「真実を言う人」それ自体は、それにこだわると、どんどん意味の幅が狭くなっていって、ついに、正直者は嘘つきが「私は嘘を言う」かぎりにおいてしか正直者でしかないということになる。変なの、だけれど人間の何かを教える。


現在に繋がらぬ消滅した先住民を分かった上で祖先とするヨーロッパからすると、アメリカは異常らしい(インディオは先祖ではない)。この差は何かと時々考えてみるのだけれど..



推敲中

Against the re-operation

by takashi honda


Let's put end to the no-ending

By civil interference

Against the re-operation, the manufactured consensus.

Poem ought neither to be so obedient a subject 

As to be just a friendly people

Nor should poem try to be an insular self-centeredness, 

The Tower of Babel. 

The alternatives are not 

The private ownership in Hiragana symbol

Or the public authority in Kanji character and the alapahabet. 

Even if the Tower of Bable isn't going to reach the blue heaven,

It is only collapsing to the pot of blood;being scattered and lost 

Let's be late with that joyful floating cloud <s> 

People really don't need any more an Imperial map, but...

Without passing through indignation and hatred,

A genuine absolute democracy is impossible.

Without absolute democracy,

The street will never drink an absolute love.

Without poem, 

How the street can become writing


現在に繋がらぬ消滅した先住民を分かった上で祖先とするヨーロッパからすると、アメリカは異常らしい。インディオは先祖ではない。この問題をどう考えたらいいのかと、ロンドにやってきた義理の叔父さんに聞いた。分析哲学は別として まだ評価も定まらなかったウィットゲンシュタイン(後期)を初めて日本に紹介して、言語を哲学の中心に置くことの大切さを言った人である。だけれどこのときは、彼はこの話題には関心があまりなくて、かわりに、カントの英訳は改良されてきたが、そのせいで現在アメリカの学生はドイツ語を読めなくなってきたこと、ギリシャの古典を原文で読むことの大切さを喋った。いま思い出すと、これは彼の答えだったのだろう。たしかにその通りで、アメリカはアメリカであるためには起源についての幻想などにかかわるべきではない。だけれどこれは反権力的ではない。起源に言及するのは、起源なき廃墟に繋がる無数の入り口をつくるためである。そうして国家と対等でそれから自立している言語の故郷に帰って行く。これがわたしが現代アイルランド演劇から学んだことなのだけれど。


箱根オフィーリアの小鳥のさえずりのように喋る態度に吃驚しない人はいない。衆人、憤慨し呆れる。市民生活の流れをとめる阿呆かと思えば真実を口にしてそれが鋭かったりする



‪L’unité d’une langue est d’abord politique. Il n’y pas de langue-mère, mais prise de pouvoir par une langue dominante, qui tantôt avance sur un large front, et tantôt s’abat simultanément sur des centres divers. ーD=G‬


「言葉の統一性とは、何よりもまず政治的なものだ。母語などというものはなく、支配的な言語が権力を奪取して、広く全面を占め、また同時にさまざまな中心を襲うだけだ」D=G


「魚に食べられてしまえばいいのに」。規範も規則も体系も。魚が存在する外部を世界の中心にする人文諸科学によって、自由に喋らせてくれ、沈黙を強いる構造にたいして

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第三世界の近代国家の歴史よりも古い大学は「壁」として表象されることがあるのは、その国に属しているが部分を為していないから。中にはいるといつの間に大学周辺の外に出てしまう


シェークスピアは女性蔑視の表現があり英国のパブリックスクールでは教えないが、ジョイスを読む。アイルランドの学校はシェークスピアを教えるが、ジョイスはヤバイのでダメダメ


私は底無しの日本のダメさに絶望する近代主義者ではない。永久革命の彼らのようには絶望しない。権利のない社会に反対するゆえに、語る政治的自由が無くなる香港の消滅の危機に絶望している


理念のない政治は政治的風景を極端にせまくしていく。と同時に、そこでは権利のない社会が出来上がってくるだけでなく、権利のない社会に反対できなくなる


アイリッシュがつくった映画の詩の呟きのような小作品があった。よく思い出せないけれど荒地だった。おれを石のなかからまだ外に出してくれないのかと石が彫刻家に話しかける..


アイルランドプラトン的な詩人達=彫刻家達が石からきいた呟き(「いつ私を外に出してくれるのか」)は、石が自然の表象から出してくれと告げているようだ。何も変えるな、全てが変わる為にと石の塊は言いたい。何にしても、永久革命的に、石を削ったりすれば必ず奥から何かが現れる筈だと考える近代主義者を嘲笑う


‪甲骨文は亀の甲羅や牛や鹿の骨のに刻まれた漢字の原初形態。聖人的詩人=‬彫刻家が石からきいた呟き(「いつ私を外に出してくれるのか」)じゃないの?‬

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オスカー・ワイルドはこういいました。アイルランド人は自分自身について完全なものを書く必要があると。何故でしょうか?アナーキストだったからです。


オスカー・ワイルドはこういいました。アイルランド人は自分自身について完全なものを書く必要があると。帝国オリエンタリズムが表象する“アイルランド人”が不完全であることを示してこそ自立できるからです。国家と対等で国家からの自立的私のあり方を書くこと。そうしてワイルドの精神を継承したジョイスは宇宙を構成する密度を以ってダブリンの一日を書くことになります。それを書くために「自分で決めた亡命」を行ったのでした。その本は『ユリシーズ』と名づけられます。‪ 「自分で決めた亡命」という自己規定は過剰な感じがします。国内に仕事口がないアイリッシュは英語教師という日雇いアルバイトトをさがしに大陸に行くのですから。ジョージ・オーウエルは亡命者について語ったことは「自分で決めた亡命」にあてはまるかもしれません。「故国を捨てた人間はどうしても根が浅くなる。画家に比べると、いや詩人と比べても、小説家の場合、亡命は大きな損失になる。ふつうに働いて暮らす日常生活との接触を絶たれて、街頭とか喫茶店、教会、売春宿、アトリエなどに視野が限られてしまうからである。」ジョイスの過剰な語り口からは彼の自信の無さが露呈してしまうようです。しかしサイードが注目していますがアドルノが言っていたように、亡命者というのは全体を見渡すことができるのです。亡命者の表をみるだけでなく裏からもみる視野から隠れるものは存在しないかのようです。これは特権のようなもの


柳田先生は体壁の構造を朱子学的に考えようとしていたこともあって、十代と二十代のときはイメージをもっていた。先生はもともと西洋哲学(サルトル)に関心があったので、構造主義の影響もあって、言葉が成り立つところの身体的表現の構造を考えていた。ある日わたしが読もうとしていたフーコ『言葉と物』に興味をもって読まれていた。ここできちんと説明できないが、少し紹介すると、例えば、言葉が百科全書的に整理されてくる身体の態勢(秋)が成り立つために、単純に拡大していく物の見方に必要な身体の態勢ー>懐疑的な物の見方に必要な身体の態勢ー>言葉初めありきに必要な身体の態勢(カント的?冬)ー>無限に遠くへいく静寂に必要な身体の態勢ー>全体と部分の調和がとれない身体の態勢(春)ー>原子的にいく分類するのに必要な身体の態勢(近代科学的?ニーチェ的?)ー> 言葉を必要としない打ち壊していくために必要な身体の態勢(マルクス的?夏)ー>過去へいく物の見方に必要な身体の態勢(プルースト的?)というように順番を考えておられた。残念なことにその柳田先生はアイルランド滞在中に亡くなられてしまった。‪演劇と同様に、身体の態勢がいかに言葉にとって大切であるかは学んだ。再び朱子学についてだが、朱子学の思想をほんとうに考えるようになったのはこの十年の間のことで、これは自分の健康のためではなく、アジアにおける思想史の捉え直しのため、議論するため


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パリのシューレアリストやチューリッヒの芸術家はアナーキストジョイスのような外国語の文法の勉強は屈辱的抑圧に思う。植民地国の芸術家は同化主義と闘う為に戦略的に受け入れる


What is Asia ?

1603 - 1868

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言説<漢字論>の平面


(漢字を語る言説文は子安宣邦氏『漢字論』に示されたものを参考にした)

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フーコ曰く、「ドンキホーテはその平原を際限なく巡歴するのだが、決して相違性の明確な国境を越えることも、同一性の核心に達することもない。彼は彼自身記号に似ている」。尾崎行雄は「明治末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語」を連想する


明治以降に成立した日本語=国語からそれ以前に存在した漢字・漢文を正当化する日本語=国語の言説は、明治は江戸時代とその漢字・漢文の実現を失敗したとは考えない。それが復古主義


いきなり現れた大きすぎる他者というか、中国の圧倒的存在感のもとに、「東アジア共同体」構想がまだ存続しているのか、存続しても中国における「東アジア共同体」構想となっているのかわからないが、「近代の超克」への問いは消えてしまったわけではなくて、中国は正確に理解できるかは別として、「近代の超克」への関心が高まっているらしいんだね。子安先生はインタビューを受けている。反響をもってネットで読まれているという。「なにを超克する」のか(「明治維新の近代」を?)を問うこと、そしてアジアにおける反戦平和のために、「誰のために超克する」のかをもっと彼らとともに考えることが可能だし大切であるとおもう


ポストモダン孔子の正体は?マリリン・モンロー毛沢東が結婚した道なき全体国家から逃げて筏に乗りて東夷の国にきてフクロウ猫になった...


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岡倉天心は、横浜に育ったらしい。太平洋の方向を見ていたに違いない。岡倉天心は、大人になって風貌が中国人になったりインド人になった。もしかしたら太平洋の方向に、中国とインドを見たかもしれない。もちろんそうだと言い切れないが、そうかんがえたらどんなことがいえるだろうか?この列島に、様々な文化の痕跡が流れ着いてきた、文明博物館という意味で「アジアはひとつ」。これほど、一つの原理に包摂されない多様性の方向をはっきり言い表した言葉はない。


「天」といえば、『四書』の「天」。ほかに、「天理」(朱子)、「天命」「天下」(仁斎)、「天の大徳」(徂徠)、「天祖」(後期水戸学)の「天」がある。ちなみに宣長は「天」を’アメ’と読んだので意味がわからなかった(そりゃそうだ)。明治は福沢が「天」に言及しているのは有名である。冗談みたいな話と思われるかもしれないが、岡倉天心の「天」はどうだろうか?これもやはり「天」の思想性をもっているのではないか。セザンヌの自然=西欧だが、ダビンチに遡ると、天=自然だった。さて岡倉の「天」は、ひとつの原理に包摂されない多様性という意味で、スピノザの「自然」と比べてみたくなるよね


まだ変な絵を書いていない...

この変な文を描いているからだ


チャーチル銅像ね。情報局は収容所の存在を知っていたので知っていたと言われるが、政府は英国に亡命したユダヤ人を追い返し拷問もしていた事実に彼が関心を示した様子がない


Heaven would shock the earth


推敲中

この絵をみたのは中学生のときで、たしかデパートの展示室でみた。なんの距離もなく、セザンヌにおける内部の中に立っているあの感覚。ここにおいて自分の感覚が方向づけられてしまったものだから、この内部から、正直言うと、別のものの見方を以てその自分の感覚をみることが長い間難しかった。ウィットゲンシュタインの表象批判を徹底的にやるロンドンに行くまでは、ポストモダニズムの解体的な批評精神なんかはそう簡単に受け入れることができなかったのだ...


‪海外で失敗した恥ずかしいことは決して忘れない。お手伝いしたスタジオにきたジャン=クロード・カリエールの物凄く重厚な雰囲気に圧倒されて何も喋れなかった自分を情け無く思って後悔していただけに、彼がその年のクリスマスのテレビで喋った大切な言葉を昨日のことのようによく覚えている。クリスマスの日にこそ、別のものを以って年末を祝う他の国が存在することも考えて、とフランス人に語った。カリエールは時々日本に来て大島渚を見舞いにきたようだ。日本の宗教の歴史をその問題を含めてよく理解していた。今日小田実のこの言葉も非常に大事だと思う‬。

「ごった返しの人ごみのなかを、日の丸をかかげて歩く一団の少年たちがいる。鉢巻をして、日の丸―いや、そうくだけて言うまい。日章旗を先頭にかかげて歩く。威風堂々―と言おうか、お正月は日本人のものだと言わんばかりに一団の歩き方、すこぶる武ばっている。」『人間みなチョボチョボや』1985



‪In praise of ‘Riders to the Sea’ (J. M. Synge)‬


アラン島の断崖に立つと、海そのものが死者だとわかる。なんて近いのだろうか、詩人にとって海というのは


ジョン・ミリントン・シングについては、アイルランドはシングの影響力を封じるために岩だらけの島に監禁していると例の調子で辛辣なことをジョイスは言っている。シングは所謂アイルランドの支配層エリートの生まれで、若いときは音楽の世界に入ったのは、まあ常套手段だが、落ちこぼれるための近道だったらしい。言語(ゲール語)の取り組みを比べると、イェイツはロマン主義的だが、シングはリアルなんだね。この違いをとらえることは大切だが、違いにこだわりすぎていけない。リアリズムと神話をもって考えていくこと。リアリズムと神話をもって考えていくこと。リアリズムでもないし神話でもないものを考えること。言語を集中させること、そこではもはや人間は存在しないが、あえて人間を表象すること。ジョイスの文学って、そうでしょう(文学はこちらの文がリアリズムと指示したりあちらの文が神話と指示したりすることはないでしょう。) 2020年の日本の若い人とならばこのことを一緒に考えられるかもしれないとおもう。ネオリベ自由主義での勝ち組ブルジョワのリアリズムが自らに対してどんな危機感をもっているかなんてどうでもいいことでだし、また彼らに対して行う天皇抑止論の説教もわれわれに関係ないことである。そもそもヘイトスピーチナショナリズムの神話ではやっていけないこともわれわれは知っている。


言語は外部に向かってコミュニケーションの主体になるためにある。つまり周辺諸国との関係の構築のために、又他の宗教の自由のためにあるとおもう。ところが帝国の言語はコミュニケーションの主体を情報の客体に置き換える支配の権力であった。情報とは選別と排除で成り立っている。近代国家の時代においては政治の独立に真っ直ぐ行く国家主義のもとに言語が権力化するという、一国民主主義の自立的一国言語(国語)の問題がある。隣人との関係また他の宗教の自由を書く普遍性が「借り物」であると物語る国家の中の普遍性しかなくなる。そこで、失敗した近代にたいして、対抗的に民衆史的観念が声の開かれた役割を強調するけれど、過剰に強調するとき、そのユートピア的言説によって、言語の他者性(近隣諸国との関係、他の宗教との関係)が再び奪われていくことが起きる‬。反近代も近代を構成している


