サィードとバレンボイムの対話を読む

 

資本主義のボストンか、あるいは社会主義のベルリンへ行くのか?と、このことが繰り返しいわれてきた、私が8年間すんでいた、南アイルランドというのは常に、この米国とEUという、将来二つの帝国として現れるのではないかと予測されるその原初形態の諸基底に綱渡り的に規定されつづけてきたといえます。さて「オリエンタリズム」か「文化帝国主義」の最後に、'フィールドデイ'という地域紛争の演劇の自発的介入の例をひいた、サィードが、グローバル資本主義時代の知識人に託したのは、一体何だったでしょうか?おそらく一方的に帝国の側に行かず、また、再び民族主義にも戻らないような、自立へ行く世界普遍の思想の再構成ではなかったでしょうか。この「文化帝国主義」は、四年間のイギリス滞在時代に読んだのを覚えていますが、その真価がよくわかりませんでした。が、今回台湾に行くことで、いったい何がグローバル資本主義の問題を構成しているのかこうしたことがはっきりとわかってきました。迎え入れてくれた台湾の人々と子安先生に改めて感謝いたします!

 

 

なぜ、イスラエルで敢えてワーグナーを演奏するのか?私ユダヤ人をガス室で消滅し尽くそうとした敵の芸術を、ベートヴェンとワーグナーを、私はかくも愛しているのだ、と、バレンボイムイスラエルの観客に示そうとしたといっています。つまり、現在の敵である、パレスチナ人愛することはどんなに容易いことか、を考えさせようとしたのですね。

最後のページで、サィード「オリエンタリズム」は、the field days、北アイルランド紛争地で活躍した草の根の演劇活動(その組織の運営のトップは、カトリックとプロテスタントが半々で構成されていました。)に言及しています。明らかに、バレンボイムは、この文化による平和戦略の役割を意識していました。イスラエルで行ったワーグナーの演奏は、イスラエル人とパレスチナ人の半々で構成されたオーケストラによるものでした。
ちなみに、イギリス滞在時代は、ロンドンでベートベンピアノ全曲演奏を行いました(二週間毎晩行きました。)この演奏活動と平行して、新聞・ラジオを通して、またはパネル・デイスカッションの場で、イスラエルパレスチナの和平のシナリオを共に書くことを人々に訴えていました