ヨーロッパ中心主義の偏見からアルファベットの優位をいう言説はいまも健在だ。

ヨーロッパ中心主義の偏見からアルファベットの優位をいう言説はいまも健在だ。簡潔で効率的なアルファベットを使用する国よりも、複雑な漢字の国の方が文盲率が高いと言い切ってしまうのである。この見方に沿う形で、ただし'遅れたアジア'という言説をひっくり返すために、柄谷が「帝国の構造」のどこかで言っているが、古代エジプトであれ古代中国であれ支配者の権威が(中心と周辺の)民衆に習得困難な読むことが困難な文字(象形文字、漢字)に依ることをみとめた上で、逆に、(日本のような亜周辺の) 民衆と支配者の間では、(ひらがな、カタカナのような) 平易な文字の共有があったからこそよりヒエラルキーの差が少ない社会ができあがったという。私の読み間違えかもしれないが、そうでないとしたら、しかしこれはアジアの内部で西欧からみた一種の'民衆史'的言説ではないだろうか?つまり、仮名に、普遍的音声文字のアルファベットの役割をみとめる、ヨーロッパ中心主義の対抗的ネガを構成していないだろうか。
-> 保田與重郎 「民が歌へぬ日に、宮廷は民の歌を教へたのである」 (桃山時代の詩人達)