19世紀に欧米の国家は奴隷黒人の売買をやめたけれど、第一次世界大戦まで民間会社が奴隷黒人を売買していた事実をロンドンのナイジェリア人に教えられて吃驚。自分の無知を恥じた


極右の街頭で外国人労働者を殴る連中が直にヨーロッパ議会選挙に出るなんてあり得ない。都知事選はどうなの?そもそも、ナチスの戦争責任が裁かれているヨーロッパに出てきた極右と、天皇ファシズムの戦争責任が裁かれていない日本における極右は同じ「極右」なのだろうか?同じ名で語られているけれど


‪ヨーロッパ近代の知からの自立の意義を理解できなければ、宣長が行った中国文明からの自立の意義も理解できないかもしれない。しかしほかでもない、宣長から、『古事記』という名の解釈的テクストの独立した存在が現れたのだ。これが日本近代である‬


築城の技術をもったノルマン人が戦争していた時代に、洗練された陶器が作られている宋では思想と文化が心性へ行く。しかしイギリスにあって中国にないのがマグナカルタである


商業はモノといっしょに知識をはこぶのだけれど、異文化体験をした形跡はまったくうかがえないらしい。そう言うのだからそうだろうが、グラマトロジー的に言うと、痕跡はかならずあらわれる、隠れているのではなくて... 「理」の字に書いてあるじゃないかと(笑)


朱熹が最初の任地として赴任した同安県は、泉州の町から西南西に60キロも地である。彼の理の哲学はこの地でムスリム接触した結果ではないかとする推測もある。話としてはおもしろいが、彼の文集や語録を見る限りでは、彼が異文化体験をした形跡はまったくうかがえない。...儒教がそもそも大陸の思想として生まれ、海に開けていなかったことが、華夷思想とあわせて、彼らの思考コードにイスラーム文明を取り入れさせなかった一因なのではなかろうか」(第九章庶民の生活 小島毅『中国思想と宗教の奔流』講談社より)


こうした人々は全体主義的な手口を奨励すると、いつかそれが自分のためではなく、自分に対して使われかねないということを理解していない。裁判抜きでファシストを収監するのが当たり前になってしまったら、そのプロセスはファシストだけでは終わらないかもしれない。

[ジョージ・オーウエル 出版の自由——『動物農場』序文]


江戸の儒者たちの関心は身体的儀礼ではなくもっぱら議論にあった。テクストを重んじる古学は、朱子学のひとつの原理に包摂する思弁性を拒んでいくうちに、朱子学脱構築的に解体してしまった。それは家族をどう理解するかの理解の仕方において理解できる。たとえばフェースブックを読むと、国別と人種別と性別に基づかない家族の多様な形があることがわかる。家族によって、敢えて表象的にこの言葉を使うのだけれど、人間が豊かになっていくのである。まあ、「仁」を豊かにするということ。これを考えるために、しかし心の形とか言い出すと、国の形でいわれる場合のように、本質が現象に現れるという本体と作用の関係に規定される教説的思弁に絡みとられてしまう。本体\作用の分割のもとで、「孝」は仁義礼智というひとつの原理に包摂される。「孝」は本体<仁義礼智>の作用であると。しかし日常の卑近をみると逆ではないか。儒者は再び朱子を読んで「孝」が仁を実現すると解釈したのである。この読み方から、江戸思想はひとつの原理に包摂されない多様性の方向をもっていたので、本体\作用の分割そのものをすてていくことになった。また江戸思想は同じ多様性の方向を以って、理と気の平行的関係を保った。理は只気のうえに佇むと(理の論理的先行性)。気が理のうちに解消されるというような理と気の関係を透明化することを否定した。

現在、江戸思想は、儒教が消滅しきった現在、言説をめぐって展開された論争を読み直す解体-思想史となった。この解体-思想史は多様性である。これと漢字文化の他者性とデモクラシー(現人神の復活を禁止した憲法)、この三本でやっていくしかなくなったとおもうのだけれど


要するに脱領土化、「私は方向を見失った……」(これは事物と思考と欲望をとらえる知覚であり、そこでは欲望と思考と事物が知覚全体を満たし、ついに知覚しえぬものが知覚される)。D=G


わたしは別意見。もちろんヘイトスピーチナショナリズムをはじめたのは安倍で、この問題をしっかり認識しなければいけません。日本はヘイトスピーチをやめるべきです。そうすれば安倍がアジアに仕掛けた互酬的ヘイトスピーチは終わるでしょう。次に考えることは、公にお互いに相手の体制を徹底的に批判しないので、議論してはならないとされているので、日本からヘイトスピーチが起きてくるのではないかという点です。議論すれば、第二次世界大戦は、太平洋戦争の4年間ではなく、事実上日中戦争を含めた15年間だったという相手の見方を日本人は知ることになるでしょう。

ヒトラーユダヤ人やジプシーや政府を批判した者を収容所で殺しておきながら、彼らは生き残れないとレッテル貼りした。ダーヴィニズムを社会に適用する過剰な言説に気をつけよう


     え  い い い

まだへんな  書 て な...

      を い い

このへんな文 描 て るから

      を


storyteller

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ホーホー、漢字は仮名の大地の何処にも属するがその部分とならないのは、漢字が先行するから。思想だって、後の時代の新しい思想の部分とならない權利をもっているニャリ


1648年はウエストファリア条約と清教徒革命の年。そう学校で教えられる。近代国家が作り出した学校で教えられる今日の感覚からすると、世界史はここから近代国家体制へ一直線で行く。しかしそうだろうか?そう単純ではない。ボイン川付近で、退位させられて1690年ウィリアム3世率いる英国・オランダ連合軍と、ジェームズ2世率いるアイルランド軍が戦った。つまりこのときはカトリックアイルランドカトリックのイギリス側で戦っていたのである。しかし彼らはプロテスタントのイギリスにとって反乱者とみなされる。昨日は体制側、どうしてこういうことになっちゃったのというかんじで今日は反乱分子である。この400年前から20世紀の内戦を考えよう。‪歴史を無視する21世紀の‬ブレグジットは思考停止


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 北アイルランド紛争に和解をもたらためにどうしたらいいのか?アイルランドにおけるサッカーのナショナルチームに向けた応援を芝居化した一人舞台をみたことがある。観客席の男は緑の旗と青の旗の両方をもっている。だけれど男はアイデンティティを前提にするかぎり、そのことによって、紛争当事国のどちらかの旗を決めて応援せざるを得ない。と、テロのニュースがはいってくる。テロを報復するテロのニュース。男はどうしたらいいのか、こんなはずじゃなかったと、まだ緑の旗をもつのか、再び青の旗だけを持つのか?不安と焦燥、無力感、応援できなくなってくる...


"You’re trying to leave yourself behind, but you can’t. The more you try to run away from yourself, the more you’ll have yourself with you." 

- F. Scott Fitzgerald, The Adjuster




MEMO

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“Many people in the West really don’t understand Chinese history and the deep cultural traditions that exist in China.”

ーFrancis Fukuyama


新自由主義新保守主義とともに成り立った所謂ネオリベ経済学は、言論によっては覆せぬケインズ経済学の絶対的権威に数学で挑んだが、その限界は80年代にはマルクス系が行ったネオリベ経済学の厳密な数学的再構成によって証明されてしまった。これによって新自由主義新保守主義は知的支えを失ったとわたしはそう考えていたのだけれど、これらはかえって自由に、節度なくというか、東京中心主義に対する異議申し立てを通じて何でもかんでも喋るようになる。かえって経済学は二次的な周辺の知に置かれることによって、普遍を語る中心の知を占拠しはじめたかのようである。しかしその内容は、伝統でも保守でもない明治維新の近代を称えるだけだったから、必然として東京の外に東京に対抗する東京を作る主張でしかなくなった。現在もしそれを東京の中で言うとしたらそのアナクロニズムに何と言ったらいいだろうか?日本新自由主義新保守主義は伝統と保守を主張しているときに彼らから遠ざかるものは伝統と保守の知だ。これを天皇抑止論者が批判するという現在の絶望(ただし、国家からの<自立的私>の課題を殺戮するこの言説は、新自由主義新保守主義ではなくて、構造主義からくるものだ。この場合、天皇を批判しなかった吉本は構造主義者の一部である。)伝統と保守の知は、学問と文化、経済、政治は、ひとつの原理主義に包摂されない空間のネットワークとして一体としてあったあり方を記憶している


推敲中

伝統と保守の知に依拠すると言うのならば、京都(学問と文化)と大阪(商業)と江戸(政治)が構成したネットワークのあり方を空間的に一体としてあった関係として考え直してもいいだろう。鎌倉時代と比べて統治の範囲が遥かに普遍性をもっていた江戸幕府のもとに、流通は物と共に知を運んだ。そうして商業空間から懐徳堂という学問の場が出来てきたのだ。歴史を参照すれば、現在のように学問・文化を経済と対立するかのように考えることはできない。経済は自己に定義を与えたときは、学問と文化による概念の再構成(「経世済民」)を必要とした。西欧の学問の語彙の多くは蘭学のこの時期に翻訳されている。おそらく翻訳がなければ明治維新などは不可能だっただろう。


ゴダールの編集では音楽作品を使うとき冒頭が使われることが多いのは何故か?スクリーン上の投射においてはじめて見える意識の塊をきかせようという現象学的企てだろう。このときエクリチュールを排除する必要もないとわたしはおもっているのは、サイレント映画現象学的に成り立っていたわけで..


「文法的だが受け入れられない」(grammatical but unacceptable)。

この原則をもっと言うと、ヨーロッパにおける文法の成立と展開を議論する論理と思考の自由があるが、そこに、何でもかんでもヨーロッパの思考を枠づける正当化が必要なのでしょうか?文法のある機能が失われたことを根拠に、ヨーロッパの思考が不完全になったと考えること。根本から問う学の知としては考えることができるかもしれないですが、どうもラディカル・リベラルの感じがしません。カント哲学における有限性の意義をみとめた反権力のドウルーズから影響を受けて考える哲学者に宛てて言うことですが、果たしてそれは現代思想多元主義の方向性をもっているのでしょうか?わたしはちょっと疑問なんですね


江戸万歳!は過ぎ去った。まだ江戸があるとしたら、武器としての江戸思想史である。これは、近代が「前近代」と見下す思考の平面ーひとつの原理に包摂されないーを打ち出せること


大正デモクラシーは戦争体制に邪魔されて不完全に終わったと戦後民主主義は言う。逆である。日本帝国主義の完成から始まる大正デモクラシーが戦争体制を推進したのでは?それは満州事変を準備する統制だった。大正は事実上明治末から始まった。日比谷公園焼き討ち事件、大逆事件大杉栄虐殺。関東大震災以降の右翼の台頭。大正の言説空間は偶像の再興と脱神話化との間に揺れ動く


「総理になったのは天命だ」と安部が嘘ついてないならばアジアは天帝が二人もいる。もはや国家でしかないのに自らを普遍をもつ帝国と錯視していたら他の住民から反発されて当たり前


 ‪天の絶対性は天罰として表象される。顔回を失った孔子は天を仰ぎ見るしかなかった。読むことが不可能な原初的テクストに意味を与えたのに学の継承者がいないと。われわれは天の主宰者としての意味を知ることができずに大地に立つのである。顔回の葬儀は簡単だが心を尽くして行ったらしい。‬


丸山真男の講座派を包摂した市民社会論は永久革命のラディカルモダニズムだった。吉本隆明はこの言論によっては覆せぬ絶対的権威の近代を問うた。竹内好が「近代の超克」を問い直した。そして祀る神は祀られる神である構造(天皇制)の問題が顕在化した後期近代の現在、思考の平面(昭和史)は自ら、昭和十年代に留まる権利を主張する


アイルランド内戦を描いた映画のラストでナレーションは、クーデターがもたらした「銃の政治は終わった」と語る。これはアイルランド映画ならではの<嘘のナレーション>として現れるものだ。さて明治維新150年で、明治維新万歳!をたたえるひとはもういなくなった。「植民地主義を終わらせた」と前置きしながら明治維新の批判を語ることが当たり前になったとき、昔教会の下の劇場でみた芝居は「明治はまだ生きている」と語ったことを思い出す。明治維新は嘘つきではないか?それは、「今こそほんとうのことを言う」と語るとき、銃で射殺してくるような暴力だ


イギリスにいたときは、契約書(保険)を作るときは第三者の承認が必要ですが、これは誰でもいいのですね、たまたま地下の駐車場にいた人にサインして貰ったことがあります。こういうのは現在の日本ではないのですね。


江戸時代は仲介者が介入する契約の成立のあり方に関心を持ちました。


議論のあるところですが、天皇の古代王権は近世まで存続していたとみる見方があります。日本は古代王権と武士政権との二重体制だったというのですね。律令制の外部で訴訟社会に生きた鎌倉武士たちは、一生懸命漢字を読み(僧侶から習ったでしょう)、漢字を読めない者は平仮名を読んで訴状を作るのですが、このとき中世の価値観である「お天道さま」に誓ったのかどうか関心がありますが、天の公を超える依拠に関するこういうことは文献として残っているわけではないのでどうも何とも言えません。


反省のない子供だったから先生からけじめノートを作らされた。写経のつもりで全ぺージを「けじめ」の字で埋め尽くした。けじめのないノートに呆れられた..


柄谷行人は、映画『ラストエンペラー』について書いた文だけか、読めるのは。彼は外部について書いた。この映画評で廣松渉から出なければいけなかった自分のことを考えたに相違ない


『忘却のキス』も医者が登場する。人間を問う文学は自らの為に、人間の内側を切り裂く解剖のイメージを求める。と私は経済学に成るー生命が死と直面する危険極まりない地域の側から


文学者に拘る知識人が帝国の経済学を書くと、経済学の中心には他者を無きものにする彼が惹かれる文学的解剖の欲望が見出される。自らの欲望を検閲している互酬性Xの語で隠蔽するが


権利のない社会と不平等に抗議する言論活動に対しては、米国の警察と香港の警察は外見的には変わらないです。もし「黒人暴動」が米国の大きさをもった香港で起きていると考えてみたら何が言えるでしょうか?グローバル資本主義の問題が地域的に「黒人暴動」の形をとっているのではないですか?それならば、この問題は此方の問題ではなくて彼方の問題なのでしょうか?


