「もう僕らは政治には期待していませんから」を読む

「もう僕らは政治には期待していませんから」を読む

自分の力の限界を知るためにも、デモに行ったり投票に行くこともあるのでしょうが、多分そういう限界を知りたくないのでしょう。またこれをいう二十代は、この道しかない、と、この道に期待しすぎるのかも?私は、必要悪としての<選ぶ政治>には警戒しているだけですが。この道が行き詰まったときまだこの道をつづけなければならないのかとか、他の道を信じなければやっていけないという「信」をもっていないようにみえますがね。投票率は回復するでしょう。やや冷酷な言い方ですが、二十代は票にならないので政治はかれらに資源を配分していかなくなるでしょうから、それをリアルにみた十代、あるいはその次の世代が投票に行かざるをえなくなるということもあるでしょう。二十代に限らず、またこの国に限らずですが、社会主義に関わる政党があり、またそれなりに文学があった時代は、この道に沿って行くと他の道に出会えるということを深く考えたと思うのですけど、現在は社会主義の政党と文学が事実上消滅してしまったので、もうこの道しかかんがえられなくなったのではないですかね?しかし、真実らしくみえるこの道のなかに他の道を信じることがなければ人間はやっていけなくなるのだ、とか、この道の中に依拠できる他の道がなければ競争と対立のうちに動物みたいに生存条件を追及するだけになってしまうかもしれないということを思想的に呈示できるのが、社会主義の政党と文学にかわって、時代を先取りした演劇を中心とした芸術しかないだろうと希望をもちたいです。これも他の道の形ではあります。ただしこういう私に、<この道(原発推進)の中に他の道(反原発)をきちんと築いてこなかった無責任な発言。二十代にあまりに重い負担を課した>といわれれば、その批判を受け止めなければなりません。同世代のだれが、二十代の'もう政治には期待しない' を咎めることができるでしょうか?