思想史地図

思想史地図

無矛盾というものが形式的に証明不可能という数学上の定理を知ったとき、ここから思想史の重要性を理解するのに三分はかからなかった (嘘。ほんとうは30年近くかかった。) 思想史のセリー(系列)においては、諸項の間に矛盾がない。矛盾があるようにみえても、発展として扱われる。思想史地図では、「正しい」「正しくない」が問題ではなく、寧ろ「なにが新しくいわれることになったか」という断絶について考えることになる。断絶こそは、思考の特異点とみなすべき思想史のブラックホールである、と同時にホワイトホールである。思想史の課題は、理念の再構成 (ホワイトホール)において連続性がいかに保たれることになったかを読み取ることにある。(ホワイトホールでいわれるものがなにかをよく理解していないが・笑、要は、特異点を回避する諸々の思索なのだろう。)たとえば80年代の剰余価値生産が先行するというポスト構造主義の「資本論」の読みは、それまでの剰余価値概念との解釈上の矛盾をもたらしたが、注釈学的には、つまり思想史的には寧ろこれは特異点から脱出する言説となった。この言説によっ...て、剰余価値生産が、表象(「労働価値説」に基づく価値秩序と帰属の体系の教説)としてではなく、表象を絶えず脱構築していくプロセスとしてはじめて言われる。(労働者に敵対する考え方か?しかし、'富むものが富み貧しいものたちが貧しくなることが貧困問題を解決する'というような表象こそが問題なのである。) ここで考えなければならないことは、このプロセスの思考を、人間がひとりでも飢えたら民主主義性はないとする(オキュパイ・ウオールストリートの時代の)理念性にいかに依拠させるかという問題である。字数に制限があるので尺度が荒い思想史地図ではあるけれども、要点をいっておくと、70年代・80年代の日本ポスト構造主義を方向づけた柄谷行人の「マルクスその可能性の中心」はプロセスの思考をいうものであった。ところが1990年代の「トランスクリティーク」を契機に21世紀に「世界史の構造」「帝国の構造」を書くことで、プロセスの視点を、19世紀的な表象に置き換えて停滞させてしまった。とくに「帝国の構造」では、'1%のために'とはいわないかわりに、'帝国とそれを支える組織のために'というのである。うち捨てるべき連続性であるが、柄谷のこうした仕事はジワジワとアジアの知識人の間に広がっているという。「資本論」をいかに読むかという体系性をとらえてしまうのは日本だけではないようだ。