 ‪柄谷行人の「世界史」の動因は専ら戦争です。その意味でヘーゲル的なのですけれど、ほかにないのでしょうか?例えば津田左右吉は本を書いたときこの厚さが国家と対等な<自立的私>のイメージです。1970年代から重要になってきたのは、「私<と>私」は国家に巻かれても、ノマド的にウロウロウヨウヨ、ワイワイガヤガヤして巻き返すノマドの思想。帝国のノマド的デモクラシーに対する国家暴力を正当化する礼の言説は過剰だと思います‬


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‪Le Maître dit ; <Pour gouverner un État d'une certaine importance, il faut traiter les affaires avec dignité et bonne foi, cultiver la frugalité et la compassion, n'imposer de corvées au peuple que durant les périodes prescrites.>‬

‪Confucius, Les Entretiens ‬


此方の問題と彼方の問題は共通であるか?此方と彼方の差異を消去してしまうと、此方の問題も見えないし彼方の問題も見えなくなってしまうことだってあるだろう。しかし現在香港とアメリカで起きている問題は、此方の問題と無関係な彼方の問題なのか?そうだとはおもわない..



昔は単純でした。この時代はほんとうに複雑で色々なことを考えます。クリントン(旦那さんのほうですね)が「市場と両立する社会民主主義」と言い出してから、民主党共和党の差異がなくなりました。そして現在これが原理主義に包摂されるかのように、ツイッター世界からトランプが現れてきました。トランプは、何がなんでも彼を支持する4割の支持をもって全体意思をもっています。これからツイッターとのたたかいが展開しそうです。この風景と、儒教文化に包摂されるような中国の官僚資本主義の風景は、あえて書くのですが、びっくりするほど(笑)それほど違うものではありません。それは西欧の体制が中国に棲み始めたからです。毛沢東とマリリンモンローの結婚と揶揄されるポストモダンの風景でもありますね。しかし西欧と異なる決定的な一点があります。中国には土地の私有が一切みとめられていないことです。毛沢東にしたがった古参の三世、現在の共産党の超富裕層が海外の土地を買いまくり子弟たちを米英の大学に留学させていますが、もし文革のような反乱が起きると政府がまるごと海外に亡命しなければならないというような変な体制です。グローバル資本主義の分割として帝国アメリカがあり、帝国中国があるのですが、問題は、仲が悪いんだか実は支え合っているのかさっぱりわからないこの米中の構造のことばかり考えていたら、迫害され命がけで声をあげる人々が見えなくなるし彼らが何を言っているのか考えられなくなってくるでしょうね。


「私は何を希望することが許されるか」とカントは問いました。わたしはこの文の意味を考えています。は、言語的存在である「私は何を知ることができるか」と道徳的に要請されている「私は何をなすべきか」の後に続くこの言葉が一番大切だとみるひともいます。なるほど、こういう時代だからこそ大切な問いかけです。日本語の「希望」は、輸入してきた中国語の「希望」が意味するようには存在していないときいたことがあります。

「希望」の語はいつ、一般に使われるようになったかに関心があって、大正かしらと思うのですが、資料的根拠がありませんからテキトーに喋るのですけれど(すいません)、ただ、大正の「希望」は、明治の「希望」とかなり違うと思うのですね(大正の希望は人間と等身大というか。) 江戸時代に「希望」に対応する言葉はあったでしょうか、無いかもしれません。昭和の希望?大江健三郎は「希望」という言葉を書きますね。戦後文学がはじめて罪悪感を問題にしたということをかんがえると、戦前は罪悪感なき希望だったのかな?

中国知識人が「希望」という字を使って書くときはものすごく絶望しきっている自分の状況を表明するときだけだという話を子安宣邦氏から伺ったことがあります。知識人に対する弾圧は、現在の体制のことだけでなく、2500年続いていることだということを知りつつあります。昔、30年前ですか、中国映画(『学校の先生』等々)を沢山見た時期があったのですが、共通していたのは、希望にたいして絶望しきった態度でした。


「私は何を希望することが許されるか」というカントの文に戻りますと、絶望し切っているところに、「私は何を希望することが許されるか」と問うているあり方を中国映画から学んでいたのだとやっと理解しつつあります(遅すぎですね..)


 ‪グローバル資本主義の分割として帝国アメリカー表象”アングロサクソン”ーがあり、帝国中国ー表象”中華世界”ーがあるのですが、問題は、仲が悪いんだかそれとも実は支え合っているのかわからんこの米中の構造のことばかり考えていたら、そして日本の中で何言っても無駄な乱世にすっかり慣れてしまっていたら、迫害され命がけで声をあげる人々が見えなくなるし、彼らが何を言っているのか考えられなくなってくるでしょうね‬


ハーメルンの笛吹き男の話が好きだった。現代は小説を書く男が「天皇の大御心をききたいみんな」を拐うのは笑わせてくれる。ただ青年将校達も初めは冗談でやっていたつもりがね..


『漢字論』は、不完全な理解ですが、二度読みましたが、『朱子語類』を読んでいただいたおかげで、第三章を発見しつつあります。私達は漢字訓読で読む過去の母語への距離があるのですが、わたしは不勉強ながら、講座で中国の友人たちと出会えたこともあって、彼らにとっては過去の母語を17世紀の注釈で考える距離を知り、彼方と此方の間で漢字を一緒に考える面白さというか 問題意識が深まりました。同じ対象(思想)をみているときに、言語が現れることの不安、絡みあっている距離の二重化とでも言うことができるでしょうか、これは何かと気になっています。また『朱子語類』の読みと平行して行った講座「明治維新の近代」で津田左右吉の音声化のラディカルモダニズムの視点を批判的に考えてきましたので、また第五章を読んだら時枝の別の物の見方をもっと理解できるかもしれないとおもっています。


...文の影響かもしれないとおもうけど、絵をスケッチしてみたら画家ベラスケスの筆が闇を切り裂くナイフみたいになっている。画家は二重化によって王の場所に立っているが、王の視線=画家の視線という等価はあり得ない。そういう同一化は二重化を無意味にしている。仮に同一化を指示するときはそれは絶望しているときだけだ。絶望こんな本質的なこともどうして理解できないのか呆れるが、この種の近代の権威主義は、バロックの絵ーどこに立つかの偶然を利用して従属から逃れる精神ーを鑑賞することが無理なのだろう。このこと自体も近代の入り口に描かれた絵が映し出すのであろう。『言葉と物』第10章を読むときこの絵は役に立つだろう。歴史主義は、人間が自身を権威とするような内部に絡み取られる結果、非歴史化された人間像を思い描くのである。


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推敲中

先人の遺文とは書かれたもの、今風にいうと、エクリチュールということらしい。ただし先人の遺文イコール書物ではない。伝説的にいうと、孔子は書物をつくりだしたという。孔子の前に、書物は存在しなかった。仁斎の大意(子安訳)を読んで面白いとおもったのは、学問はその初めが大事なのだれど、もっぱら文章を学ぶことを重んじる。だが、「古えにあって徳行と学問とは、別のことではなかった」という。その「徳行」の意味はなにかという問いが起きるが、すくなくとも、行為とか行動の質が問題となる行いのこと。学問と行いは切り離していけない。講義がはじまった4年前にこれを読んだときの私の勝手な理解であるけれど、エクリチュールを中心にした脱構築的解体にとどまらず、そこから、市民として何をするかということが問われているようにおもった。


推敲中


普遍主義といえば、ヨーロッパ。その中心にフランスとドイツとイギリスがある。そういう国々の中心的近代は自らを(自らが想像した)古代に表現しようとする。日本近代と大和王権の関係がそうである。(現代人は古代劇の仮面を以て自らの姿を隠す、あるいはそれによって自らを表現しようとする。)ただし、中心があり、切り離してはならない外部がある。アイルランドの近代は、中心的近代とは異なる、非連続性の思想をもっている。例えば、古代との文化的同一性を強調してみたところで、19世紀にはゲール語は消滅しきったのだから古代を読む方法がないのである。そしてゲール語は植民地時代に、たしかに抑圧は存在したけれど、アイルランド人自身が生活の必要から捨てたのではないだろうか。ジョイスの「ユリシーズ」が言いたいのは、連続しているのは、アイルランドの民の生活だけだ、そして知識人の言説のあり方から独立したような実体としての文化的同一性などが存在するわけではないということ。古代人は現代のブルームのお面やモーリーのお面を手にもっている。このことは、過去からの連続性はあっても同一性はないとということを書いたのが『ユリシーズ』であるとわたしは読む


こういうマスクもありありじゃないでしょうか。ただしジョイス文学では古代ギリシャ彫刻がかぶっているようですけどね。偶像再興の和辻ならば仮面を被るのは仏像ですが?脱神話化の津田左右吉がこれを否定し尽くす?ギリシャであれアジアであれ、これは何をあらわしているかはっきりわからないですけど、現在の関心に即していえば、普遍主義の再構成は起源の再構成をともなうこと。普遍主義と起源を無制限に再構成すると、人間があらわれてこないこと。無制限を制限するときに、人文諸科学の成立とともに存在する人間という自らを起源とする永久革命(破綻した)があらわれること。人間が消滅した後は、無限なき有限性。決定的な分析の空間に広がるのでもなく、上昇する絶対の領域に向かうのでもないような、絶えず境界線がズレていくしかない、破片としての部分的全体性。言語が定位する起源なき廃墟


象徴性を過剰に超える統合性は国民主権を危うくすると憲法も警戒しているのに、どうして、自分たちに不利になる方向に惹かれて行くのでしょうか?構造だからでしょうか?たしかに、天皇ファシズムとは、現人神である天皇が国家祭祀を主宰する無制限の権力ー憲法に書かれないーをもつ構造でした。ほかでもない、ここから、天皇は植民地化したアジアに向かって大御心を語ったとき、‪全体主義軍国主義の方向が一致しました。‬だから現在この歴史を知っている人たち、もっと自由に喋らせてくれと要求する人たちは、戦前のように再び大御心をみとめることは不可能です。構造を超えるためには、国家祭祀の禁止に依拠するしかないではないかとわたしはおもいます。

象徴性を過剰に超える統合性は国民主権を危うくすると憲法も警戒しているのに、どうして、自分たちに不利になる方向に惹かれて行くのでしょうか?構造だからでしょうか?たしかに、天皇ファシズムとは、現人神である天皇が国家祭祀を主宰する無制限の権力ー憲法に書かれないーをもつ構造でした。ここにおいて天皇は植民地化したアジアに向かって大御心を語ったのです。だからこも歴史を知っている人たち、もっと自由に喋らせてくれと要求する人たちは、戦前のように再び大御心をみとめることはないのです。現在まだなお構造と力について語る価値があるならば、構造を超えるためには、国家祭祀を禁止する力に依拠するしかないではないかとわたしはおもいます。


「知識人が真の知識人といえるのは、形而上的で高尚な理念に衝きうごかされつつ、公正無私な、真実と正義の原則にのっとって、腐敗を糾弾し、弱気をたすけ、欠陥ある抑圧的な権威にいどみかかるときなのだ。」ーサイード『知識人とは何か』

「形而上的」がアジア形而上学ではダメなのか?「理念」は仁斎学における道徳性では足りないのか?「真実と正義」の普遍について横井小楠は何も語らなかったのか?「欠陥ある抑圧的な権威」は戦後も現れてきた現人神ー祀る神は祀られる神の構造ーのことではないのか?

‪オフィーリアと呼んでいる母が茅ヶ崎にいてこれが猫のなかの猫みたいな存在なのだが、気紛れの猫に愛されるのだって難しいのだから、猫の猫に愛されることなんて...‬


ベートーベン生誕250年


ラス・メニーナス』の複雑な構成は西洋絵画の分野では盛んに分析されたが、最近手に入れたフーコ『言葉と物』の表紙のように枠付けると、絵は単純である。絵のなかの臣民が見ているのは、ほかならない、王の身体、”御真影”である。再び絵の中に画家の姿を構成すると、絵は複雑になる。近代の絵画は描く画家の姿を描かないのである(マネは例外である。)

さてだれがどこに立つかは偶然であるとするのがバロック芸術の大前提だ。画家は王が立っている場所に立っているが、そうでなければならぬという必然性はない。画家はたまたま立っていたかもしれない。王もほんとうにそこに立っていたのか?壁にある鏡のなかの王の姿も殆ど消えそうではないか。フーコは王と画家と人間が同じ場所に立っているというとき、彼はそう考えてみたらどういうことが言えるかと読者に問うた。三者はあたかも鑑賞者のわれわれが立っているところの裏側から部屋の内部を見ているようである。このとき臣民と見つめ合っていると考えるひとはナイーブすぎる。事後的に、見つめ合いの場が描かれただけで、現実はモデルの常として臣民たちは全員バラバラの方向を見ていただろうーバスケット選手たちのように。ベラスケスは隠蔽しているが、どの視線も他の視線に従属しない。視線と視線は重なりあうことはない。重なり合うのは画布の表側と裏側だけである。バロック芸術の本質は折り曲がることにある


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宋の時代に遡ることですが、『四書』においてはいわばバベルの災厄とフーコが呼ぶ事態が起きていたと理解しています。朱子が行ったことは‪『四書』の読み方を変革して言語(ランガージュ)の奪回をはかったことではないでしょうか。東アジア世界のコスモポリタニズムの成立です。本居宣長の「天地初発之時」から漢字的意味と思想とを追放したことは、アジアにおけるバベルの災厄と比べられますが、しかしこの場合は普遍性の奪回ではなくパロール的バンダリズムbandarismです。音声化のラディカリズムと能記と所記の隙間なき網目の成立。隣国同士で互いに何を喋っているかわからないナショナリズムはここから始まったとも考えてみることがゆるされるでしょうか。「日本人」の成立です。子安先生が「宣長大好きな日本人にとってこれは最悪な本」を書いてくださったおかげで、「日本人」にとって思考できなくなった最悪でもまだ何かの思考が残ることを教えてくださいます。文化の他者性とは何か?この本こそは、他者の言語の存在を思考させてくれます!‬



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恵比寿で蕎麦を食べていたら、ローゲを思い出すような稲妻にびっくり。ワグナーの『指輪』は力だけが支配する善悪なき世界であると言われるが、それではファシズムの世界だろう。しかしそうではない。ワルキューレブリュンヒルデ(娘)と神々に君臨する主神ヴォータン(父)との間の議論ー長々と続くのでウンザリさせらるけれどーに、ギリギリの倫理的要求がある。

(下はベルリン・ドイツ・オペラ1987のパンフレットより)

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嘘は人生に意味をあたえることがありますが、場合によっては嘘は他者から人生を奪ってしまいます。演劇界のハロルド・ピンタがイラク戦争で嘘をついたブレア首相に抗議する形で言ってました。芸術は嘘が必要であるけれど、政治家は嘘をついてはいけないと


