なぜ人間性を否定するヘイトスピーチがはじまったのか?

 

なぜ人間性を否定するヘイトスピーチがはじまったのか?

今回現地で大変お世話になった台湾の学生たちに、日本の一部全国新聞や全国書店が助長するヘイトスピーチのことを告げると驚いていました。台湾では少なくとも新聞と書店が公に少数民族を差別する言説を展開することはあり得ないと。それにたいして、なぜこの国では新聞と書店によるヘイトスピーチの恥ずべき関与が公然と起きるのでしょうか?一体いつ、あのような人間性を根本から否定するヘイトスピーチははじまったのか?それは、90年代にはじまる最近のことだと思います。これについてはひとつの考えかたとして、柄谷がいう<帝国>の構造から説明してみると、安倍の「この道しかない」とばかり、<帝国>のアメリカの側に必死につきたいとする安倍自民党の日本が、米国が敵対する他者、すなわち別の<帝国>、中国を文化論的な言語で必死に罵倒しまくるという言説の構造がみえてくるのではないでしょうか。帝国の文化帝国主義の根底に経済がある以上、競争する他者を語る言説はどうしても敵対的になることが避けられません。わたしが帝国を正当化する言説に疑いをもちまた警戒しているのは、まさに、こういう理由からなのです。