「労働」「生産」であれ「交換」であれ、そうしてなにもかも説明できる、あるいは、なんでもかんでもすべてを包摂できる理論とは、カール・ポッパーが見抜いたように、なにも説明することはない

I really think that there are certain things that one mustn't accept. And for me, for example, Beethoven is, to a certain extent, about that. That is to say, there is resistence. In other words, I don't think everything can be resolved. (E.W.Said)

デリダは「寛容」による他者の歓待を「条件つきの歓待」として、それは「私たちのルール、私たちの生活様式、さらには私たちの言語、私たちの文化、私たちの政治システム等々に他者が従うという条件においてのみ」提供される歓待にすぎないといっている。この条件に対する倫理的な抵抗 resistence が存在すること。これは、なんでもかんでも全部を交換から説明しつくす柄谷の構造論を批判する視点を与えるものではないだろうか。この点について説明しておくと、柄谷が行ったことといえば、なんでもかんでもすべてを説明しつくす理論の根底に、(精神主義ヘーゲル唯物論的なマルクスの)「労働」と「生産」のかわりに、「交換」を置いただけである。しかし、(「交換」に先行する)「労働」「生産」であれ、(「労働」「生産」に先行する「交換」であれ、そうしてなにもかも説明できる、あるいは、なんでもかんでもすべてを包摂できる理論とは、カール・ポッパーが見抜いたように、なにも説明することはない。A theory which explains everything explains nothing. なにもかも生活の隅々までに介入してくるバルザック的な「資本論」の知のあり方とパラレルかもしれないが、大変ショッキングなことではあるけれども、かくも「資本論」の読みにこだわってきた日本知識人たちの背後に、なんでもかんでもすべてを包摂できる理論が存在するというどうしようもなく絡みとられた全体主義的信念が存在していることをみておかなければならないのかもしれない。21世紀の知のファシズムにやっつけられないために

 

That's why Adorno makes such a thing of late Beethoven ; for him, late Beethoven is really the presagement of the alienated music of Schoenberg and, I suppose, the other contemporary masters that we're talking about - in other words, that they are meant to be composed in a different and intransigent way. - E.W. Said