Le projet de se peindre soi-même pour instruire le lecteur semble original, si l'on ignore les Confessionsde saint Augustin : « Je n’ai d’autre objet que de me peindre moi-même. » (cf. introspection) ; « Ce ne sont pas mes actes que je décris, c’est moi, c’est mon essence. » 


墓のように鍵がかけられて本居宣長の他に誰も入れない『古事記』の部屋から、本居宣長は脱出していたかもしれない。記号<『古事記』>は古代人の心をあらわすことが不可能なようf:id:owlcato:20200608202240j:plain


私は高校生のとき小林秀雄が好きでしたから、自分の力も知らずに、いつか批評家になりたいとおもっていたのでした。思想史的に言うと、50年代にマルクス主義批評(例.丸山真男)が終わったときに、小林秀雄が大事になったといわれます。小林は自分が戦犯なのかわからないまま、喋る続けますね。そこでテクストを通じて自分を語ることを良しとしたのです。『本居宣長』を書くときは、テクストを通して宣長の心を語ることを良しとしました。そして宣長も『古事記』を通して古代人の心を語ったはずだと。私の心=宣長の心=古代人の心。遠方から友がやってくるようにこの等価式が成り立つはずです。しかし実際は上手くいったでしょうか?子安先生が指摘なさるように、宣長の心をいくら追いかけてもうまくいかないのです。結局かえって、テクストを通じて私は存在すると言うことは不可能であると示してしまったのだと私は理解しています。(公の知であるマルクス主義にたいしては、「私」が存在しないと小林はみとめるわけにはいきません。)宣長は古言を解釈するためにただ方法として古代人の心を想定しただけです。とにかく小林が本居宣長において行ったことは、同時代的に、ウィットゲンシュタインがやったことをやった勇気のある探究だったとわたしはおもっているのです。小林秀雄からこのことを学びましたーテクストを通じて存在するのは公を超える天だけだと(これは吉本の言葉を借りると「信の構造」です)


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そもそも世界地図でカイロがどこにあるのか指させないような読者たちが、「カイロ大学歴詐称」自体に怒ってもね(笑)。カイロでなにを学んで、何を言うかということが非常に大切だったと思うのですけれどね。一般的に言って、どこの現地の知識人たちは外国人に話を聞いてもらいたいのですから、大学の周辺にいてもかならず何かを学ぶ機会がありますし、帰国後の勉強が大切になりますが、何とか日本を外からみる視点をもつ可能性だってあるでしょう。レジャーランドの時代に舛添ゼミで一生懸命勉強したこのライターの本は大学のイメージにたいしてノスタルジーをもちたい人たちに訴えるのかもしれませんが、大きな視点でみると、明治時代から同じ体制を続けている西欧の学問中心の、戦後三世代めになった日本の大学。そして、もともと黒塗りが得意ではいってきたひとたちが三代目、四代目となって今日オンライン授業で教える時代の大学ではないですか(笑)。

嘘に怒っている人たちは、何でしょうかね、安倍晋三時代にあってナイーブというか、本物にこだわる起源に関するナショナリズムがあるようにおもいます。昔は国籍不明の感じの原節子でしたが(右翼とは知りませんでした)、今日はアラブから来た小池が演じる起源のオブセッションを嘲笑った、節操のない映画ぐらいのものだと思えばよろしいかと。イスラムのことも考えなくてはとおもうために、できれば、アラブの言葉をもっと使っていただきたかったでしたが、今回は投票は彼女の公約実行で判断すればいいとおもいます。わたしはまったく評価しません(私は東京の投票権ないですけれど)




MEMO

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17世紀といえば「危機の17世紀」。この「危機の17世紀」にヨーロッパは外部へ出た。実はアジアも外部へ出た。その17世紀半ばからヨーロッパでは芸術批評が一般の人々に読まれることがはじまった。それまでは特権的な階級だけが読んだ。これは偶然だろうか?これについて、子安先生から大きな宿題を与えられてしまった。素読だけれど一年かけて芸術理論の歴史を読んだ。『仁斎学講義』(ぺりかん社)に書いてあった通りだ。ヨーロッパもアジアも外に出なければ、天を見ることができなかったのだ。21世紀のわれわれは「危機の17世紀」に依拠して生きているのだけれど、「危機の17世紀」は19世紀に帰ることによって隠蔽されてしまっている。だけれど内部に帰る必要がないのだ、そのことは1970年代と80年代に明らかになって来た


推敲中

1950年代迄に映画はそのあるゆる可能性を尽くしたといわれる。映画は失敗したまま完成してしまったというか、とにかく、映画に未来はなかった。映画は、トーキーの時代に忘却されてしまった過去の映画を読み解いていく映画の痕跡を拾い集めるだけである。例えば『野生の少年』(トリフォー、1969)のように。ここからはじめて、分節化された映像のなかに、それをつくる人間の姿ー物語のなかに分節化されないーが投射されたのである。それまで映画は視野としての映像しかもっていなかった。21世紀に映画が消滅し切ったとしても、1950年代から、スクリーンは自らを見ている投射をもっていたから、他者からの問いが成り立たつことができた。その問いとは、存在しないものが存在しているのではないかという倫理的なものである。この問いは、映画が存在していた時代には不可能であったことは説明の必要もないだろう。





『江戸思想史講義』(子安先生著)の中国語訳


「本は世界のイマージュなのではない。本は世界とともにリゾームになる。」(D&G) これは、もし世界が帝国を意味しているとすればどういうことが言えるだろうか?世界は、言語支配者の帝国の中心は、自己の思考(朱子学コスモロジー)にもとづく言語マイノリティーの周辺の非思考へ行くとき、帝国としての本はそこに他者をみるだろう(17世紀江戸思想)。また今度は、本は、帝国としての本は、世界のすべてを包摂しているにもかかわらず決して十分ではないと感じられるとき、世界は外部へ行くのである、他者をみるために。宗教マイノリティーとの関係、隣国との関係を帝国の中の他者として考えはじめることだってあり得る


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<イギリスの料理>は権威に質問しない社会のイメージだし、映画『戦艦ポチョムキン』は腐肉のイメージを以って<われわれは真実に値しないのか>という曖昧な観念を明確にした


昔は冤罪を国家犯罪と呼んでいた。検察の正義感の暴走が国家犯罪の原因か?否。彼等は事実が無くとも、「犯人が必ずいる」という国民の期待に応えるのだ。裁判官の責任が大きい。


小泉と安倍の場合のように、国民の圧倒的人気をもって首相に選ばれれば必ず間違いをおかすが、少なくとも田中角栄は日中国交回復を実現させたアジア主義の政治家の一人だった


フリッツ・ラング『M』(1931)は誤解されてきた。ナチズムとして描かれているのは、ベルリンの連続殺人犯ではなくて、犯人を包囲していく警察とブルジョワの協力、そして今でいう自粛警察の側である


何でもかんでも喋る「パレーシア」の民主制を揺るがしかねない問題があるらしいが、何かこれは、知識人ではなくて政治的責任をとらなくていい文化人になりたい人が多いことも関係するのかしら?知識人は宗教について語るときは宗教から距離をとる。たとえば儒家知識人は原始儒教の祖先崇拝を否定しないが、自らを孔子とか聖人に同一化することはなかったのである。本を読む仲間の間で、思想(史)のことを議論しているのに、宗教の中から何でもかんでも話しはじめちゃう熱心な人が痛いよなあ



歓喜の歌(喜びの歌)An die Freude」


Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium. Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum!

歓喜よ、美しき天来の霊感よ、エーリュシオンの娘子よ、われらは火のごとく酔いしれ、至高なる者よ、なんじが聖所に入りゆく」


‪慶応三年のヘボン和英語林集成」初版から二十年間で約15000語増加した。その殆どは(国産の)漢語だった。物の見方がネイティブ化していくと、その中あって別の物の見方をするのが大変難しくなる。漢字文化圏のアジアの近世から日本の近代を解体できなくなる‬。

国産の漢語については、例外なく、‪日本近代の成功をもたらしたものとして‬称賛されるのだけれど、敢えて言うと、失敗だったのではなかったか。そう考える根拠は、100%過去を捨てきった日本だけに抵抗が起きてこない現在を考えると明らかになってくる。もっとも国産の漢語がなければ、翻訳による近現代演劇も、近代批判をはじめた『言葉と物』も読めないのだから、決して単純に「過去へ帰れ』と言おうとしているのではないよ。ただ、江戸時代よりも遥かに差別を生み出した明治維新の近代なのに、それが推進した<一国>民主主義と自立的一言語の体制(『国語』)が失敗だったと考えてもよさそうなのに考えることが出来ない理由は、これを国産の漢語だけによって考えようとしているからではないか。


自民党政治家が’#検察庁法改正案に抗議します’は「考えていない」と言ったが、対抗メディアのおかげでこの人は生まれてはじめて「考える」ことの意味を考えたようにみえます



渡辺一民氏は、フーコ『言葉と物』第十章「人文諸科学」を読むときは、他の学者と違って、本の最初の頁、ベラスケスの絵とその分析の言葉を絶えず思い浮かべながら読んでいるとわたしに言った。そういう風に読むのは僕だけだよと。この違いはなにをもたらすのか?現在第十章を再び読みながら考える。


「かくて画家の至上の視線は、ひとめぐりすることによって、その絵を規定する潜在的な三角形を得るのである。つまり、その頂点ー可視的な唯一の点ーに芸術家の眼、底辺の一方にモデルのいる不可視の場所、他方に、裏がえしにされた画布のうえにきっと素描されているに違いない形象がある、そのような三角形をだ。(Foucault LES MOTS ET LES CHOSES)


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1758年分類学の父リンネは、ヒトを以下のような形態的特徴に基いて新種として記載した。

1. 直立した時に、頭の重心は両足の間に収まる。
2. 骨格は、直立二足歩行を支えられるしくみになっている。
3. 前足(手)の付け根は体の両側にある。
4. 後ろ足は前足よりも長く、かかとがある。
5. 体の表面の毛は薄く、ほとんどの皮膚は裸出する。

こうして私たちヒトは、動物界脊索動物門哺乳綱サル目ヒト科ヒト属サピエンス種という分類階級が与えられた。

同様に形態的な分類から、私たちは、ヒト科の中ではチンパンジー属がもっとも、次いでゴリラ属が近縁であり、オランウータン属はかなり縁が遠いとされた。近年では、DNAの塩基配列に基づいて系統分類を行うことが普通になったが、その結果、動植物においては形態による系統分類とDNA系統分類が大きくはずれてないことが判明した。


‪ウイルスの問題を考えるときは<いかに\しなければならない>を語る。また不景気の問題を考えるときは、(非常事態宣言の解除時期をめぐって)<正しい\正しくない>を語る。そして言語の問題を考えるときは(安倍の理念なき政治を語ることについて)<意味がある\意味がない>を語っている。ウイルスと不景気とナショナリズム、この知の三角形を考えるための思考の共通の平面はなにか?


‪ ‪鎖国とは何であったのか?

鎖国ほど評判の悪いものはない。ここでわたしは、鎖国とは何であったのかかんがえてこれを擁護しようとしれいるのは何故だろうか?21世紀に、世界資本主義の分割である帝国の時代に、‪市場至上主義の新自由主義的経済秩序から自立した‬鎖国の人類史的意味を考え直してみようというのである。

欧米の資本主義的生産と交易圏の拡大要求が軍事力を以って東アジアに達し、中国を侵犯しはじめた近代に鎖国がとられた。徳川時代鎖国は本当にそれほど鎖国だったのか?たしかにキリスト教を禁じた。しかし徳川的近世の民は、外部からの文化の接触によって豊かに成長していく文化を理解していたからこそ、東アジアの朱子学の普遍を積極的に学んだ。その結果、普遍の中心へ行っているとおもっていたが、それとは正反対の方向、多様性の方向へ行っていた。では普遍をもとめる知は再びどこに現れるのか?西欧に普遍があるならばむしろそれを受け入れるために国を開く準備をしていたのではなかったか(横井小楠)。子安先生の北京講演で、方法概念としてのもう一つの「近代日本」が問題提起された。近代主義が語る世界史にたいして、もうひとつの日本の近代(徳川的近世)からは、統一政権の成立、全国的交易・流通網の成立、民間教育の普及、都市と都市的生活圏・文化圏の成立のあり方を理念的に見渡すことができる。‬


こういうのは芸能人の橋下が無思想に要領よくうまく解説してくれると思いますが(爆) 、これは法の思想の根本にかかわる非常に難しい問題です。これは大変な議論になってしまうので、教科書的なことについてなら実定法理解の落ちこぼれのわたしのような者でも一言二言、言えます(言えるかもしれません)。古典的には、つまりリベラル的には、原則は法は行為を罰して人を罰せず、です。だから構成要件の賭博行為が犯罪を構成するというふうに教科書に書いてあります。古典的には、構成要件に該当する違法性の疑いのある行為が犯罪を成立させる可能性があるとかんがえていいとおもいます(もちろん学説の争いがあり)。その構成要件を読む限り、単純賭博より常習賭博のほうを重く罰しているのは(前者は2年、後者は3年)、法が人格性を裁こうしていることの現れですね。これについても学説の争いがあり(といっても、常習性のある人と賭博したときの常習性の共犯性の成立の範囲が問題にされるだけ)。思考の順序として、構成要件的には、違法性の疑いのある行為のなかに、責任要素である人格的要素を含ませているのは引っかかりますね。カントの道徳論を知っているひとは引っかかるのですが、犯罪「者」から社会を防衛しようと考える刑事政策というか政策しか関心のない人は引っかかってきません。古典的には、検察官が悪人かどうかは判断してはいけないのですが、実務に影響力のある刑法学説のなかには、行為の存在論的構造を重視して、悪人であるか、生い立ち遡って悪人になったことに責任があるかなどを問題にしますね(汗)。最後に、”程度の問題”というのはその通りで、構成要件に該当する違法性の疑いのある行為だとしても、可罰的違法性があるかどうかによります。


大島渚『絞首刑』の中で描かれていたように検察官というのはもっとも国家のイメージを体現していたが、現在は安倍の国家のカジノ化に奉仕する市場資本主義のイメージになってきたね


機関説と申しまするは、国家をそれ自身に目的を有する恒久的の団体、一つの法人と観念いたしまして、天皇は法人たる国家の元首たる地位にありまし、天皇憲法に従って行わせられまする行為カ、即ち国家の行為たる効カを生ずるということを言い現わすものであります。(演説「一身上の弁明」)


政治の問題は操作とコントロールの問題だからどうしてもそれについてばかり話すことになる。否、政治が芸術と市民エシィクスとセックスと想像力と一体としてあると語るのは誰か!?


