漢字論

‪結局書くことは資本化されたことがなかった。資本主義は文盲であるからだいう見方もある。その意味は何だろうか?『XXウイ紀』でも何でもいいのだけれど、これから書こうとするときに、漢字のおかげで考えることができるのだから、漢字で書く意味が明らかになっていないといけないとおもう。そうでないと、漢字から与えられて返さなければいけないものを、一方的に漢字から奪ってしまうことになる。だけれど問題は、資本主義は漢字論をもつ本を読むことができないことにある。漢字論は、音楽的構成のように、グローバルな多孔性の概念を作り出す議論の系列を住処にしているからなのだろうか。ここではっきりとした結論も出せないが、僅かでもまだ書くことは抵抗であるといわれる意見を完全に無視してしまう大方の見方にどうしても違和感を感じる