「歴史の終焉」の後

「歴史の終焉」の後

フランシス・フクヤマによると、「大きな政府」に根本的な疑問を投げかけこれを徹底的に解体してきたはずのアメリカなのに、なぜ自分たちがイラクで大きな政府をつくれると思いこんでいるのだろうかという。ヘーゲル右派、ブルジョアの自由の擁護者と考えていたが、「歴史の終焉」という考えを修正しているともいわれた十年前に、BBCのラジオ番組のインタビューでフクヤマが何を言うのかと興味をもった。が、インタビューでは政治を語るときの重い雰囲気はなく、寧ろ機知とユーモアのなかで、フレンチ・レストランに関する意外な話で盛り上がった。現在グローバル時代は、フランス革命の普遍主義は、お金さえ払えば人種に関係なくどんな人も客として平等に!迎えてくれるフレンチ・レストランにおいてこそもっとも体現され継承されているというのだ。常の事として、あまりに説得力をもつわかりやすい話は警戒しなければならないが、普遍主義としてのフレンチ・レストランはフクヤマの考えの核となる部分をあらわしているのかもしれない。今回そのフクヤマが政治的自由なき体制のあり方に一定の共感(全面的ではないが)を示しているのを読んだ。いかに、アメリカ<帝国>のネオリベ的知識人が自己のイメージを通じて、中国<帝国>の中心にいる中国共産党主流派(左派)を読んでいるかがある程度わかる。もはや国と国の個別的関係は重要な意義をもたなくなったと繰り返し強調される。(おそらくはTPPのような)包括的な次元での多国間協議が先行する。帝国と帝国の二項関係のなかに東アジアはどこに位置づけるのかということが勝手に語られはじめた。第三項としての東アジアの可能性が再包摂されはじめた、と、このように読んだのは果たして私だけだろうか?インタビュー記事の一部を以下引用

フランシス・フクヤマ; 西欧社会と中国の一部では、中国が本当に根本的な革新が可能なのかについて論議をしています。私は、甚だしい変化をもたらすことができる中国の能力を過小評価してはならないと言う人々の範疇におそらく入るでしょう。中国では文化大革命以降、どこの誰もが想像しえなかったほどの多くの変化が起こってきましたし、また制度的変化の長い歴史を持っている国です。最近の中国の経済発展や知的水準の発展の大部分が模倣によるものであったとしても、です。中国は賢明な人が多い広大な国家です。私は、中国が政治的自由が欠如していると言う理由で、技術や制度構築の革新が起こせるような驚くべき発展は達成できないだろうという想定はもっていません。

パストリッチ;同時に、自由に関する問題は複雑です。例えば上海の特定地域では、フェイスブックやグーグルへのアクセスが可能であり、事実上、政府の干渉がありませんーーもしあなたが「国際的コミュニティ」に属しているのなら。アメリカ人居住者の多くは、このような中国の環境をより自由と感じることになるでしょう。

フクヤマ;その通りです。最近は、中国内でもかなり開放されている所が明確に存在します。グローバリゼーションは様々な形で複雑な状況を生み出しているのです。

パストリッチ; ヨーロッパはどうでしょうか。アジアの浮上は、フランスやドイツ、イタリア、そして、他のヨーロッパの大国にどのような影響を及ぼしていますか。

フクヤマ; 私は、ヨーロッパがどうしてこのように中国に対して気を使っていないのかに驚いています。私は、アメリカがアジアを重要視して、受け入れてくれたなら、と思っていた人間ですが、ヨーロッパと比べると、アメリカでは随分とアジアが重要視されてきたように思います。ヨーロッパでは未だに、アメリカからの挑戦や、アメリカのビジネスモデルに関してばかり議論をしています。また、ヨーロッパ内の中国や日本、韓国の研究も、アメリカにははるかに及びません。中国語を話せる人もアメリカほど多くいませんし、アジアの言語で本を読んだり、会話したりする人に至ってはほとんどいないのです。

パストリッチ; このインタビューではこれまで、中国について特に注目してお聞きしてきました。しかし実際には、韓国や日本も未だに重要な存在です。アメリカが中国に関する課題にだけ集中してしまうと、本来重要なそれ以外のアジア諸国家の発展状況を把握できなくなるリスクがあります。そうなると結局、中国より高度な洗練性を持つ韓国や日本が、東南アジアやアフリカで重要な役割を担うことになるでしょう。

フクヤマ;アジアは多中心的、そして、持続的に進化しています。アジア内には地政学的・文化的な側面で均一性がなく、各国それぞれはそれ自体で独立的な世界です。隣接する国家やアメリカの存在など、他の国家との貿易領域で重複する部分があったとしても、です。このような地域と足並みをそろえていかなければならないことが、アメリカの立場からは挑戦といえます。国ごとに条件は本当に異なります。もう少し長期的な観点から捉えてみると、アジアの全ての国家は、意図しない結果である、人口統計学的な落とし穴(人口減少と高齢化)に引っかかることになります。日本はそのような変化を最初に経験しました。一時、西欧メディアでも高齢化の街についての記事を目にしました。しかし、今後、このような現象は台湾、韓国、そして、シンガポールで一層、深刻になります。これらの国家は人口高齢化の危機や、多文化社会の成長に対する解決策を見出すのに奮闘しています。