思想史 MEMO


日本は朱子学や鬼神論の影響下にあるのにどうしてわれわれは人の生死に本質的に関わる宇宙論をもつことはなかったのかと子安氏は問う。明治維新の近代はアジアの形而上学宇宙論を消し去ってしまった。それに代わるものはなにか?それもだれもわからない。多分わからないでいるのは、国家祭祀の近代がそれに代わるものを吸収してしまったからだろうか。近代とは何か?ラディカルモダニズムにとって、音声中心主義的な永久革命が生であり、その終止符が死である。ラディカルモダニズム皇国史観を否定できた。物事は表と裏がある。問題は、その生が知識人否定のファシズムに関係するような危険である。この問題は、人の生死に本質的に関わる宇宙論をもつことがない限り、解決されないのではないか。結局後期近代のわたしは思考の欠点的な不足に直面している。「方法の江戸」と「方法のアジア」の間に、多様性と平等性の間に、近代の死からわれわれの方を見つめてくる精神が語る鬼神論が存在する、と、かんがえてみたら一体どんなことが言えるか?まあ来年の課題である


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儒学国学の側にも脱構築がある江戸思想史に差異しかない。不可避の他者で成り立つ漢字文化が重なるそこは、方法としてのアジア、共通の場所として開かれていることが要請される


「アルシーヴとは、その全体性を記述することの不可能なものであり、その現在性を回避することの不可能なものである」(フーコ)。わたしは、「アルシーヴ」とフーコが呼ぶものを理解しているだろうか。多分十分理解していない。だが鬼神論を考えると、丸山真男が想定していたような儒学国学の間の明確な境界とか、音声中心主義のゼロからの出発として表象される主体でなければ意味をもたぬ弁証法の全体性の記述は不可能だったのではないかとおもう。また「アルシーヴ」の「現在性」との関係においては、何かを言うとすれば、エクリチュールの普遍主義に対する分割できない自立的運動が徳川日本に存在していたのである




朱子学に表象される中華帝国の<一>性形成の言説。言説「孝」の普遍性を解体したのは近江の聖人と称えられた中江藤樹。ローカルな彼の異常な孝行は幕藩体制にとっても事件であった


山崎闇斎の「敬説」と「主宰的な心」の言語は日本的<内部>形成の言説である。それはアジアで起きたバベルの災厄であった朱子学の<領土化>であるが外部の思考の解体的契機を保つ


伊藤仁斎『語孟字義』を見たのは中之島図書館においてである。この儒学を再構成し脱構築した本と共に世界はリゾームになる。ネオリベグローバリズムに対する抵抗のあり方を問う


•フーコはカントの<啓蒙>の特徴である<脱出>を語る。『朱子語類』と伊藤仁斎童子問』はアジアの啓蒙主義である。有限な人は「天命を知る」。無限である学びへ外部の線を書く


•此方と彼方。分割が確立されるとその中でそれとは別の分割のあり方を考えることが難しい。しかし此方は暗闇の彼方の中に出向いていかなければ、いずれか彼方の方から此方がいる居所を探しにくるにきまっている。死に場所がなくなってきた江戸の近代において別の分割のあり方を考え始めた。これが鬼神論ではないだろうか。三宅尚斎はなにを言い出したのか?


•「徂徠<礼楽>論を構成しているのは人間についての<外部>的な言語である」(子安宣邦氏)。徂徠<礼楽>論は<制作論>である。ここから、いかに国家を発明していくか、聖人における命名制作の意味が明らかになる。また復古主義の戦略の意義も分かってくる。現在の問題は、 歴史修正主義に巻かれていてこれを巻き返すことができないのは、<内部>的な言語で語られる国家哲学ばかりだからである。<外部>的な言語を以って国家を制作する視点が必要ではあるまいか


スピノザ、哲学者における禁欲的徳をわがものにする最小化に言説を対象とする欲望の最大化が成り立つ。中井履軒、「その身分何者でもなし」。借り部屋「天楽楼」は宇宙の中心である



第8章 万葉的世界の表象

ー文化的同一性形成の言説ー


賀茂真淵は自らの情念を以って万葉的世界をかたった。だが近代においては万葉的世界に表象されるのは文化的同一性形成の言説である。「令和」とは閉じた文化を指示している名であるが、しかしそれは漢字である限りにおいて閉じることが不可能だったのだ


