ジャン=リュック・ゴダールの世界 No.20

ジャン=リュック・ゴダールの世界 No.20

”言葉が崩壊し、誰から誰かへの、その存在に関わる何かを賭したた贈与ではなくなってしまえば、崩壊するのは人間的な友愛である。”

 

・70年代後半のゴダールによれば、映像批評の問題となってくのは、「映像は言葉で語られるようにはできていない」ということであった。これはどういうことを言いたいのか?映像はそれ自身で完成することはない。つまり言葉で映像は完成しないということを言いたいのだろうか?だから「映像が言葉に依拠したり、言葉からぬけ出したり、言葉を自らのなかに入りこませようとすることはあります。でも映像にそうしたことをさせるためには、写真をつかう必要があるのです。私が映画の世界のなかで孤独な感じがするのは、書くために、つまり鉛筆を手にとるために、写真を必要とするような人を一人も見つけることができなかったからです。」孤独は闇であらわされるならば、わたしの映像は自らを救うために、天にある言葉の高みにのぼろうとするが、目の前に広がる光の世界に畏怖してしまい一歩も動くことも行動もできないでいるかのようであるーハムレットの孤独。ところが90年代のゴダールは恐らく同じ孤独を語るのに全く反対の方向から言うのである。かくも人間性の根本的な危機について憂いた言葉は自らの他ー映像ーを必要としている。だがわたしの言葉は黒いヴェールのように覆いはじめたをこわがって、いつまでも映像と出会うという旅に出発できないでいるではあるまいか。ところでその闇は映像を成す形だから、90年代という時代は、70年代とは逆に、映像で言葉は完成することができなかった時代なのであるーリア王の孤独。

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C'est des mots qui parlent de mots; l'à ce qui est gênant c'est mots qui parlent d'images qui ne sont pas faites pour ça, elles peuvent s'y référer, elles peuvent sortir d'eux, elles peuvent les faire entrer...mais à ce moment-là il faut faire les photos. Moi je me sens très seul dans le cinéma car je n'ai jamais pu trouver quelqu'un qui, pour écrire, c'est-à-dire pour tenir un crayon, a besoin d'une photo. (Godard)