関東大震災の7年後は昭和十年代のファシズムに入っていった。2011年の3・11の十年後、なにが起こるのでしょうか?だれが大川周明を再びあたらしく演じるのでしょうか?

東京演劇アンサンブル納会のとき大鷲さんと話し合ったことが、反動的に安倍自民党は明治に帰るつもりなのかという問題についてでした。むしろ帰るところは帝国主義日本の大正ではないかといったとき、そのときはきちんと根拠を示せなかったが、やはり3・11以降に起きてきた復興幻想の現在を、関東大震災のときに展開された(明治からの切断が起きる)'復興幻想'の言説と比べてみなければならないとおもったから。ヨーロッパの前衛芸術運動は、総力戦の国家が個人の隅々まで監視する体制からの解放感から生まれたことを「20世紀精神」の渡辺一民氏は指摘するとき、第一次大戦争と同じ意義をもったとする同一化から、関東大震災以降にはじめて芸術モダニズムが立ち起こってきたと考えました。だが、それだけではありませんでした。関東大震災の崩壊の中心から、復興精神的なナショナリズムの幻想に絡み取られていくことになったのです。このことは3・11以降を生きる私にとって非常なリアリティーをもつようにおもわれます。関東大震災の7年後は昭和十年代のファシズムに入っていった。2011年の3・11の十年後、なにが起こるのでしょうか?だれが大川周明を再びあたらしく演じるのでしょうか?
「精神復興は、震災このかた随所に唱へらるゝ題目である。而も予の見る処を以てすれば、其の提唱せらるゝ復興策は、多く第二義に堕して究極の一事に触れない。修身教科書にある如き教訓を、電車の中に今更らしく張出しても、恐らく無害なれども無益である。真個に精神を復興せんとすれば、常に復興せらるべき精神其者を徹底明瞭に理解し把持せねばならぬ。予は予の自証する処によつて信ずる、精神復興とは、日本精神の復興であり、而して日本精神の復興の為には、先づ日本精神の本質を、堅確に把持せねばならぬと。かくて今日の予にとりて、何者にも優りて神聖なる一事は、日本精神の長養である。又は其の外に発する処に就て云へば、日本国家の成満である。」(大川周明 日本精神研究 明治書房 昭和14年)