真淵は「古言」を学ぶ為に『万葉集』を読んだことと宣長が『古事記』を読む為に「古言」を学んだことは、旅する為に本をもっていくのと本を読む為に旅するのが違うように違うのか


斎藤茂吉『万葉秀歌』(昭和十三年発行)は、「国民の心に刷り込まれた万葉の秀歌」(『江戸思想講義』子安宣邦氏)である。「口を漏るるは、国民の自然の声」であるという言説的評釈によって透明化される「古代日本語の優秀さ」を語る『万葉秀歌』は、古代先帝のもちえた荘厳雄大な気風に言及して「大御心」を指示していたのである。


和歌革新の言説は万葉再評価とともにある。「茂吉らが万葉の古歌を語る言葉は、同時に彼らの歌の理想を語る言葉である」(『江戸思想講義』子安氏)。言説とは何か?「革新」を語る言説は訓古注釈の言説を超える。「誠」の一字は万葉の本領であるという。「写生」「自己の真実」「自然への観入」を言うこの近代主義の言説は近世の国学者において言われていたものである。「万葉古歌の再評価とともに和歌の革新が唱えられるこのアララギ派の言説は、まぎれもなく近世の国学者真淵の万葉主義的言説の近代日本における再生であった」(子安氏)


「始め」が語られるのは常に「終わり」からである。「学び」の始めにおいてもそうである。「あがたいのうしの御さとし言」は、「師真淵の教えを語りながら、宣長のその言葉は真淵の万葉主義としてあるような万葉の学びを実は脱構築してしまっているのではないか」(『江戸思想史講義』子安宣邦氏)宣長は、真淵の万葉主義として確立した物の見方のなかでそれとは別の見方をつくる。真淵の「漢心」を廃して「古言」の正しい理解によって「古意」を明らめるという方法は、宣長においては『古事記』注釈のための方法的前提としての作業となっている。


万葉への問いのズレ。真淵は万葉は古テクストへの認識論的問い以上のものである。それは歌を詠む行為と一体になった実践的行為であった。宣長は万葉の読み方を知りたかっただけである。「「一書は二十年の学にあらでよくしらるる物にあらず」という真淵の怒りとともにいう言葉には、宣長の指摘の当否をこえた、師弟の間存在する万葉の意味の懸隔があるのである」(子安氏)。


真淵の「ひたぶる」とは万葉的な歌の世界を表象的に構成する。「ひたぶる」な心は「直きこころ」「真ごころ」でもある。人の生の直截で自然な表出として「人の声」は、「天地の声」の自然性として言説化されてくる」(子安宣邦氏)。真淵は言う。「五十(いつら)の声は天地の声にて侍れば、其内にはらまるる物おのづからの事にて侍り」(『国意』)と。「また人の自然性は、人の世の変遷とともに喪失し、したがって回復されねばならぬ本来性でもある」(子安)。「天地の声」の自然性、人の自然性を問題にする真淵にたいして、宣長は「ことわざしげき」ものとして人間世界を言語的に表象する。この差異を見逃してはいけない。「この差異はもとより彼らにおける万葉的古代への問いの差異、あるいはむしろその問いの存否であり、そしてさらには古代観の差異、すなわち<復古>としての古代か<擬古>としての古代かの差異であるだろう。究極的には彼らの国学的言説の、その言説上に構成される日本の自己像の差異でもあるだろう」(子安氏)


「真淵が語ろうとするコンテクストとは人の世の衰退をいうものであったはずである。人の世の<古>と<今>との間にある大きな差異、真実から虚偽へ、正から邪へ、そして素朴なから虚飾へといった頽廃的推移を語るものであったはずである。いってみればこの国の内部の<古> と<今>との間にある差異、離隔について語るものであったはずだ。この内部の差異を、すなわち<古> の世の真実から<今>の世の虚偽へと大きく頽廃する推移を、真淵はしかし外部からの<異質>の混入の帰結として語り出しているのである。内部的差異を、外部的差延として語り出しているのである。二重の差異化と見られた真淵の言説とは、内部的な差異(後世の虚偽)を外部的な差異(混入した差異)として排出する言説である。」(子安氏)。『万葉集』を称える近代主義は「からごころ」に表象される政治的統一を軽蔑するが、真淵の語りを見よ。「上が上ゆ下がしもまで、こころひとしく打なびきぬる」といわれる万葉的世界こそ、生活の隅々まで純一でなければならないという、政治的統一なのだけれど。「「みやこ人」も「ひな人」も等しく真心もままに歌を詠んだ万葉の世界こそ、君臣間に亀裂もない、そしてひちの心に裏表のない共同体的統一をもちえた世界であるのだ」(子安氏)。


