MANET ET PICASSO

MANET ET PICASSO

今日フェミニズムはこの絵を非難するだろう。また植民地の風景を利用した異国趣味に先行した、男性原理のオリエンタリズムの絵として読まれるかもしれない。だがマネの絵は当時は、権威の中心からは受け入れ難い危険な破壊力をもっていた。外部の自然を宇宙の中心において脱出していくことを告げるイメージというかーたとえその宇宙が絶対的に喪失してしまったとしても。ちなみにフーコがマネの絵を研究していたことを知ったのはずっと後のことだった。いままで観てきたなかで一番「ガーン」と衝撃を受けた絵はなにかときかれたら、おそらく、この二〇代後半に見たマネの絵ではなかったか。正面二人の位置で構成されるスクリーンに向かって無限遠点から、女性の不自然な姿をとったなにか謎の(X)が投射されているようにみえる。これは凄いんだよ。その結果「知り難く行ひ難く高遠及ぶべからず」の超越性が消えたのである。ピカソの模写がわたしの読みを正当化しているかもしれない。19世紀からのなんという挑発だろうか?善良な男女たちを当惑させてしまうスキャンダルさだけではない。思想史的に言えば、なにかこれはフランス革命後のアナーキズムの方向を思い出させる痕跡に違いないのだから。ただし、逆の方向に、この謎のXがふたたび奥にある超越性の位置に戻された反動が繰り返し起きたことも事実である。つまりフランス革命後の国家への方向のことである (第一帝政ナポレオン一世、王政復古ルイ18世ルイ・フィリップ第二帝政ナポレオン三世ロシア革命後のボルシャヴィキ、スターリニズム、官僚資本主義・・・)