方法としてのグローバルデモクラシー

 

70年代に起きてくるポストモダニズムは、近代を相対化していく批評精神でありました。が、80年代で衰えていき、90年代にはメインストリームの資本主義の存続を正当化するために役立つだけの反動的言説となってしまったのですね。なにごとも永遠には同じではありえない、というギリシャ哲学の言葉を考えさせられます。というのは、同様に、ポストコロニアリズムも、70年代に出てきた批判精神としてデビューしたが、中には、2000年に入って、東アジアのグローバルデモクラシーに背を向ける反動的エスタブリッシュメントの側に仕える学問に堕落したものがでてきたからであります。(「世界史」という名で物語られる、'近代化'の空間的差異を実体化していく言説など) そうして今日、国策的ポストコロニアリズムの言説から、ポストモダンのモダニズム化という、なんとも奇妙な現象が起きてきたことに警戒することが必要になってきたとおもわれます。これらを批判的に総括するためにも、21世紀においてふたたびポスト構造主義思想を読むときが来たと思います。江戸思想の伊藤仁斎は、「天の道」と「人の道」をパラレルと捉えました。その「気一元論」には、始まりの物語も終わりの物語も無いのです。子安氏がいう三浦梅園も、宇宙のどこを切っても同じとする自然哲学

「一物あれば一天地、万物あれば万天地・・・」

を構成しました。さてこれらは、西欧近代化にアジア諸国が穴を開けていく過程で共に依拠せざるを得なくなってくる普遍主義(「天」) の必然性の歴史を説明すると思います。(宇宙のどこを切っても「天」がでてくるし、東アジアのどこにいても「天道」がなければならない。そうでなければ、人々は互いに無意味な争いに巻き込まれていき憎しみ合いはエスカレートしてくばかりです)。そういう意味で、17世紀の仁斎はカントと同時代的な思想家だとするのは言い過ぎではないでしょう。18世紀の仁斎とカントの普遍主義は、ほかならない、今日におけるグローバルデモクラシーの到来を告げる言説です。戦前の大東亜共栄圏的な「世界史」であれ、あるいは、国策のポストコロ二アリズム的民衆史または最近あらわれてきた柄谷の「帝国」であれ、これらの言説は、ここでいう普遍主義の精神と決定的に対立するものであります。