「古歌に習って己の心に真実を回復させる古えの学びを真淵は「かしこき神皇の道」の学びだといっているのである。歌をめぐる真淵の言説はすでに文化もコンテクストを、さらには<皇国>のコンテクストをも構成している。私がここであらためて問おうとするのも、歌における真実の回復、すなわち歌の革新をいう真淵の言説におけるこのコンテクストである。」(子安氏)
「歌とは『うたふ』ことであったとは、歌が直ちに人の<生の声•心の声>
であったということである。」(子安氏)
「真淵における歌の革新の主張とは、万葉の歌に聞きとった<生の声•心の声>を今の己に回復することの主張である。そして、歌によって日本文化の同一性の言説を構成する真淵は、万葉の古歌に聞きとるこの<生の声•心の声>を古代日本の共同体(「我すめらみ国」)的心情の響きとして聞きとっていくのである」(子安氏)

赤彦の『万葉に帰れ」の講説は、真淵の万葉主義の近代における再生の言説である。「近代におけるこの万葉復古の言説は、ではどのように万葉的世界を新たに、この近代日本において表象化するのだろうか」。近代から万葉に向けられた視線が感動をもって見いだしたのが民族の心の赤裸々な表出である。歌人による<民族>の発見は、「上から下にいたるまでの共通な真摯な心情、真淵にいう『真ごころ」である。」と子安氏は指摘して、赤彦の言葉を引く。「凡ての階級のものが、この時代の現実の問題に正面から向き合って、一様に緊張した心をもって歌っている」。<民族>の歌集は<民族>の魂であると語る、万葉における<民族>発見の言説について、子安氏はこうみる。「<民族>の再生の時に、万葉は甦り、<民族の魂>の再興の要求に、万葉の歌は上天皇から下庶民にいたる赤裸な心を披露してこたえるのである。まさしく文化の同一性とは過去に発見され、未来に向って言説上に形成されるのである」。文化の同一性とは、政治的統一の要求であり、これは同一性が中心性であるという意味で、<生の声•心の声>に成り立つ音声中心主義によって可能となるのだろう。


アドルノ美学はロゴスの支配に背く美を語る。古典主義的全体性に表象される美は無くした小銭に対する憤りだ。18世紀宣長多元主義も理念性の支配に背く美学的批判と文学がある




第10章 一国的始原の語り


•一国的始原の語りにアジアの近隣諸国と共通なものがない。開かれた漢字文化は、「神」を「カミ」と読む宣長によって拒まれる。自己は他においてでなければ、「われわれ」と言えず主体の形式をとることが不可能なのに



• <朝鮮問題>という死角


日本人の自己認識にあたって<朝鮮問題>が死角をなすようにして存在すること


•『衝口発』は何を提起したか

思想史へのわれわれの視角を規定しているのはいつでも思想史のコンテクストを支配してきたグランド•セオリーの構築者、たとえば宣長であることうぃ、またしても私は思い知らせれたのである。


•「狂人の言」ヘの駁論

宣長による『衝口発』への駁論は、「無稽不証の臆説」への文献的実証という形をとった反論にもかかわらず、宣長の論理のよって立つア•プリオリな前提をたえず露呈させていく。すなわち、一国的な始源への<信>という宣長の論理の前提である。


•国家起源神話の再語り

『鉗狂人』における宣長の反駁的非難の言説は、かえって一国的な起源史や一国的な成立史という語りが、究極的には一国的な始源への<信>によって立つ危うい語りであることを顕にしていく。古代東アジアにおける、ことに日韓における言語•文化の共通性、類似性の指摘へのこの一国的な始源の<信>に立ってする反論

一国的な始源を再神話化していくことの問題


•忘却による国民の創出

「『衝口発』が宣長に与えた衝撃は『鉗狂人』という過剰防衛的な言説をもたらす。その過剰防衛的な言説そのものが一国的な始源をめぐる言説の危うさを露呈させている」

「忘却、歴史的誤謬と言ってもいいでしょう。それこそが一つの国民の創造本質的因子なのです」(エルンスト•ルナン、「国民の創出(nation)」

「何が忘却され、何が抑圧されなければならないのか。「韓」の記憶である。」




(その他


•紀記的世界に表象されるのは国家統一形成の言説である。しかし統一なのか?大国主は、自分の神殿を建てることと引き替えに葦原中国統治権天照大御神に譲ることを認めたのは、交換である。交換とはなにか?神々においてすらですら他があって自らがあるのである。われわれ自身ではやっていけない


