コーラン

イスラムジハド(jihad、大義・理想のための'聖戦')の一点に還元しない理解のためには、脱ジハド的な読みというか、コーランを学際的に研究する重要性がいわれている。'学際'とは何を意味するのか?専門的に文献学的に調べる能力がない。だがアマチュアだからこそ外部的に、他の聖典(ユダヤ教キリスト教)と比べる読みが可能かもしれない。例えば魂の消滅をどう考えているのかとか▼何が<前>で何が<後>かと考えてみると、思想に関してはどうもイスラム思想が<先>でユダヤ哲学が<後>。宗教の成立はイスラム教が<後>でユダヤ教が<先>である。7世紀イスラムは、ラバ(ユダヤ教聖職者)の教説とあり方に反発して成立したそうだ。▼反発の内容は非常に気になる所だ。と、ロンドンで本の出版講演を行ったゴールドベルグという、パウンドを尊敬したいかにもヨーロッパ・リベラルの知識人のラビの発言を思い出す。彼は凄いことを喋った。専制君主のアジア(オリエント)で誕生したユダヤ教の歴史を考えて人権を拡充する努力を放棄するな。アラブ世界の中でユダヤ人が生かさせてもらうためには、軍国主義では無理だが、ユダヤ人共同体が一番大事にしてきた教育の分野に貢献すれば必ず存続できる等々。アジアにおける現代日本の生き残り選択をズバリ云った言葉でもあるように思った私は感心したが、聴衆の半分のイスラエル系の人々が一斉に反発した。▼特に国家イスラエルの成立をアラブ人全員の承認に委ねよとする意見に質問が集まった。他には、お前が言う通りだと、生かさせてもらううちに同化してしまい、畢竟ユダヤ共同体の民族が台無しになる危険もあるぞというヘイト調の質問も飛び出た。▼近代を背景としているこの議論を、七世紀イスラムユダヤ教からの自立の背景に遡らせて適用することは絶対に無理だ。ただこの時はそこで、国家を喪失した知識人と国家を取り返す知識人と国家を超えようとする知識人の間に起きたかもしれない議論の形をどうしても想像した次第である