17世紀の書物 (1)

17世紀の書物

童子問(どうじもん)は、江戸時代前期(17世紀)の儒学者伊藤仁斎が著した漢文体による問答形式の儒教の概説書。円熟した仁斎は過去の自己自身に向かって質問し、初学者として想定した自己自身に答えている。ここで仁斎は「論語」を読むときの思想転換が必要だと書いている。「知り難く行ひ難く高遠及ぶべからざるの説」ではなく、「平易近情」(日常の状態)のことが「論語」の中心的テーマとして書かれてあるということを強調している。「知り難く行ひ難く高遠及ぶべからざるの説は、乃(すなわ)ち異端邪説にして、知り易く平正親切なる者は、便(すなわち)是(これ)堯舜(げうしゅん)の道にして、孔子立教の本原、論語の宗旨なり」という。子安氏の解説によると、これは根底的な逆説を示している。さて、たとえば、今日自民党安倍が言う「美しい日本」などは、「知り難く行ひ難く高遠及ぶべからざる」の説だろう。他方、「人間が一人でも飢えたらその国はだめだ」は、たしかに理想としてかんがえられるけれども、「知り難く行ひ難く高遠及ぶべからざるの説」とはおもわない。それは寧ろ、経験知としての「平易近情」がただす理念といえるのではないか。そうすると、理念とともに「平易近情」を否定し尽くす美しい国の聖人如き救済神学に未来を委ねていいものだろうか?そうはおもわない。この点については、17世紀の書物は、道徳的次元から批判的思考を促すが、ただこうした近代のナショナリズムの展開のことは知らないから、自分で考えなければならない問題である。ここであらためて自分に問う。人間にとっての人間の「平易近情」の意味はなにか?やはりそれは、ほかならない、他者との関係に生きる人間のことではないか。人間の向こう側には何もないと思うこともあるが、しかたがない。それを問う人間自身も含めてなにもかも全部がゼロとなってしまうことが起きないように。