西田幾多郎はカントにおける主観と主体の差異をアジア的文脈で説明してくれるが、彼の思索において<一>と<多>の関係に差異が無いのは貧しい。本居宣長の方がこの関係を豊かに複雑に書いている。世界的水準を以って学問知のピークに到達できた昭和十年代よりも江戸思想が優れていると思われる


「第二江戸思想史講座」について


1998年の『江戸思想史講義』は脱構築的であるゆえに中江藤樹からはじめなければならなかった。『江戸思想史講義』は明治維新の近代しかないと思い込んで「われわれわれ自身」の奥に絡み取られている思考の分割を読み直すことによって、確立した思考の分割が思考不可能としている領域からそれとは別の思考を語ろうとするものである。朱子はそのために利用されていた。ところが2020年の現在進行形の第二江戸思想講義は朱子から始まった。これはなにを意味するのか?この10年間のあいだに子安先生の本の中国語訳が次々と現れた。中国における先生の読者(彼らは言語支配者である)をおもいながら、中国の圧倒的存在感のなかで、『江戸思想史講座』をマイナー言語であるわたしはわれわれのあり方を読み直しているようにおもっている。多分、一度もだれも語ることがなかった「アジア思想史」が始まっている...




・思想について

思想は常に遅れる。方法としての思考でなければならない。差異であり、同時性であり論理的先行性であり、一体多元性である。垂直的な絶対無限かつ横断的な絶対的平等性の斜線を書く


儒学の側も国学の側にも脱構築がある。「古言」「古意」にアプローチする為に「漢心」を排するのは手段から、排するのが前提になるのは差異化なのに、近代は実体化に絡みとられる


思想史について


儒学国学の側にも脱構築がある江戸思想史に差異しかない。不可避の他者で成り立つ漢字文化が重なるそこは、方法としてのアジア、共通の場所として開かれていることが要請される


思想史は原因と結果の実証的認識に根づく。しかし例えば『朱子語類』は原因で『童子問』が結果なのか?解体=思想史は外へ出ていく同時性をみる(17世紀の世界は原因しかない)


視差とは、見る場所の違いによる、天体などの見える方向の違い。徳川日本の『江戸思想史講義』と明・清の『江戸思想史講義第二』の差異から、伊藤仁斎の見える場所の違いを考えよう


『江戸思想史講義』の徳川日本の場所からみると、他者(天を仰ぎ見る孔子)を解釈する伊藤仁斎がみえる。『朱子語類』(宋代)からアプローチする『江戸思想史講義第二』の明・清の場所からは、体系化に取り組む伊藤仁斎は論理的にみえる(体系化の無理ー>性理学を棄ててしまうー>道の言説へ)


「新天下主義」について

コスモポリタニズムーアジアに表象される<一体多元>の言説ーは成り立つのは、それを実現する国家における<一体多元>によってである。<一体多元>なき国家は民主なき帝国ではないだろうか?

「一体多元」であるとは、無限遠点によって自己にあっての差異であることが要請される。絶対無限=天=絶対的平等性においてでなければ、どうして<一体多元>が成り立つというのか


日本ナショナリズム批判の視点なきポストモダンの思想は空虚であり、ポストモダンの思想なき日本ナショナリズム批判は盲目だ。だが言論の現実はそれほど相補的になっていないらしい


一体多元の領域を制作すること


ペンローズPenrose のイラストをじっと見ているとわかってくるが、これは多が一体となっているような一体多元の領域ではないかと勝手に考える。ここからは文系の妄言、あしからず。一体多元の領域というのは、投射するか投射されるかに関わらず、自らが外にむかって開かれている。言語的契機をもっているからだろう。しかし<一>はここには現れない。<一>は内部に絡みとられるので他に投射することができないからである。<一>からはそれが<一>である限り、多が一体である一体多元の領域が生まれることは不可能である。


教条主義的な知識人は帝国主義=議会制民主主義という公式を疑わない。これは柄谷がアジア知識人に『資本論』の読み方を教える解釈に反映されていると思われる。しかし社会主義が高度な互酬Xとして復活する「一体多元」の帝国はアジアにとって不可避の共通の場所であるが、そこに、それを実現する国家に複数政党は要らないと現在マルクスは言うのかね?やはり国家においても「一体多元」が要請されるのでは?三権分立や野党の存在とか。そうでなければ、宗教の自由と近隣諸国との外交が成り立つ不可避の共通の場所を制作できないのではあるまいかとわたしは考えている



