台湾で学んだこと、考えたこと

台湾で学んだこと、考えたこと

グローバル資本主義が現れたとき、資本主義は同じではなくなりました。このとき、市民に起きたことかが何かはわからないが、ただこれから起きることだけははっきりとわかります。つまり、市民が分散を余儀なくされたとき、一国構造<民族と国家>が成立したとすれば、市民が集合しつつあるいま、一国構造は分散させられるのではないでしょうか。さて、柄谷行人は一国構造の問題を多様体に関する一般的考察のひとつの場合とみなしたのにたいして、子安氏は一国構造の問題を分離することによって、多様体の問題を、<一>に還元されない<多>の問題として呈示することができました。つまり、柄谷行人は東アジアの多様体のあり方を帝国的に再包摂することが問題だったところに、子安氏は東アジアの市民性の問題を出現させたのです。思想史については、それは一国構造のもとで所謂一国思想史の様相を帯びていましたが、この一国構造がぐらついている現在、思想史を再び一国構造に戻しても仕方ありません。白紙の本というべき非暴力型抵抗に委ねるしかなくなったときめた、アジア・デモクラシーの台湾・香港・沖縄の市民たちが一字一字、一行一行、自分たちの思想の自立を自発的に書きはじめたのではないでしょうか。