2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

演劇感想文 ー スープ劇場『日常とゆず』(桑原睦作・演出)の舞台

演劇感想文 きょうみた東京演劇アンサンブルのスープ劇場、『日常とゆず』(桑原睦作・演出)の舞台は、いわば量子力学的パラレル世界で構成されていた。4人のママさんたちの、科学の圧倒してくる専門「知」と議論なきマス的「知」の洪水に溺れて苛立つ心は、…

2016年とはなにか?

2016年とはなにか 総体の問題に直面せざるをえない状況で、非常に複雑な現象に投げ込まれて生きている現実なのですが、しかしながら根本のところは、フランス革命とそれが呈示した普遍主義の理念に関係しないものはひとつもないと考えるようになりました。フ…

20世紀精神史から21世紀精神史へ

20世紀精神史から21世紀精神史へ 20世紀精神史は証言します。反・新植民地主義の1968年を契機に、<文化多元主義>に沿って展開した'多様性としての普遍主義'は、90年代以降はグローバル資本主義の分割である「帝国」の言説に包摂されてしまったのです。現在普…

コーラン

イスラムをジハド(jihad、大義・理想のための'聖戦')の一点に還元しない理解のためには、脱ジハド的な読みというか、コーランを学際的に研究する重要性がいわれている。'学際'とは何を意味するのか?専門的に文献学的に調べる能力がない。だがアマチュアだか…

和辻が想定した日本語をもった文化の共同的主体について

昭和十年代の全体主義の舞台に立つことになったのは、ほかでもない、和辻が想定した日本語をもった文化の共同的主体でした。この悪夢がふたたび安倍自民党の救済神学(日本会議)のもとでくりかえされることはないなどとは誰も断言できないでしょう。本当に楽…

サィード再考

「 われわれが話している言葉は僕のものである以前にあの男のものだ。家庭(ホーム)、キリスト(クライスト)、酒(エール)、主人(マスター)という言葉は、かれが口にするときと僕が口にするとき、僕はきまって不安を覚える。たいそう親しくしかも異質な彼の国語…

射影と思想間交通

ロンドンのとき読んでいたあんちょこのおかげで、ユダヤ哲学といわれるものがイスラム思想から生まれてきたかという歴史がひそかにわかったような気がしたけれど(笑)、ユダヤ哲学が何であるとかイスラム思想が何であるかはどうでもいいのです。どうせ自分に…

体癖

多分文学とか思想にかぎりませんね、一見饒舌になんでもかんでもしゃべり始めたようにみえる書くプロセスというのは、全体化されることを拒む領域から自ずから生まれてくることではないでしょうか。多様性というほどではないが、排他的な全体化を受け入れる…