津田左右吉について

津田左右吉のラディカル・モダニズム天皇ファシズム皇国史観に抵抗できた。問題は、その音声中心主義からの漢字の知識人の永久革命的全否定、これはファシズムの言説ではないか


伊藤仁斎について

普遍的メタ言語を失った言語ゲーム的なポスト・モダンの1970年代も、朱子学の教化を解体して卑近な言語を見いだす伊藤仁斎の17世紀も、脱正当化の後の正当化の復活はなかった


おそらくフーコにおいてカントが問題となっている言説の隙間に、江戸思想史は伊藤仁斎を論じる。


「人間はその固有の形象を断片化された言語(ランガージュ)の隙間につくりあげたのである」

(フーコ、渡辺訳)


荻生徂徠について

津田左右吉のラディカル・モダニズム天皇ファシズム皇国史観に抵抗できた。問題は、その音声中心主義からの漢字の知識人の永久革命的全否定、これはファシズムの言説ではないか


本居宣長


DURAS『インディアン・ソング』は凄いのは、明白に隠されている画面が目の前にあることだね。『古事記』でも明白に隠されている言語が目の前にあるー本居宣長が起源を言っても


天照大御神が隠れ、世界が暗闇に包まれた岩戸隠れの伝説ね。神は隠れている所に神々は集まった。隠れているものは明白にそこにある。裏側に、起源となる別のものがあるわけではない


一国的始原の語りにアジアの近隣諸国と共通なものがない。開かれた漢字文化は、「神」を「カミ」と読む宣長によって拒まれる。自己は他においてでなければ、「われわれ」と言えず主体の形式をとることが不可能なのに


明治国家について

思想の二本柱は論理と解釈である。論理でも解釈でもないのが制作である。命名は制作。近代国家の制作は天下概念を自らのうちに包摂することによって儒家の論理と解釈を消滅させた


・ <不可避の共通なもの>について

マルチチュードの言説に、不可避の共通なものを内在的にとらえる視点があるとおもう。ヨーロッパ近代に絡みとられない内在的視点は溝口の「中国の衝撃」においてある。そしてここから、東アジアの多元主義に背をむける柄谷の帝国(世界資本主義の分割)の言説が、彼の『資本論」の正しい読み方をアジア知識人に教える教説とともに、展開されることになった。「アジアをめぐるわれわれの言説はすでに一国的ではない」(子安氏、講座『江戸思想講義第二』4 、中国の「新天下主義」について)

17世紀からのヨーロッパ思想史は知の考古学から読み解くと自己(岬)にあっての差異しかない。そこは外部に開かれている(窓)、中心なき共通の場所として開かれていることが要請される。例えば、多数の部屋の入り口に繋がっている廊下(映画「アルファビル」のホテルのなかみたいな..)


漢字について

漢字とは多数の部屋の入り口に繋がる廊下のようなものではないか

漢字とは排他的に自己を生み出すための異質的他者でもなければ、受容者としての自意識が負い続けねばならないトラウマとしての異質的他者でもない。それは日本語の成立と展開にとって避けることのできない他者である。漢字とは日本語にとって不可避の他者である。それは自言語がたえず外部に開かれていくことを可能にする言語的契機としての他者である。

ー「あとがき」にかえて、より。子安宣邦著「漢字論」岩波書店 2003年


他者について

形而上学の歴史は、絶対的な<自分が語るのを-聞き-たい>ということである」(デリダ『声と現象』)

わたしは形而上学にも国家祭祀にも「純粋さ」とシモーヌ・ヴェイユが語るものをみとめることができない。「汚れ」とは他者であろう。


• 言語支配者とマイナー言語

子安宣邦氏の講義「中国の「新天下主義」について−許紀霖『普遍的価値を求める』を読む」。現代中国を再構成する溝口と柄谷の言説、恐るべし。Inventing China だ


日本史は古代がない。それは中国文明なのだ。言語支配国の漢字の受容から1500年かかって他言語を自分たちのものにしたマイナー言語が現在、帝国中国を発明しようとしている


言語支配者による朱子学を通じた自己発明、マイナー言語の文の古学を通じた朱子学批判、これらは漢字文化圏の事件だった。近代の端においてマイナー言語は現代中国を発明できるか?