2019-04-26から1日間の記事一覧

MEMO

美術館の一室で貴族の肖像画の前に立ったときに覚えるような昨日今日のこの虚ろな感じときたら?一体何だろうな?此方(見ているもの)に対して全く関心をもたぬ冷たい視線を一生懸命理解しようとするから起きる拷問を受けるような疎外感である。愛していない…

‪ゴダールのコマーシャル

‪ゴダールのコマーシャル (On s'est tous déflié 1988)‬ ‪街頭を歩く女性達のリズムを意味づけるために、その映像とロココ絵画の女性の映像を交互に組み合わせた。ギリギリ理念的なものを喚起している?運動と音と言葉が必ず一緒に増える(一緒に減る)とい…

ゴダールの商業コマーシャル (Closed 1988)‬

‪ゴダールの商業コマーシャル (Closed 1988)‬ ‪発想の大転換。中国系モデルが脱いで下着姿になる映像を逆回しで見せた。服を着たのである。女性の” Amour “というナレーション。MOMAの回顧展で観た人の話によると、一緒に “Amour “と叫んでいた観客もいたと…

ゴダールの『離れ離れに』(Band à part 1964)‬

‪ゴダールの『離れ離れに』(Band à part 1964)‬ ‪国家の力は芸術作品をどれくらい所有しているかによるといわれるように、美術館は美術館以上の意味をもつこの問題提起は政治的なものである。しかし『離れ離れに』では政治が語る歴史への関心から遠ざかって…

‪ゴダールの『女は女である』(Une femme est une femme 1961)‬

‪ゴダールの『女は女である』(Une femme est une femme 1961)‬ ‪1960年は50年代の映画から来たようなどこの国の話か曖昧なコスモポリタンの暗闇が残っていただろう。昔、『アルファヴィル』のそんな世界に浸ろうと深く腰かけていたら、1メートル横で照らさ…