2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧

子安宣邦「帝国か民主か」(2015、社会評論社)を読んで理解したことは、グローバル資本主義の時代の「帝国」の領域はどうしても包摂の靖国的な形態をとるだろうし、「民主」の運動は常に沖縄的であること、したがって多孔性の状態に意味を見いだすことになるのではないかということである

子安宣邦「帝国か民主か」(2015、社会評論社)を読んで理解したことは、グローバル資本主義の時代の「帝国」の領域はどうしても包摂の靖国的な形態をとるだろうし、「民主」の運動は常に沖縄的であること、したがって多孔性の状態に意味を見いだすことになる…

暴力について image and text by takashi honda after Hannah Arendt

image and text by takashi honda after Hannah Arendt

二つの文章ーハンナ・アーレント「革命について」(志水訳)より引用

革命の現象に、はじまりの問題がどのような意味をもつかは自明である。このようなはじまりが暴力と密接に結びついているにちがいないということは、聖書と古典が明らかにしているように、人間の歴史の伝説的なはじまりによって裏づけられているように思われ…

釈 迢空( 折口信夫)の「東京を侮辱するもの」(昭和十年四月)を読む

釈 迢空( 折口信夫)の「東京を侮辱するもの」を読む 詩を解釈するためには折口についてもっと調べる必要があると感じています。この詩にかんして感じたことを素直に書くと、わが魂が祀られる安心な場所がないと、山奥の木ー異界の入り口ーのまえで嘆いて祈っ…

思想史講座ー「江戸思想」と「昭和思想」を読むだれでも。いつからでも聴講できる思想史講座です。前期(4月〜9月)は「江戸思想」を、後期(10月〜2月)は「昭和思想」を読みます

思想史講座ー「江戸思想」と「昭和思想」を読むだれでも。いつからでも聴講できる思想史講座です。前期(4月〜9月)は「江戸思想」を、後期(10月〜2月)は「昭和思想」を読みます。 *思想史講座ー「江戸思想」と「昭和思想」を読む だれでも。いつか…

書評(本多敬)- 子安宣邦 『仁斎学講義』 (ペリカン社)

書評 1、東アジアの「論語塾」、朱子学ロゴス中心主義を脱構築的解体すること 伊藤仁斎が十年近い瞑想中心の知のあり方に限界を知ったのは三十歳半ばであったという一文を読むとき、彼が自分の書斎から縁側を横切って庭へ出ようと一歩を踏み出したときの様子…

感想文;音楽劇「消えた海賊」(広渡常敏=作、公家義徳=構成・演出)

感想文;音楽劇「消えた海賊」(広渡常敏=作、公家義徳=構成・演出) ▼2002年のイラク戦争のときに書かれた「消えた海賊」は、徴兵拒否の若者達が集まって「自由の国」のあり方について議論するという場面から始まる。「海賊」とは何か?掘田善衛の原…

ろくでなし子裁判の意味を読む

ろくでなし子裁判の意味を読む 秘語とは仲間うちだけに通用する言葉で、公言がはばかれるような言葉です。ところが、自らの秘語を公にさらす司法官僚あるいは官僚化した裁判官の中には、恥を知らずに合理的に判断しようとはしない者達がいます。公の秘語から…

書評;子安宣邦著、『「大正」を読み直す』(藤原書店)

子安宣邦著、『「大正」を読み直す』(藤原書店) 本多敬 1 なぜいま『「大正」を読み直す』ことが意味を持つのか。この問いは、「大正デモクラシー」とは何であったのかという問いと一体をなすと考えられる。子安宣邦氏は藤原書店発行の月刊誌「機」で次の…

江戸思想と昭和思想

江戸思想と昭和思想 伊藤仁斎がカントと同時代の思想家であったということの意味は何か。普遍主義の理論的前衛を批判したカントは、彼がはじめて発見した主体とその位置にある経験知というものを呼び出した。カントの前に、主体のことも経験知のことも言った…

大正は可能性の中心だった

大正は可能性の中心だった。 直接行動論という無媒介の思想を、 私はモンタージュの孤独と呼ぶが、 国家が抹消し社会主義者が忘却したので、 天皇制国家の民主化という映像が到来しなかった。 そこから大衆的国民の1930年代は市民なき孤立への道だ。 フ…

現在の政治のターゲットは、朱子学的に憲法の正しさを争い「首相は頭が悪いね」を証明することよりも、恥ずべき抑圧装置を解体すること、つまり自民党を解体することにあるのだとおもうよ

ホ~、「この国の憲法の解釈はひどい」だなんて、なーんか、清純な若い男女が初キスするまえの世の中に憤るセリフみたいにカモトトトぶってるのか、知っているくせに!?このわたしの意見に賛成してくれなくとも構わないのだけど、ただ注意だけははらってほ…

’riverrun’とは何であったのか?ジェイムス・ジョイス「フィネガンズ・ウエイク」のこの書き出しの言葉は、vivre->vivonという風に似非フランス語的に、「夢を見ましょう」(erre-revie)と読めます

’riverrun’とは何であったのか?ジェイムス・ジョイス「フィネガンズ・ウエイク」のこの書き出しの言葉は、vivre->vivonという風に似非フランス語的に、「夢を見ましょう」(erre-revie)と読めます。「河」の意をとるならば「河は走る」とも読めます。ある…

海賊ジャン・ラフィットとマルクス - 両者の間になんの共通点も見出せないその彗星と彗星の徘徊ほど、ポストモダン的世界を生き生きと喚起する映像はないでしょうね、とジジェクは物語りました

引退後のイギリスで、友人のマルクスとエンゲルスのために「共産党宣言」第一版英語訳の資金援助を行ったニュー・オリンズの海賊ジャン・ラフィット。この伝説的人物は繁華街ソーホーでマルクスと共に散歩したというが、両者の間になんの共通点も見出せない…

ヨーロッパで一体なにが貴重だったかといえば、「アイリッシュ・タイムズ」紙のような小国の新聞紙を読む時間があったということなんだが

ヨーロッパでなにが貴重だったかといえば、「アイリッシュタイムズ」紙のような小国新聞紙を読む時間があったということ。まさかこれらのマイナーな新聞の記事がここ東京でツィッターで読めるようになるとはおもわなかった。「ザ・ガ―ディアン」紙や「ル・モ…

雪舟、狩野、広重

雪舟、狩野、広重 美術的には、この三つの作品は見事にわたしのなかで繋がりあっています。▼だが残念ながら、わたしの勉強不足で、繋がりの背景にあるものが何かをきちんと言語化できていませんね。▼岡倉天心の本を読んでも(この私に理解できるようには)そ…

考えてみれば、長い歴史を誇る伊勢神宮は、そのことによって、安土桃山時代の煌びやかな「文化」からも影響を受けているのです。歴史性が強調されば強調されるほど、そこに、突然の断絶も含む、猥雑なパッチワークのジグザグ線の痕跡が残るのです(わたしはクレーの絵のようなジグザグ線を思います)

今夜の『クローズアップ現代+』わたしたちと憲法、では、日本会議についてもとりあげるようです。テレビがありませんから、明日タイムラインの皆さんのご意見を読みたいです。 さて今年三月に「伊勢神宮の意味を問うツアー」で昭和思想史研究会の参加者たち…

家永三郎「日本文化史」を読む

教科書検定問題の報道のなかに家永さんは存在していた。学生のときはその講義は常に超満員で一度も教室に入れなかった(モグリだから文句言えない)。「民衆の成長」「人民大衆の歴史的成長」の言葉が氾濫する。民衆に裏づけられない「日本文化」については…