資本論』を語ってごらんなさい。しかし『資本論』を語ったところで何一つ語ったことにはならない。繰り返して読んだこだわりを語るだけだ。これではわれわれは笑うしかない‬


資本論』を語って御覧なさい。しかし語ったところで何一つ語ったことにはならない。繰り返して読むこだわりー自己同一の全体主義ーのほかは。これではわれわれは笑うしかない‬

無とか空は、過去の日本映画の存在を思い浮かばせる起源なき廃墟のイメージの傍らにある反コスモスである。コスモス=ロゴスを見上げることなく終わりまでここに佇んでいたい


推敲中

アイルランドにいたときに宮田氏が柳瀬訳の問題を検討して新しい訳をはじめました。宮田訳の魅力は、柳瀬氏が読む経験を重んじるとしたら、見る経験を重んじているようにわたしはおもいます。また『ユリシーズ』の中国語訳がでた時代ですね。何年か前にFWの中国語訳もでたらしいです。1980年代に翻訳が充実してある意味ではじめて本が活発に語られることになったのですが、結局は、「読めないUnreadable」というのがこの本について最初に言っておかなければいけないということになりました。「我読まれず、ゆえに我あり」と自己主張しているような天下無敵の本です。しかし読めずとも、世界中の言語に翻訳されている翻訳を通して、すこしづつ理解されてくる本ではないだろうかと。そうだとしたら、FWはまだ完成されていない本ではないかというようなことがいわれています。常に新しい言語による翻訳を必要としています。翻訳が翻訳されるべきものを少しづつ完成させているというのか、翻訳が先行している、何という世界でしょうかね


What true feeling for their hayair with what strawing voice of false jiccup

ーFinnegans Wake

偽のしゃっくり藁声で干し草髪を撫でるときがサイコー

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FOCAULT LES MOTS ET LES CHOSES

まさにブランショの言う通りで、イメージの傍らに無が佇んでいる...

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推敲中

読んだときは、「アンチ・オィデプスー分裂症と資本主義」も読めるようになるのではないかと期待したものだった。この本はそれ自体として読むに値するとおもう。これを読んだとき、時間の意味を考えた。そして時間の「構造」ー時間そのものの分裂ーを理解して驚いた。単純化を恐れずにいうと、分裂は多元主義である。時間が、憲法と同様に、<われわれ>の拠り所となるのは、われわれの<あいだ>に分裂を生産するからではないか。


西欧は、マルチカルチュアリズムの到来にあって、普遍主義の規律を他者に強いることを躊躇った。「グラトモロジー」のデリダは、反植民地主義を言えば足りたルソー主義とマルクス主義を痛烈に非難。同様に、サルトルだけでなくレヴィ=ストロースも、「本来性」に定位する、音声中心主義的起源の普遍主義と告発された


バザンやゴダールたちの観察がすごいのは、遠近法という物の見方を倫理的にとらえてみる方法なんだね。美術史は倫理的な視点はない。そうすると、これを徹底して、映画史における物の見方だけれど、映画はカラーではじまってもよかったが白黒において現れたのは、映画というのは死に対する倫理的感覚をもっていたからだというように物語られる。


20年まえのトリエステに旅したときのことですけど、夜のアドリア海の雷鳴なき稲妻を眺めていたら、海のトリトンのナイフの輝きを思い出しまして、アニメよ、ありがとうと呟きました。たしかにおっしゃるように、テレビではないのですけど、赤塚さんの漫画は貧しくて差別されている子どもたちを主人公にしていたのを思い出します(「おそ松くん」?) 好きでないですが、イタリアで受けている「タイガーマスク」の孤児院とかは差別された世界ですよね。あと、幽霊が新聞配達する漫画を描いていた人の「僕は十円」」。昇華というのでしょうか、彼らから生まれてくる想像世界の大きさに圧倒されることも(海のトリトンもそうかもしれませんでした)。私がいたアイルランドのようにみんなが貧しくあった時代なので自分を惨めに感じていてもそれほどではないのですが、イギリスのように貧富の格差があるとめちゃくちゃ自分を惨めに感じ続けるんです。日本の話ですが、たまに流れてくる現在のアニメを見るのですが、惨め感を非常に巧みに表現できるんだなと感心します。豊かさが前提となっている、欲望の偶像に届かない距離を心理的に描けます。世界中にある差別にどんどんそこに繋がっていくというポストコロニアルワールドの大きな普遍主義を表現していくのは難しいでしょうね。ちょっとうまく書けていませんが、そういう違いを思います。しかし現在も、どうしたのか、学校に行かないのかしらという心配子供って道端にいますよね..


マリー・アントワネットの処刑はフランス革命軍国主義を思わずにはいられない。閔妃を集団レイプした殺害事件は長州藩テロリズムが行った明治維新の性格を考えさせる


20年前トリエステに旅したときのことですけど、アドリア海の雷鳴なき稲妻を眺めていたら、海のトリトンのナイフの輝きを思い出しまして、アニメよ、ありがとうと呟きました


コロナの経験からは国を越えた次元で取り組むことの大切な意義を学んだのではなかったのでしょうか?もう一国中心主義とネオリベではやっていけません。発想の大転換が必要。しかし都知事選は時代遅れの東京ファーストvs.時代遅れのネオリベ的東京集中主義


子安先生のおかげで、早稲とその周辺で、市民大学講座を私は9年間参加させていただきました。この間に、『仁斎学講義』、『日本人は中国をどう語ってきたか』、『歎異抄の近代』、『「大正」を読み直す: 幸徳・大杉・河上・津田、そして和辻・大川』、『帝国か民主か: 中国と東アジア問題』、『仁斎論語』が出ました。また韓国では『漢字論』の訳が出ましたし、中国では『江戸思想史講義』をはじめ先生のお仕事の数冊の翻訳がコレクションとして出版されました。大変な時期ですが、講座「明治維新の近代」の出版が待ち望まれます。また早稲田から、先生のおかげで、ひまわり運動が起きた台湾に行きましたし、岡倉天心本居宣長の地を訪ねる思想史遠足にも行きました。早稲田とその周辺の9年間は、私たちは市民という立場で自発的に考えることの意味を考えることになった意義深い9年間でした。また私にとっては反原発デモや反安倍戦争法(共謀罪)デモの現場の意味を考えるために必要な場所でした。このときに行われた小田実を語る講演会は重要でした。まだまだ学ぶことが多いですが、先生のもとで、これからも考えていく続けるつもりです。ご好意に甘えて申し訳ありませんが、今後はどうぞ「仁斎論語塾」の飯田橋でよろしくお願いします。


‪リフィー川とは、世界は本とともにリゾームになる流れのこと。流れとは、こういう環境で言説が分節化されたと理解できないような知の次元における出来事‬


なぜマルクスは商品の分析から書きはじめたのか?それは商品世界は読むことができないからである。だからこそマルクスは商品を象形文字と考えてみた。どういうことが言えるか?『資本論』の価値形式論は、エクリチュールの媒介と共に成り立つ叙事詩的世界を書く。都市の無意識。商品達は自らを表現するために他を殺戮する。命懸けの飛躍とは声が死者達を祀る俯瞰ではないか。共産主義は弔う場所もなくなった亡霊として徘徊するだろう

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この方は一定期間ですけど十年前わたしのアイルランドについて書いたツイッターの投稿を時々読んでいました。ネットに対する関心をもっていたようです。グローバリズムにおける「サブカルチャー的な知性の台頭」を問題にしているようですけど、どういう切り口で語るのか知りません。若い人たちは知識人ではなく、文化人になりたがるー日本文化の他者性を考える方向に行かないーのは、責任をとらなくてもいいという、ここが問題だとおもうのですけど。笠井さんは小田実みたいにわかりやすく書く知識人が嫌いですし、そもそも知識人の意義もみとめていないとおもうのですね。彼は暴力革命をみているのでしょうが、「暴力革命」は正しくは「暴力暴力」と言うべきです。どんな革命も支配者が変わるだけ。そして革命である以上兄弟を殺戮する罪をともなう暴力を不可避的にもっていること。このことを前提に、わたし自身に対する自己批判も含めてわたしの世代のリベラルは革命がなければ日本は変わらないということを喋ってきたのですね。無血革命を念頭においているからですが、これは自己欺瞞的です。革命は必要がないのですから、リベラルは革命頼りにみえる見方をきっぱりやめて、外部の思考をもって日本文化の他者性を主張しながら、(開発と戦争と同化主義はどんどん進むのに)政治を喋る自由がない、権利のない社会に反対するラディカルリベラルになるべきだというのがわたしの考えです。ラディカルリベラルは、グローバリズムの国家中心主義の戻らなくてもいい時代だからこそ成り立つ「世界史的」立場ではないかとおもっています。


そうでしたか、さすが廣田さん、しっかり読まれていますね。「無限転向のラディカリズ」ですか、簡単ではないですね(爆)。わたしは戦争協力なき「転向」をみとめるので、これは悪くないかなとおもうのですがね、ズバリ、永久革命のラディカル・モダニズムを言いあらわした言葉ですね。小田は、戦後の平和主義者は戦前軍国主義者だったことを指摘して、自分みたいに根のない者は戦後も変わらないと言っていますね。笠井さんは多分大衆主義(大衆が知識人であるとする考え方)のわりには、大衆が読めない文を書くというか、それは構わないですけど、むしろ望ましいのですが(笑)、その点で、震災以降非常にラディカルになった小田実は、もともとツイッターの先駆けのような文を書いていたようですが、ウロウロウヨウヨ、ワイワイガヤガヤの知識人像をもちはじめて、非常に平易な文を書きはじめますね。彼は大学時代は古典ギリシャ語を勉強した大変なエリートですが、ギリシャというのは、好んで戦争をやっていたのはダメだが、ウロウロウヨウヨ、ワイワイガヤガヤしはじめたのがいいと。学のあるひとは、神話の想像力から演劇を経て哲学的知へ、と言うところを、小田は「ウロウロウヨウヨ、ワイワイガヤガ」と言うことができるのですね。

わたしは永久革命のラディカル・モダニズムを支持しません。『論語』は中には時代遅れのくだらないことを書いてありますが、それらを解釈されたその通りに受けとる必要がないわけですから、『論語』を読む「有限転向のラディカリズム」ぐらいの人間交際を尊ぶ思想的位置と機能がいいかなとわたしは自分でおもいます。最低限度、宗教の自由と家族の自由(独身の権利をみとめたうえで色々な形を平等に認めた家族。外国人との結婚。同性愛の結婚等々)を社会にまもっていくという考えにいきます


安倍「あの、わたしはルイ16世と同じではない。民主的に選ばれたから」。その通り!独裁者はローマのネロ以来、選挙でしか出てこないのですから。ヒトラーも、そしてあなたも


捏造と改竄も問題ですが、錯誤も問題です。捏造と改竄は置き換えですが、錯誤は隠蔽的同一化です。第二世界大戦を太平洋戦争と同一化する問題のある錯誤があります。日中戦争という十年近く続いた戦争(満州事変を考慮すれば15年間)を隠蔽し続けています。アメリカとの4年間の戦争だけだったとするこの錯誤が、歴史修正主義(南京虐殺は無かったとか、日清戦争日露戦争侵略戦争ではなかった)といっしょに機能している現実に、戦後の日本人ってなにを認識しているのか?ということになります。この認識問題をついて考えるのですが、”本物”の戦後の民主主義から都合よく考えようとするから、所詮”偽物“の戦前の民主主義のもとで起きたひと続きのことを真剣に考えてみることがないのかもしれません。全体主義戦争は悲惨なことは悲惨だったが、偽の民主主義がもたらした偶然的事故だと。しかし日本民主主義は明治維新というクーデターから成り立ったのです。この民主主義が天皇に権力を集中させたまま帝国主義化して昭和十年代の全体主義戦争へ行くことは必然でしたでしょう


新聞記事(アイリッシュタイムズ1997)はアイルランドにやってきたアルトーについて書いたものです。メキシコから帰還してきたアルトーは、アイルランドへ行き、2週間滞在したここからフランスへ強制移送されました。わたしは彼がアラン島からダブリンにもどってきて拘束されることになった場所の近くに住んでいました。拘束されたときは、僅かなお金と劇作家で詩人のジョン・ミリントン・シングにあてた手紙しか持っていませんでした。それから聖パトリックに返すために持参してきた杖ですね(アムステルダムの骨董品市場で手に入れた?) 残念ながら、現在アイルランドはこの歴史を知るひとがほとんどいませんし、この事件から知的な影響を受けることはなかったようです。さてフランスで送られてきたこのアルトーを最初に診断したのは精神分析ラカンで、彼は芸術に深い理解がありましたが、「これはただの馬鹿じゃないか」と吐き捨てたことに、ガタリラカンの限界をみたようですね。ネグリによると、『アンチ・オイデプス』は「器官なき身体」のアルトーにおける単独性を語ることを課題としていましたが、『ミル・プラトー』は、関心がアルトーからマルチチュードスピノザへ移って、‘リゾーム’という語で語られることになった、融合状態(en fusion)のノマドのあり方ではなかったかということらしいです。フーコ『言葉と物』の殆ど最後で、バベルの災厄以降散逸した言語がどこにおいて集中することになったかを書くときに呼び出されたのはアルトーだったかもしれません。「アルトーにあっては、言説としては拒まれ、衝撃の造形的暴力のなかに奪回された言語(ランガージュ)は、叫び、拷問にかけられた身体、思考の物質性、肉体に送りかえされる。」‬


推敲中

l’analyse de Sartre dans la Critiquede la raison dialectique nous paraît profondément juste, d'après laquelle il n'y a pas spontanéité de classe, mais seulement de <groups en fusion>...Le véritable inconscient...est dans le désir de groupe, qui met en jeu l'ordre moléculaire des machines désirantes (Deleuze & Guatteri)



存在とはなにか?    


1、存在とはなにか?ドン・スコトゥスアルトーは、この石が分割不可能であること、この身体が分割などはできはしないことを主張した。存在の問題は、分割不可能性と関係している事を見抜いていた。同様に、スピノザ「エチカ」によると、自然たる神は分割できないゆえに、存在と関係していると考えた


2、ハイデガーは普遍主義を存在論的に攻撃したあげく、結局はネガティヴな瞑想に、君が代的「世界内存在」に後退した。しかし天皇主義的ゲットーの分割を破壊せずして存在の開示性などは成立するはずがない。普遍主義的な自然=神の内側で生成される多様性(差異)を抱きかかえる努力こそ存在なのだ!


