哲学だけじゃないよ、芸術も観念論と経験論があるある

哲学だけじゃないよ、芸術にも観念論と経験論がある

 

 

なぜ、ロンドンでは顔を描いてはならないのか?それは、多文化主義マルチカルチュアリズムだったからです。感覚的に顔を描くとそれはかならずどこかの人種をあらわすことになり、不公平なヤバイ感じがありました。ロンドンにあっては、他の人種が作品をどうみるのかを常にかんがえなければなりません。そうでないと、人種差別主義者のレッテルを張られる危険があります。ある意味で、顔と肉体は禁じられた偶像でした。と、ユダヤ的、禁欲的に(笑)、おのずと幾何学的な図形とか記号をつかって抽象的に表現することになってきます。哲学史的にいえば、理念性を重んじた観念論の方向ですね。これにたいしては、経験論の方向もあります。感覚的な感覚を、したがってモノのイメージを利用して表現していった、ポストキリストのいわばローマの、あるいはヴォルテールの方向 (?)です。抽象的でないものに依拠することによって、かえってより抽象性が高まるのですね。Kusama Yayoiはこの方向で、自らの表現を切り開いたアーチストではなかったではないでしょうか。かのじょは、詩人が日常的な言葉を公理として意味の転移を行うように、芸術の言語をつくっていたのですね。L'idèalisme affirme qu'il y a des pensées et qu'il faut oublier son corps et ses passions pour mieux penser. Les empiristes affirment au contraire que la raison depend toujors de la sensation qui est prmiére. La raison est limitée par ses origines et il y aura toujours des images dans nos pensées les plus abstraires.