アイルランドとスイスと日本

アイルランドとスイスと日本

アイルランドへいったときは、集団自衛権NATOに入らない非武装中立の国がどういう国なのかと知りたいとおもいました。またこの4年間毎年スイスを訪ねていますがこの国の平和戦略のことに関心があります。アイルランドで再発見したのは、文学者ジョイスの、反戦というよりは嫌戦の独白的語りのこと。内戦と今日の地域紛争のことを考えるときそれが作家の歴史的背景を知らせる痕跡であることに気がつきます。また戦後の(スイスとフランスの二重国籍者の立場をいう)ゴダールにおいてもジョイスの反戦・嫌戦に通じる立場が貫かれていることは、ゴダール伝記を書いたコリンマッケーヴが言う通りです。(彼はアイリッシュ系英国人のジョイス研究家です。) ヨーロッパの小さな国でみた安全保障の戦略のことを、安倍自民党集団的自衛権の側に巻き込まれていく危機日本を相対化するために敢えて再構成して考えてみたいと思います。自分に思考の欠如を痛感しますが書き留めたいと思います。独立アイルランドは最初にどんな国も核兵器をもつ権利がないとする国際条約の必要性を提唱しました (最終的に米国に修正されましたが)。開かれたダイアローグの知を重んじてきたスイスは初めて、教育から宗教の介入を排しました。さて日本の非核三原則ー「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」ーは、集団的自衛権非核三原則と両立しますか?また「普通の国」になれと言う歴史修正主義者が教育に介入しています。しかしA級戦犯を祀った靖国神社公式参拝する、歴史修正主義者が言う「普通の国」になったら、「戦う国家=祀る国家」の戦前と繋がってしまわないのですか?「普通の国」は、戦前の国家祭祀のあり方を禁じたうえで戦争を終わらせようとする、アジアの人々に誓った平和主義の理念を台無しにする危険が。いま、1960年日米安全保障条約の国会強行採決に抗議して都立大文学部教授を辞職した竹内好のことを考えていますが、この竹内と共に岡倉天心幸徳秋水大杉栄小田実の仕事を再検討すべきときです