3、大阪府朝鮮学校への補助金見送りを決めたが、このような、プロパガンダ的に捏造された<わたしたち>と<かれら>の間隙が天皇主義的ゲットーの分割をなすものだ。「存在とはなにか?」、この問いを常に政治の次元において生成させること、「アンチ・オイデプス」のエッセンスはこの一点に存する


4、今日一国で起きた事件は蜘蛛の巣の振動の如く瞬く間に世界に伝わる。アラブの春は反原発へ、シティーの集会はウォール・ストリートの占拠へ。現在民衆の反抗はナショナリズムに結びつくがそこにマイノリティーの権利が保存されなくてはならない。自然=神の内部に多様性が保存されなくてはならない


5、アメリカと日本は、ドゥルーズの本にとって、"祝福された聖地"となっている。パラノイアvsスキゾという視点は益々重要となってきたが、ただ病理学的症状に依拠したこの言葉遣いは誤解を招き皮相的な理解に陥る危険がある。直線的普遍的思考vsリゾーム遊牧民的思考、として捉え直すことが有効だとおもう


アナーキズムかタオイズムかに関わらず、七十年代毛沢東主義が本当にそれほど、八十年代天安門広場<占拠>が求めたように、官僚資本主義の克服を求めたかどうかが、九十年代において問われなければならなかった。これが無かった。知的な怠慢の代償は何だろうか。恐らく九十年代ポストモダニズム知識層の現在のあり方に関わる問題ではないだろうかと少しづつ気がつき始めた


Pourquoi l'Europe, pourquoi pas Chine? A propos de la navigation hauturière, Braudel demande; porquoi pas les navires chinois ou japonais, ou même musulmans ? Porquoi pas Sindbad le Marine? Ce n'est pas la technique qui manque, la machine technique. N'est-ce pas plutôt le désir qui reste pris dans les rêts de l'Etat despotique, tout investi dans la machine du despote

(Deleuze & Guatari; L'Anti-Oedipe)

いったいなぜヨーロッパであって、中国ではないのか。...欠けているのは技術ではないし、技術機械でもない。むしろ欠けているのは欲望であり、それは専制君主国家の網の中に捉われたままで、すべて専制君主機械の中に備給されたままではないのか                                                                                   


死を観念としてとらえること。この国の哲学者は観念としてとらえないから真に世界に通じる哲学になりえないと見抜いたのは、三木清であった。ところが思想が死を観念ではなく、社会的な身体的記憶としてとらえるかぎりそれは断つべき過去を持続させてしまう。(この意味で、戦後憲法天皇を象徴化というよりは観念として構成したとみるべきだ。戦前ファシズムとの連続性を切断している。)

この問題はわたしを、1980年代の思想空有に連れ戻す。近代の眼差しで社会的身体的記憶として死をとらえるのが、構造主義である。ドゥルーズはのパラノイアと呼んだ。そして構造主義パラノイアは、共同体の基底に「女の交換」を想定して、近親相姦の禁止を解釈することに成功した。これに対して、「アンチオィデプス」のスキゾ的注釈は、徹底的に、死を分裂化(観念化)する反撃にでた。絶対主義王制家族にある、近親相姦の禁止を破る過去を断ち切る欲望を対置していくー


「東アジア漢字圏の批評理論は可能か」(林少陽氏)という問題提起を知った。本を読んでいないので正確に理解していないけれど、これを読んだ子安氏の江戸思想史の新たな読みに結びつけようとなさるようにみえっる問題提起を読みながら、ヨーロッパアルファベット圏(ラテン文字圏?)の批評性の条件もちょっと考えてみた。音声中心主義のラディカルモダニズムで漢字よりも、(デリダが言う意味で)アルファベットが文のなかに存在するとはいえないのである。アルファベットの不在を問うことなく、それなのに存在していると錯視しているアルファベットで考えると思い込んでいる。アルファベットのもとに自分たちこそが普遍主義に定位しているとおもっているとしたらこれは何か?これと同様に、音声中心主義のラディカルモダニズムがもたらす漢字の不在を問うことなく、確固と存在してきたし存在していると錯視している漢字で考える批判性が可能だとおもっているゆえに、批評空間をもつ自分たちの文化に優越性があると主張する。帝国は帝国である所以は帝国が漢字文化圏であるからだが、帝国の中に漢字という他者が存在するのかと敢えて問う。漢字は存在することは存在するが、問題は漢字は不可避の他者なのかという点にある。では危機感をもって音声中心主義の認識はいつから起きたのか?清?もっと前の朱子の宋代から?荻生徂徠はどう考えたのか?すでにデリダのように考えていたのか。「東アジア漢字圏の批評理論は可能か」という問題提起に近づいてきたような...


MEMO

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" 向こう側にある『歎異抄』はみえる。朱子の『論語』はこうであるかもしれない" (子安先生の『歎異抄の近代』講義(板書)より)


「天」=「公」の記号=は何かと時々かんがえる。この等価記号によって、「天」の領域=「公」の領域とのあいだの距離がなくなるということであれば、「天」と「公」は互いに一致した<点>となった?そうして絶対無限と絶対的平等性は<点>である。この<点>は漢字を不可避の他者とする日本文化の他者性の平面にのっかっているのだろと私は考えてみる。するとどういうことが言えるだろうか。ところで対象的思考を構成しない思考(ノエシス)の球(これも平面にのっかっている)が国家祭祀に絡みとられると、日本知識人は「公」を超えて考えることができない(天皇の超越的視点からしか国家をみることができなくなる。その視点は絶対無限としての天ではない)。これが日本人の意識を与えながら意識から逃れる問題であるなどと色々勝手にかんがえはじめた。だけれど明治維新の近代の失敗を<一国>民主主義(結局帝国主義)だけで解決しようとするのはこうしたことによるのではないか。『歎異抄の近代』は、再び『伊藤仁斎の世界』と読むとともに、青土社三部作である『国家と祭祀』『近代の超克』『和辻倫理学を読む』を読みなおす必要を感じている。


JOYCEの’FINNEGANS WAKE’


これは、天と地のギャップ(上昇と下降)を書いたジョイス的表現です。



Sandhyasはジョイスの造語です。三つの言葉から出来上がっています。Sanctus(ラテン語で「聖なる」の意)、Samdhi (サンスクリッド語で「薄明」や「平和」の意)、Chante(フランス語で「うたえ」の意) 

「聖なる夜明け」と訳されますが、もっと形而上学的に、天の「至高者」ー絶対無限ーではないかとおもうようになりました。「至高者」は共同体に平等を与えます。

天は絶対無限、公は絶対的平等性。天は公より上にあるということです。


Sandhyas !Sandhyas!Sandhyas!


Calling all downs. Calling all downs to dayne.Array! Surrection. Eireweeker to the wohld bludyn world.O rally,O rally,O rally! Phlenxty, O rally! To what lifelike thyne of the bird can be.Seek you somany matters.Haze sea east to Osseania.Here! Here! Tass, Patt, Staff, Woff, Havv, Bluvv and Rutter 


聖なる夜明け!聖なる夜明け!聖なる夜明け!すべての邦に目覚めを。すべての邦に夜明けをもたらせ。一条の陽の光、復活せよ!エールウィーカーが善きダブリン世界へ誘われ、おお、光!おお、光!おお、光!あらわれよ、おお、光!吟遊詩人の比類なく素晴らしい人生。かくも多くのものがあらわれたのだ

東の海H・C・Eは、島々にその姿をあらわす。さあ、さあ、タス通信社、トン・ツートンと叩く一物が打電中、アヴァス通信社、パンに、牛乳に、ロイター通信


思想史は親不孝の始まりと言われる理由は?思想史では確立された物の見方が絶えず解体されることを学ぶから。思想史は自らも解体する。解体思想史= 別の見方+ 別の見方...


武器としての鋤。英国をやっつけるナポレオン海軍がアイルランドに上陸しようとしたが、迎えた反乱農民達の鍬を見てこりゃ駄目だと帰ってしまった。パブでこの時代の民謡をきいた


あの柄谷行人ですらカントを消去してまで『資本論』の読みへの拘りを示したが、日本知識人の『資本論』の読みへの拘りは日本だけに起きるという意味で日本ファシズムを構成する。歴史的に、日本知識人は、天皇(祀る神)に規定された視点の枠組みで国家を俯瞰してきたように、19世紀を見渡しただけの『資本論』を純粋に読んで他のものは考えないと言いながら‪『資本論』に書いていない21世記の国家を呼び出す。ここから、社会主義を理念としてもつ帝国としての国家像とか言いだすの?


民主主義とは統治するものと統治されるものとの同一性であると憲法の教科書がそう教えるようにその通りに理解すると、統治するものは腐敗するし統治されるものも腐敗してしまう


何でもかんでもカネがモノを言う社会ではやっていくなくなるんだから権利の無い社会に反対して自由に喋らせてくれをもとめる声、そして日本文化の他者性。この二つが黙らされるという危機感が検察庁法改正案に対する抗議という形をとる。「検察庁法改正案に抗議します」が単純に増える、それでいいんだ


推敲中

方法としての「歎異抄」- 子安宣邦歎異抄の近代」の感想文 (本多敬)


1、方法としての「歎異抄


 世界資本主義の誕生は12世紀に遡る。富の蓄積は教会に。逆に貧困の進めが貴族に大流行した。聖書の字面から貧困を学んだフランシスコは、平等を説くマルキシズムよりも遥かにラジカルだった。同時代の親鸞は、往生還相へ行く。教行信証の学問僧の教えは、ウィットゲンシュタインにおけるラジカルな哲学復帰を喚起する。「言葉と物」「外部の思考」のバタイユブランショアルトークロソフスキーの読みの問題は、二十世紀の解釈学に、17世紀の注釈学的視線がいかに遅れて批判的に介入してくるかを考古学的に考える問題であった。ポスト構造主義の「歎異抄の近代」では、二十世紀の昭和思想に、十二・十三世紀の「歎異抄」、「教行信証」が介入してくる。やはり、子安氏の親鸞にアプローチする方法は、仁斎の「論語」にアプローチしてきた方法を踏襲している。「歎異抄」という<読むことが不可能な>テクストを、近代がいかに解釈し、そこのとによって自らの言説を構成してしまうことになるのかを子安氏は検証してきた。つまり、「歎異抄の近代」とは、方法としての「歎異抄」になっていく必然性があったのである。


2, 三木清を称えよう

 ー死を徹底的に観念化する世界思想性から疎外されている日本人の限界をみた


滝沢ー西田の「弥陀本願」は、超越者を侵犯していくために必要とされた超越者の思想的な措定であった。その措定は、日本の土着的な汎神論的自然観とは鋭く対立した。が、倉田百三 (「出家とその弟子」) と 丹羽敏 (「菩提樹」)、この非常に大正的であり自然主義である故に'日本'的な作家であるこの両者が、滝沢ー西田の超越者の思想的措定を台無しにしてしまう。それは、テクスト「歎異抄」の内部に、'親鸞'という超越的な<起源>を見出すことによってである。このことは、「歎異抄」の暁烏敏の発見とは無関係にあらず。暁烏の「歎異抄」の発見はひとつの神話としてあったから。その正体とは、近代が発明するー自己の肖像画の為にー''親鸞'を実体化する言説だった。滝沢ー西田の超越者の思想的措定が真に意味をもったのは、三木清においてである。そのラディカルな批評精神は、<戦う国家として自らを自らの為に祀る国家>を拒む。戦争国家が自らの栄光を称えるために自らを一体化していく象徴的な<過去>を拒む。そのために三木は「末法」を導入する。「末法」を自己と世界との間に介入させる。他者としての「末法」は、<死に切った過去>しかもたないから、そこにおいては国家が自らを永遠の超越者として勝手に祀る余白が許されないだろう。「歎異抄」の三木の「末法ー内ー存在」は、ハイデガー的和辻の「世界ー内ー存在」を超える。子安宣邦歎異抄の近代」の課題は、この反時代的な三木においてまだ書けなかった問いの部分を書くことにあった。即ち、絶対的他力者は現実の社会でどう生きていくか?


"もう何も失うものがないからこそ、何かを獲得することができる"という人々は、原発憲法を失ったかわりに何かを獲得できるとばかり安倍内閣を支持している。それによって限界なくグローバル資本主義に絡みとられていく。それにたいして、"もう何も獲得できないときにも、なにかを失うことはできる'というのが、私の他力的な構成。原発と軍隊とグローバル資本主義から何も獲得できないときにも、失うことができるそのなにかとは、自己のなかで、息苦しい全体主義に対してなお捨てきれずに抱いていたかもしれぬ、再びかれらがなんとかしてくれるのではないかという曖昧な僅かな希望である。

 「末法」とは、安倍の集団的自衛権原発体制の近代である。無力な無数のひとりの人間が、われ=われ。いわばこの絶対的他力者について小田実「世直しの倫理と論理」(1972)が語っていた。小田実が生きていたら何を言うか?永遠に巻き込まれることに、STOP ! 巻き込まれながら巻き返していく。


3, '精神主義'の清沢満之エピクテトス的抵抗


 日本軍の慰安娼婦の問題は、日本の戦争責任の問題である。「他国にも同じようなことがあった」は、日本の戦争責任を曖昧にする許し難い態度です。これと同様に、今村仁司等のオタク知識人達ーいわゆる'フランス現代思想'ーが、日本の暴力の問題についてレヴィナスの暴力論(ナチズム)を援用するとしたら、やはりそれも日本の暴力の問題を曖昧にしていく許し難い態度ではなかったでしょうか?例えば、今村は清沢満之を語ったとき、清沢が直面した暴力の問題を語るべきでした。明治時代は国家の時代でした。したがって必然として清沢満之が衝突したのはまさに、この国家だったのです。具体的には、国家が教員制度を通して宗教(真宗)を管理しはじめたことに、清沢は激しく抗議したのです。「精神主義」の清沢満之エピクテトス的抵抗は、たとえば鈴木大拙における浄土の国土的表象からはかけ離れたとものです。しかしこの清沢の怒りは、今村のようなヨーロッパとの同時代性を誇る'フランス現代思想'の知識人たちには決して共有されることはありません。いかに国家の暴力が'無限'(清沢)を囲い込んでいくかということにかくも鈍感であること、これは近代から現代の日本知識人たちの立ち位置を端的に示すものです。


