N0.1 ゴダール「リア王」(1987)を読む

N0.1 ゴダールリア王」(1987)を読む

ニ十世紀は映画の世紀といわれましたけれどね。▼あらゆる表現の可能性が尽きたといわれる1950年代から、かつての無声映画時代の古典的傑作が次第に忘れられていくようになります。▼むしろ映画は凄い量産体制で生産されていくのですが、映画の氾濫のなかで、映画が消滅していく危機感のことが常にいわれました。▼(50年代から作られた映画も含めて) 重要な映画がすごいスピードで人々の記憶から失われていくのは、21世紀に入ってからです。▼ドキュメントであれフィクションであれ、映画の役割は、投射されたスクリーンの上で、見えないものを見えるようにすることにあったといわれましたが、映画自身がそういう目に見えないものとなりつつあります。映画そのものを見えるようにしてくれるスクリーンがありません。▼名前すら思い出されないというなかで、映画というものが消滅し始めると、だんだんと、ゴダール(GODARD)があたかもかつて存在した映画を表す代名詞となってきましたーデカルトの名が哲学全体を表しているように。▼失われた世界そのものとなったこの道化は、見えないものを見えるようにしたい、というよりは、考えられないもの(思考不可能なもの)を考えることができるもの(思考可能なもの)にする、と、一層あいまいになり自己内省が深まり、モダンとポストモダンの間に揺れ動く精神の荒野を彷徨い続けることになりました。▼投射されたスクリーンは、詩によって、回復されることになるのでしょうか?▼これが、ゴダールの伝記を書く者は、このスイスの隠遁者に「リア王」の名を付与する所以なのです。(本多)


from BFI

In the popular consciousness, Jean-Luc Godard is defined by the cinematic milestones he made between 1960 and 1967. But the French new wave is only one chapter in a career spent pushing cinema to its very limits. In the decades that followed, he made collectivist political works and pioneering video experiments, before returning to esoteric, postmodernist fiction films. If the nouvelle vague films are his Songs of Innocence, then the post-68 pictures constitute his Songs of E...xperience. These films – opaque, form-defying and bracingly innovative – are self-reflexive works of cultural criticism, concerned with the power of the moving image, as well as the artistic trajectory of the director himself.
▼Godard’s unconventional King Lear adaptation, featuring Molly Ringwald, plus a short about meeting Woody Allen.
▼The contract for this project was famously drawn up with producers Menahem Golan and Yoram Globus on a tablecloth at Cannes in 1985. The resulting film, which Godard presents as a ‘study’ or ‘approach’ to the source material, features William Shakespeare Jr. the Fifth (Peter Sellars) on the trail of traces of his ancestor’s work in an age of cultural amnesia.


USA 1987
Directed by Jean-Luc Godard
With Norman Mailer, Molly Ringwald, Léos Carax, Woody Allen