仁斎とカント (2) - 21世紀に「童子問」を読むことの意味

東アジアの思想の中心に「性」のコンセプトが存在するといわれる。そしてこの「性-道-教」に対して17世紀江戸思想が人の「道」の優越性を初めていうことになった、そのことの意味はなにか?近世思想はそれが着眼する「一性」から、均く人々に生まれつきもっているとされた「四端の心」(17世紀伊藤仁斎)を見出すことになったといわれる。ここに、諸能力の差異性が人間的有限性から分離しないという近代的な考え方を読み取ることができよう。「童子問」の思想が内在的といわれる所以である。分離でははやっていけなくなるのである。ただし天の他者との一体化に突き動かされていく理念性の震えにいざなわれた天地の間の運動性も見逃してはならない。こうして人間的有限性から分離したアイデンティティの自己同一性の形而上学(朱子学)が脱構築されるが、古学派の知的ラデイカリズムは、民主主義の経験を可能にするための条件を形作るという思想史的意味をもっていた、すなわち東アジアにおける民衆の知識革命のことを理解できる。さて21世紀の現在、17世紀の知から学ぶことがあるとすれば、このことであろう。民主主義を考...えること、民主主義を生きること、このことは全部、民主主義の語りに依拠すべきことであり、この語りに、なにもかもゼロにしてしまう、民主主義それ自体も無にしてしまうことになるような、ナショナリズムと呼ばれる、アイデンティティの自己同一性を忍び込ませてはならないということである。イギリスでも日本でもあてはまることだが、ものを考える人々は、ものを考えない人々のことばかり気を使っている。ものを考える人々、つまり自分自身のことにほとんど気を使わないという現実は滑稽だ。"我らは我ら自身の道を行く、他の道はない"、"この道しかない"とか、"美しい日本を取り戻す"と言ってくる大きな人間たちにいくら気をつかっても、ものを考えないこの大きな人間は、ものを考える小さな人間であるあなたやわたしのことなどはこれっぽっちも気を使わないのだからね。民主主義を美術館にたとえてみよう。王や貴族、彼らに同化するブルジョア肖像画の前に立つとき、こちらのことを見ることみなく見るときは見下しているないモデルに、観客はかくも関心を払う必要があるのか?民主主義という「美術館」では観客のひとりひとりが、いきなりやってくる大きな人間のイメージと表象から身を守る、その偽満をナイフのように突き刺さす批判精神をもつべきではないか。最後に、6月の「論語塾」で検討されたことは、日本の近代化の中心は中国でありインドでありまた西欧でありそれらの理念をいかに実現していくかという取り組みの中で、繰り返し「裏切られた」とする未完の近代、あるいは未完のナショナリズムについてであった。既存のものを受け入れてもそれは完全な自立的な思想としてはいつまでも完成しないという。つねに裏切られると訴えた思想家たちはしかし中国の普遍主義(朱子学)を受容するだけでなくそれを自分たちののものにした仁斎の歴史を無視してきたのである。このことの意味が考えられるべきである。私は共和主義者である。共和主義という理念を自分たちのものにするために、強力な思想が必要であり、そのためには「童子問」に帰ることの意味は大きいとわたしは考えはじめているのだけれど。。「世界史」が物語る国家などという19世紀・20世紀の時代遅れの言説ではとらえきれない、かつて一度も存在したことがない方向から、人びとは開かれた<地域>に生きる権利を要求する要求に相即して国家のあり方も変わっていかざるをえないとおもうが、このことをかんがえながら「童子問」の可能性をかんがえていけないものだろうか。

 

本多 敬さんの写真