和辻哲郎「日本精神史研究」を読む

「平安朝は何人も知るがごとく、意力の不足の著しい時代である。・・・意志の強きことは彼らには醜悪に感じられたらしい。・・・一切の体験において、反省の不足、沈潜の不足となって現れる。彼らに進む力はなく、ただこの両端(地上生活のはかなさと地上生活の愉悦?)にひかれて、低徊するのみである。かく徹底の傾向を欠いた、衝動追迫の力なき、しかも感受性においては鋭敏な、思慕の情の強い詠嘆の心・・・」(「日本精神史研究」)。と、大正の和辻哲郎の文を読んだとき、精神主義の高い意志をもった明治の側から敢えて彼が、平安朝文学の上に大正を映し出していたように感じました(夏目漱石「明暗」の心理文学を思い出した)。▼大正の津田左右吉の反時代的な脱神話化的読みに対抗したこの和辻が、「古事記」について語るとき必然として、かれは来るべき昭和から、「古事記」を読むことにはならなかったでしょうか?「古事記」についてこう語ります。「かくして政治に権威を与えるものとしての天皇の意義に対する反省が起こり、前代にあっては反省せられざる直接の事実であった神聖な権威が今や組織された神話の形にて発生したのである。」(大正11年、飛鳥寧楽時代の政治的思想)。▼1935年に和辻は「続日本精神史」を刊行することになりました。「日本人は、利益社会的発展を止揚するところの国民的共同社会への覚醒において、自ら知らずに世界の先駆者となった」(「日本精神」)というのです。これについて加藤周一は「日本精神史研究」が大正デモクラシー20年代に書かれた事実を指摘した上で、「これは20年代の著作にみられた日本文化の積極的評価とは質の違うナショナリズムである。」とするのですが、だがそれは和辻思想の発展だったかもしれませんよ?日本帝国主義の完成であった大正が事実上、日比谷焼き討ち事件から始まり満州事変で終わった構成を考えると、大正に昭和十年代の要素を孕んでいなかったと考えることに無理がでてくるー嗚呼加藤が感受性の知識人を擁護するようには・・・