4, 「歎異抄」は近代の知識人を惹きつけたように、野間宏吉本隆明をは惹きつけたのだろうか?否・・・


吉本は親鸞から宗教を差し引いたとき全部が無になる危険性を避けるために、「思想詩」「思想劇」で条件づけたのではないだろうか。詩のモローグ性と演劇のダイアローグ性は異なる。しかし「思想詩」といえ「思想劇」といえ、吉本自身の声を語っている上で両者に大きな違いはない。かくも他者の名で、ずーずーしく(笑)、自己自身を物語ったのは、ほかに、「本居宣長」の小林秀雄ぐらいだろう。が、この思想は他者を語れなくなる。これが「最後の親鸞」の吉本のパラッドクスだった。詩人はいかに、自分の思想の壺の中から親鸞という他者の名の蠅を脱出させるか?それが問題だ。

ところで、野間宏「わが塔はそこに立つ」の場合は、近代国家という壺の中にはめ込まれたものをただ「民衆」と呼んでいた。マルクス主義的な歴史観の内部に見出した「民衆」が文学の語りの内部に再発見した父的'親鸞'の固有名において重ねられていくのは、和解できない<過去>を大地に埋めていくようなカタルシスというほかないのである。

それにたいして、「最後の親鸞」の吉本隆明は、自らの思想を自己移入的に「信」と「民衆」(野間)の内部に根拠づけることはしなかった。知識人の「俗」(「大衆」)に寄り添いながらも「俗」(「大衆」)でない、「信」と「不信」の間への脱出を考えていたからである。そうして外部の愚者と成った蠅は、<往相>と<還相>を行き来するだけである。


 「吉本が親鸞についていう<衆生>は、服部や野間がその親鸞論でいう<民衆>の対極にあるというべきだろう」(子安)

「戦後思想としての吉本の発言をほかならぬ吉本のものとしたものが<大衆の原像>であったとすれば、吉本の親鸞を吉本の親鸞論にするものは<衆生の原像>であるだろう。'親鸞にできたのは、ただ還相に下降する眼をもって<衆生>のあいだに入り込んでゆくことであった'という言葉には、吉本にしかできない親鸞の読み方がある。(子安)

「<非知>とは親鸞において<非僧>;である。<非僧>とは寺院的知識の体系を負った僧における自己否定の運動である。知識人が己の知識の自己否定を続ける知識人の運動を<非知>と見れば、最後にうたる親鸞をこの<非知>の運動を貫き通したものとみなされなくもない。」(子安)


近代知識人が語る「歎異抄」の言説しかないのである。思想の問題とは、言説の交通の中に囚われた人間が、これに巻き込まれても永遠に巻き込まれないようにと、いかに批判的な外部性に存在するかにかかっている。その外部性は、自己自身の声からは見ることが不可能なほど外部にあるに相違ない。吉本のレトリックがいうようには、思想が自己称賛の詩と演劇の声に依存するのは無理だ。思想を読むこととは、外部から自己自身を規定してくる読むことができないエクリチュール性を見ることであるー他者の眼差しのうちに、壺から脱出した蠅の眼差しのうちに(外から窓をたたいている)


5、「歎異抄の近代」を読むことの倫理性


 最後に、「歎異抄の近代」について自分が書き綴った感想文について顧みる。本というのは、作家のこだわりに座礁していると中々読めないもの。これは‘異様なもの'をまえにした直観の揺れかもしれない。そういう場合は、この子安氏の本の感想文のように、何とか諸々の要素に分解して分析していくと読めるのかもしれない。しかしそうして本の出口に立ったとき、最初の悍ましい違和感がすっかりと消えている。最後の最後に来て、分析そのものが無意味に思われてくる。本当に読んでいたのかと疑いはじめる。(この空白感は、直観と分析は共通のものが無いことを告げているのかもしれないーカントがいうようには統覚的な枠組みがない)。「歎異抄の近代」についても、やはり序章で引いた言葉にかえっていくのである。結局、原初的テクストの言葉を提示するだけで十分だったのだ。感想文などは余計な解釈である。原初の言葉を称えよ!なにも変えるなーすべてを変えるために!!


 「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」


 「念仏まうしさふらへども、踊躍歓喜のこころ、をろさかにさふらふこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらふべきことにてさふらふやらんと、まうしいれてさふらひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、ただ唯円おなじここりにてありけり」


政治に抗議するときは、別にその人を芸能人だと考える必要がないでしょう。政治評論家のプロは知らないかもしれないが、市民は自分の頭で考えて正しいことを言うことができます


ポストモダンの70年代と80年代に近代主義批判が展開された。国家から自立した人民peopleの方向をもって、国家と対等である自立的私を確立するという課題があった


「それぞれの近代」を方法としてもたなければ、「世界史的な近代」に埋没してしまうこと、埋没してしまっては、近代を批判的に相対化できないし、文学を読むことも難しい


芸能人がかくも尊敬されるのは彼らが難しいこととされる私のプライベートな感覚を公に伝える大きな力をもつからだろう。尊敬と軽蔑は一体である。尊敬は、抗議する市民にたいする軽蔑から、軽蔑の言葉を口にするのかもしれないが、「歌手は歌だけ歌っていればいい。」と言ってくる政治評論家のプロが出てくる。



17世紀近代の芸術の原点は、表現の外に依存しない鏡の中の如き表現(一つの包摂原理なき多様性をもつ表現)を追求して成熟していった。現在アーチストは「職人技」と呼ばれるのを恥と感じる場合があるのは、官僚的反復とみなされたくないからかもしれない。(しかしこの点については、現代のアーチストは、中世の職人の仕事は神わざだったという記憶もあるし、文化人類学によるブリコラージュ的な視点も知っているので、単純ではない。) 問題はもしもし官僚的反復ならば作品は表現の外に依存しているということだ。ところでナチスは退廃芸術展をやった。ファシズムによる「政治の美学化」は表現主義の芸術を酷く怖れたのはなぜだろう?わたしは関心がある。これといった答えはわたしにないけれど、やはり表現主義の作品には起源というものが感じられない。爆撃の悲惨を描くときは、そこに起源なき廃墟を表現できるアーチストたちは多くはユダヤ系であった。ナチスは起源ある廃墟にこだわった。連中は起源をもたないのにネットワークをもっているではないか?これが、根無し草の大衆を一つの起源に向かって組織化したいと望んでいる「政治の美学化」(全体主義)を畏怖させたのだろうか..?


‪5年前に、子安宣邦氏の著書『帝国か民主か』(社会評論社)を書いた。これを読むと、現在は、5年前とくらべて、アメリカ一辺倒だった安倍政権は大国中国との関係も築こうとしているが、理念をもたず、アジアへの共感もない方向は変わることがないようにみえる。2020年を考えるために、ポストコロナのアジアのあり方を自分で考えるために、子安氏の『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社、2012年)との関係で現在考えていること、そしてこのあとに5年前の書評をそのまま投稿することにした。わたしにとって、外部であるアジアから、戦後を読み直すことの意義を考えた書評だった。


ポストモダンの70年代と80年代に近代主義批判が展開された。国家から自立した人民peopleの方向をもって、国家と対等である自立的私を確立するという課題があった。‬

子安宣邦氏の言葉によると、「それぞれの近代」を方法としてもたなければ、「世界史的な近代」に埋没してしまうこと、埋没してしまっては、近代を批判的に相対化できないし、文学を読むことも難しい。‬

‪この課題からみると、溝口の「公と私」は官僚資本主義の成立と共にある構造主義的思考で、所有権の特殊日本的曖昧に対抗する明確なイメージ。思考にもとづく思考不可能なもの(「天下的公」)を追い遣る。‬

‪また、多様体の内在平面は一つの包括的原理ではあり得ない。しかしポストモダンモダニズムへ行くと、儒教文化における帝国の構造を物語る柄谷行人のように、内在平面を一つの包括的原理で理解していることがみえてしまう。‬

‪あの柄谷行人ですらカントを消去してまで『資本論』の読みへの拘りを示したが、日本知識人の『資本論』の読みへの拘りは日本だけに起きるという意味で日本ファシズムを構成する。歴史的に、日本知識人は、天皇(祀る神)に規定された視点の枠組みで国家を俯瞰してきたように、19世紀を見渡しただけの『資本論』を純粋に読んで他のものは考えないと言いながら『資本論』に書いていない21世紀の国家を呼び出す。ここから、社会主義を理念としてもつ帝国としての国家像とか言いだすの...?‬


以下は5年前の書評


「21世紀にみえてきたのは、グローバル資本主義と<帝国>と民主主義です。グローバル資本主義の分割は、<帝国>を中心に推進されています。具体的には、新自由主義新保守主義アメリカ<帝国>、(EUから) 第四帝国へ行くヨーロッパ<帝国>、スターリン主義=ボルシェヴィキズム=ツァーリズムに戻るロシア<帝国>、そして官僚資本主義の新儒教の中国<帝国>、であります。これに関して言うと、安倍自民党は日本をなんとかアメリカの側に位置づけようとして必死に、対抗・中国帝国としての危険な役割を引き受けているようにみえます。東アジアは、この安倍が原因をつくった、民族主義的憎悪を互酬的に交換するという危険な権力ゲームに囚われています。このゲームの内側で、民主主義の形骸化は、安倍をはじめとするこうした1%のネオリベの新貴族たちによって推し進められているではありませんか。一方、非暴力の抵抗であるオキュパイ運動からalternativeの民主主義が現れてきたことは、注目したい動きであります。民衆的自治・自由論・民衆的直接的行動論を「民主主義」の真の再生の力にしていく語る民主主義。そこで、市民の思想史は、東アジアのグローバル・デモクラシー=白紙の本になにを書くことができるのか?「帝国か民主か」が問うているのはまさに、このことなのです。」


現在は、アジアにおける「バベルの災厄」について考えるようになった。『朱子語類』は原初的言語(四書)も再建だったかもしれない(全く違う発想で読み直した)。古学の荻生徂徠命名制作論も原初的言語の再建か。本居宣長が「神」をカミと読んだことはこれらの再建を解体することだったのか?8年前は、丸山真男を読んでいたが、実際はなにも知らなかったが、色々面白くなってきた。


「緊急事態宣言」の解除のあとも一億の「目」が罰してくる世界では、法はどこにもないのに、理由も告げられずに、いつ地図にない監獄に連れていかれるのかわからないようなものだ


今回は、「検察庁法改正案に抗議します」の下に自分の意見を書く人が多いみたいね。反原発デモが二千人程度のときも自発的に自分の意見を書いたボードをもつ人が多かったのを思い出した。外国のデモではみかける長文もあらわれた。携帯電話でどうしてここにいるのかを友達に実況放送する女の子もいた



ジョイスほどアイルランド文化の他者性を知った作家はいない。だからこそ彼は自分で決めた亡命を行うことになった。リアリズムはどん詰まりだし、神話もそれほど期待できるのだろうか?『ユリシーズ』の挿話『テレマコス』という名は、ギリシャ神話と植民地都市の現代との交錯をほのめかす。リアリズムにとって神話は不可避的な他者である。奪われたものを取り返せるかという叙事詩ギリシャ神話は現代の植民都市の無意識を構成している。しかしそうであるならば、土地を求めて一つの確立した包摂的原理を求めるという点で反帝国主義帝国主義者ではないか?作家の思考は、リアリズムか神話かという対象的思考から逃れていく。アイルランド文化の決定的な他者性は、神話的リアリズム、ここにある。


ジョイスユリシーズ』の書き始めはマーテル塔から。あの形は、思考の優先順位としての形而上学的円か?リアリズムはどん詰まりだし、神話もそれほど期待できるのか?ストーリーテラーのコスモスは反ロゴスを利用して自らを再構成しなければならないときがきた。そうしてジョイスにおける神話的リアリズムが誕生していく。『ダブリンの人々』では最も従属している人々から書き出した。『ユリシーズ』では、ジョイスは、土地を求めて一つの確立した包摂的原理を求めるという点で反帝国主義帝国主義者であることを批判して、万物を絶対的平等とみなす視点のもとに行く。ジョイスほどアイルランド文化の他者性を知った作家はいない。だからこそ彼は自分で決めた亡命を行うことになった。

翻訳した丸谷才一氏は大学時代の悪友だったと渡辺一民氏から聞いた。退屈な講義を抜け出しては、喫茶店で丸谷氏は英文学、渡辺氏はフランス文学について熱心に語ったという。お互い話を聞いていたかはわからない?丸谷役のバック・マリガンは体育会系みたいで面白くないのだけどね、いま読み直すと、この場面は、旧制高校の寮の通過儀礼のSturm(嵐)-先輩達が不潔な部屋に来た新入生を歓迎して朝まで容赦なく議論をふっかけた-の雰囲気をもって訳しているのかな。


しかしこれはダブリンというパリから遠く離れた田舎で、アナーキスト系のボヘミアアン知識人と芸術家が集まるカフェを真似ていて、アイルランドだとナポレオン海軍にたいする砲台がカフェのかわりである。ゲール文芸復興運動の時代。バック・マリガンは時代をリードすると期待されたその知性ゆえにアイリッシュからは大変尊敬されているのだけれど、現在もね、ジョイスは彼のキャラを漫画っぽく描写している。バック・マリガンたちは若いジョイスをやっつけなければならないと危機感をもっている。『テレマコス』という名のこの章は、ギリシャ神話と植民地都市の現代とが交錯している。奪われたものを取り返せるかという叙事詩ギリシャ神話は現代の植民都市の無意識を構成している。リアリズムにとって神話は不可避的な他者である。作家の思考は、リアリズムか神話かという対象的思考から逃れていく。アイルランド文化の他者性はここにある。ジョイスは、この章では彼の視点を反映している登場人物のスティーヴンに、「アイルランドの芸術は召使いの割れた眼鏡だ」と言わせている。議論のボクシングがはじまる。暗闇のなかの銃声。場面は、その翌朝...


Bygmester Finnegan, of the Stuttering Hand, freeman’s mairer, lived in the broadest way immarginable in his rushlit toofarback for messuages before joshuan judges had given un numbers or Helviticus committed deuteronomy ( one yesterday he sternely struxt his tete in a rub for to watsch the future of his fates but ere he swiftly stook it out again, by the night of Moses, the very water was eviparated and all the guenneses had met their exodus so that ought to show you what a pentschanjeuchy chap he was!) ー Joyce FW‬


検察庁法改正に抗議します」は、投票でもないのだから、選挙集票マシーンの自民党にとっては「大したことはない」のかもしれないけれどね、「検察庁法改正に抗議します」は何でもかんでもカネがモノをいう社会にたいするネガティヴなイメージをはっきり持っている。このことだけはたしか!


野党が900万の抗議ツイートをどう活かすか


映画とテレビの時代の終わりと共に成立してきたビデオを利用した思考がこのネットの時代に実現してきているのかもしれないとおもう。国家から自立した人民peopleの方向をもって、国家と対等である自立的私を確立するという課題。反原発デモと安倍戦争法反対デモの撮影ばかりではない。オンラインで好きな本と映画を書くというような試行錯誤をしているうちに、わたしのような者でも気がつくこともでてきた。問題は、公の権力の言論的領域よりも、日本文化の他者性が殺戮されている構造や無意識の言説的領域かもしれないと。他者の問題、ここをフォーカスしなければいけない大事なときに、日本知識人の天皇への期待を過剰に語る言説に絡みとられてしまうことを警戒しているのだけれど


ネットの世の中はデモ一人の背後に百人いる。国会前にアベ辞めろで十万人は来るから900万の抗議ツイートは自民党が言う「一人で百万をつくりだす」という数字ではないだろう


外国語に翻訳できぬような母語は仕方ないねと言って、頭の中で常に正しく読んでくれる西欧人と向き合うが、私の母語を仁斎と徂徠は読むかと問わなくなった明治維新の近代の貧しさよ



‪Deshil Holles Eamus ‬ 


‪"太陽神の牛"(『ユリシーズ』)が好きだと言っていたルーマニア人がいた。トリエステで出会ったが、奥さんが妊娠中らしい。”太陽神の牛”は産婦人科病院を舞台としている。ブルームはピュアフォイを見舞い、そこで医師ディクソンに誘われて、医学生の宴会に加わる 。書き出しの言葉は、アイルランド語Deshil, 英語の地名Holles とラテン語Eamus で構成されている。呪術的雰囲気で、どうも、Let's go south to Holles Streetと言っているらしい。"南行保里為佐"と訳した丸谷才一によると、「『保里為』は地名ホリスに動詞「欲りす」の(『古事記』)万葉仮名をあてる」という。訳者が『古事記』の言語に対応していると思ったのはなぜかはとくに説明がない。わかるひとはわかる、わからないひとはわからないということ?私はわからない。‪ ‪ ”太陽神の牛”の多様な文体を書き分けた丸谷訳。まあ大変な努力だろう。歴史感覚も必要だ。英文学史平田篤胤の登場では彼の文体で書いた。現代の文学的難産と神学的救済論。文学史の最後に、起源が不明の、ダブリンの乱痴気騒ぎの英語が生まれ出る。バベルの災厄以降、言語はアイルランドにおいて見事に復活したのである。



推敲中

中国知識人と朝鮮知識人と(彼らが育てた)日本知識人の三者が一緒に書いた、国家のアイデンティティー『日本書紀』。だけれど『古事記』、『万葉集』にしたがって、"変な"中国語になっていくという。どうも、Deshil Holles Eamus のいかがわしさは、むしろ、文字を与えられた現地知識人が中心となって書いていく『古事記』において対応をみることがよいとかんがえたか?‬何にしても、このように翻訳されると、ああそうかと読めるのである。媒介として成り立つ解釈の働きを観察しよう。ジョイスは『ユリシーズ』が翻訳と解釈によって完成していくとかんがえていたようである。原文と翻訳の関係は、オリジナルとそのコピーのそれとしてと表象されるけれど、そんなに単純ではない。コピーがオリジナルに先行するように、翻訳が先行する本を書いたとしたら、その本はなんと奇妙であることか!?挿話‪"太陽神の牛"の説明文によると、「古代英語からマロリー『アーサー王の死』、デフォー、マコーレイ、ペイターなどを経て現代の話し言葉に至る英語散文体のパロデイーで書かれている」という。古典ギリシア語とラテン語という他者との関係において、近代語が自己との関係を再構成していった歴史を追うことになるわけだけれど、それだけのことだったら『ユリシーズ』の後に、『フィネガンズウエイク』は登場してこなかっただろう。逃げ腰だけれど近代に挑戦したジョイスは異常なことを本に行なっている。ヨーロッパの言語だけでなく、世界中の言葉の助けによってしか完成しない本を書いたというわけである。究極的には、出発をなすとされてきた作者も翻訳としてある。他者しか存在しない。世界の創造に語るべき中心などはない...


ルイ14世の少年時代は毒殺を恐れて犬達に囲まれるようにして寝ました。犬だからルイ14世を思い出すのでしょう。‬「首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿」(検察OB)‬


「コロナ自警団はファシズムか、自粛要請が招いた不安」。心配するな!コロナ以前に既に安倍政治から日本人の4割は政治に全く関心がないのに政府を信用しきっているファシスト


シェアさせていただきました。必要な文化支援がなく、公演ができないという困難な時ですが、わたしは活動のあり方について別の物の見方も考えてみるチャンスだとおもっていましたから、大鷲さんのお話を伺えてほんとうによかったです。ありがとうございます。やはり、観客という場は文化の他者性にかかわるという意味で大切だと思います。感染は永久に続くのではないでしょうし、ワクチンが開発されたら、また同じように経済がどんどん進むのでしょうけれど、経済ばかりが進んでもね、人間中心の世界の限界を感じていないひとはいないでしょう。しかしそのときに、文化の他者性を支える言語の体制が無くなってしまってはですね、問題ですね。ご指摘の言葉の通り、コロナを契機に、ただ怖がってばかりいるのではなく、もっと地球と関わるコスモスをトータルに考え直すロゴスのために、反コスモスを利用できるかもしれません。

ベランダは気持ち良さそうですね。うちも、屋上でテーブルと椅子を用意してコーヒー☕️を飲もうと準備しています。


無観客の舞台をネットで配信するか、これからは役者はマスクせよという。仕方ないね、役者は仮面を被るか?もう舞台上から人間の叫びも泣き声も段々聞こえなくなるのか?言葉なき身振りとジェスチャーが語るそんな無声映画としての舞台は可能か?物で書かれているものー嘗て存在した、その沈黙している自然とともに即自的に一体としてあるーに対する宗教的尊敬の感情が、書記言語が輝く空間に成り立つのだろうか?


法をまもる暴政のことも私は疑っている。軍国主義国家神道が事実上復活したのは解釈改憲によってだし、多分憲法25条にも解釈改憲が起きている

こういうことも起きなければ、ジャン=ピエール・レオ(Jean-Pierre Léaud)の演じた「ルイ14世」を観ることもなかったなあ...


パラジャーノフは目を開けた夢ならば、タルコフスキーは狂気の夢のなかの覚醒。物で書かれたものをたたむパラジャーノフと比べて、映画の中に映画の他のものがないわけではない


ダブリン公演に来た平田オリザの「東京ノート」の舞台撮影を頼まれたときは、舞台における内在する水平方向に働く力を媒介なくそのまま捉えることができるかが課題だった


‪『Dubliners』は”ダブリンの人々”と訳されるようになったが、以前は”ダブリン市民”という訳で通っていた。”ダブリン市民”の訳語は、共和主義者は反帝国主義ナショナリズムを意味するのでヒューマニズムの立場からは「ジョイスが望みそうにもない」とされていた。さて前に書いたように、反帝国主義ナショナリズムが領土のように土地を取り返そうとして一つの民族を表象するかぎりにおいて、帝国主義v.s.反帝国主義は、ジョイスにとって曖昧な観念である。だから、思考は二元論的分割なしに不可能だから、二元論の対象的分割(”ダブリン市民”の曖昧な観念)から出発して、これを脱構築する非対象的思考(“ダブリンの人々”の明確なイメージ)が要請される。読者がこのことをきちんと分かっていれば、‪『Dubliners』は、”ダブリン市民”でも”ダブリンの人々”(共和主義者=反帝国主義=ナショナリズムに対して明確にネガテイヴなイメージをもっている)でもいいのであるまいか。



推敲中

それは<一>的多様体ではありえない。<一>でしかない<一>的多様体の読みほど、<多>の仁斎を台無しにする解釈はないだろう。それでは柄谷(行人)的な<帝国>の<ー>と違わない。強いて<一>を言うならば、そこから、多数の穴が開いたような<一>の状態と考えてみる必要があるだろう。なぜ穴なのか。人の歩み行く道の外に道はあるのかと問われるときに、「公」を介さず「天」と直に向き合う「私」にとって目の前の他者との関係だけが、破れ傘的に、多孔性の「生生一元的世界」なのである。


宋代朱子学も中世神学も、天理のような理念性、すなわち、人間の生がもつ本来性を理念的に体系化したが、これに対して、天と人との間の本来性よりは運動性を見出したのが、18世紀の仁斎とカントなのである。ここで本来性とは、人の不在において成り立つ、意味するものと意味されるものとの間の近さをいうのではないか。つまり秩序の静的な同一性の意である。他方、私の理解では、運動性とは、人を介して天地の間の無限の距離に自らを委ねていく行いである。よって、運動性は事件性と言いかえることもできる。この場合注意しなければならないのは、天が排他的にただ一つあるという思想よりも、天が多数あるという思想のほうが運動性の概念にとっては大切となるということである。さて、西欧の近代思想史は、カントの後に、ヘーゲルマルクスが、カントが壊した中世的思弁をもう一度哲学的に再構成することになったことを教えている。新たな思弁体系をつくるために、ヘーゲルはそれを「精神」と名づけ、マルクスは精神を唯物論的にとらえて「労働」と名づけることになった(日本でこれに取り組んだのが西田哲学である)。つまり、そこで「人」の持つ意味がふたたび認識の側に中立的に客体化されたのである(例えば、マルクス主義唯物史観に個別的な貧困問題はなく、ただシステムのなかの抽象的、一般的な貧困問題があるといわれる。和辻哲郎の「人と人との関係によってなりたつ道」でいわれる意味も、抽象的、一般的な概念性である。和辻はマルクスの「ドイツイデオロギー」を最初に日本へ紹介した思想家である。この和辻と比べて、仁斎の「人」は目の前の他との関係をいう点でもっと具体的、直接的である)。つまり、「人」の消去から二十世紀的人間は(十九世紀の)ヘーゲルマルクスの呪縛に入っていくことになり、二十一世紀になっても脱出できずに囚われたままなのである。例えば、ヘーゲルと言おうとマルクスと言おうと、柄谷行人のいう<帝国>の理論のどの部分に視点を置くかの問題であって、氏の朱子学的ロゴス中心主義の<帝国>の思想の本質的な理解に大きな違いはない(朱子学的ロゴス中心主義とは、まさに仁斎が解体しようとしたものである!)。21世紀の<帝国>論は、ヘーゲルの客観精神としての「礼」の展開と呼べるかもしれない。このような世界史的教説は、徂徠がいう先王の道が礼楽論的な人民教化の道術、社会統治論的な外部的言説体系に構成して行かざるを得なかったこととパラレルであるところの知の停滞にしかみえない。最後に、首相靖国公式参拝、国民道徳、吉田松陰を伴奏にして安倍晋三が繰り返す「この道のほかにない」という言葉ほど、アジアへの共感を持たぬ彼の国家主義を露わにする言葉もないが、彼が間違っているのはその言葉から肝心な「人」の漢字が抜け落ちてしまっているということだ。絶望的にも、誰もこうしたものを批判していく役割を止めてしまったのか。二十世紀的人間の呪縛を破る外部は存在しないのか。「仁斎講義学」で子安氏が指したのが、「人」をいう仁斎とカントの方向だったのである。「もう何も獲得できないときにも、なにかを失うことはできる」というほどの絶望感、つまり、天に向かって絶望しきったような絶望感、にもとらわれた我々が、「天道」と仁斎が呼んだ運動性としてみなしえる台湾の太陽花運動や香港の雨傘運動に大きな希望を持つことになった理由もここにある。「人」の思想性とは、グローバル資本主義に抵抗すると同時に、東アジアの民主主義を求めるグローバルデモクラシーの市民的「人」の直接行動の思想性のことである。「帝国か民主か」、この問いこそ「仁斎学講義」の前に書かれた中国と東アジア問題を論じた子安氏の本の名となる必然性があったが、「仁斎学講義」と、昭和思想史研究会で進行している未完の講座「<大正>論を読む」とともに、氏の三つの仕事は、戦後民主主義近代主義の言説に対してだけでなく、前述した世界史的教説の一部である民衆史、日本ポストコロニアリズム天皇制構造論の諸言説に対する批判も可能にする、思想ラジカリズムを構成していくものである。この思想ラジカリズムの中心にはただ「人」の思想が存在する。あらためて、仁斎がいう「人の歩み行く道の外に道はあるのか」でいわれる「人」のもつ意味は大きいといわなければならず、ここから離れることなく、「近代」を乗り越える「人」の思想について根本から考えるべき時がきたのではないか。伊藤仁斎が「人」を発見したのは、幸徳秋水大杉栄小田実が「でもくらていあ」の市民を発見したのと同じほどのラジカルな意義をもっていた。ここから、管理された、一瞬一瞬の、システム的組織の利益のためなら、他を全部消し去る、地球規模の抽象的な、グローバル資本主義と帝国の時代、そして、それらの対極でそれらに逆らおうとするオキュパイ運動を契機に市民が蜂起し始めた動乱の時代に、「仁斎学講義」を読むことの意義は大きい。おそらく、今こそ仁斎と共に「論語」を読み直すべき時であろう。


朱子は理は只気の上に佇むという。すなわち理は論理的に先行するのである。朱子学を純粋に継承した朝鮮儒学では、一の原理による包摂として理に気がもとづくことになった。理にオリジナリティがある。日本儒学の方は、古学派は、朱子学の曖昧な観念に対して、『論語』の自己の学問を継承する顔回の死に絶望して天を仰ぎ見た孔子の明確なイメージをもっていた。朱子学の性の概念も放棄される。朱子学の正統派からは日本は朱子学を間違えて理解していたと非難される(今日において、日本はヨーロッパを間違えて理解していると言われるように。) 真相は、思考は二元論的分割なしに不可能だから、朱子における二元論の対象的分割から出発して、これを脱構築する非対象的思考が要請された。そうしてはじめて、無限は人という有限性から再構成される。つまり「学ぶ」ことが無限である。ここで中世の存在論的物の見方から、理念性の見方へ転回することになった。


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日本人は検査の結果次第では携帯電話の履歴を調べられて国の権力が家の中に入ってくるのはやめてくれなのに、デモに参加せずとも外に出たらどんな口実でも逮捕できる警察と黙認している検察を怖いと思わないのかしら... 非常に緩い非常事態宣言を望んでいることは事実だが、だからといって、「自由」を求めるからと躊躇いもなく言いきっていいものなのかどうか疑問におもう


推敲中

Noam Chomsky denied entry into Israel and West Bank.Marie Combesque,my facebook friend,says; c'est vraiment très bête de la part des autorités israéliennes. Très bête et très 

révélateur de cette mentalité type "forteresse assiégée". Vont-elles bientôt dire que Chomsky est antisémite? And they should stop treating Palestinian as prisoner.