論語の世界 No.11

論語の世界 No.11

知識革命と思想革命、この両者は相互に重なり合うが、おたがいに異なる内容をもっていることは当然である。イギリスにおいてよく言われることであるが、保守的な国だから、フランスのようにはラジカルな政治に直に結びつく思想革命は中々起きないが、その代わり教育で革命の成果を堅実に吸収していく確実さがあるという。その堅実さは知識革命の様相をとるのだろうか?わたしははっきりとした考えをもっていない。知識革命に関しては、貝原茂樹は「古学先生の時代」のなかでつぎのように記すとき彼は17世紀東アジアで起きた啓蒙としての恐らく知識革命を説明していたようにおもわれる。「仁斎は徳川幕府朱子学復興の気運のもとで、細川侯の招きをことわって京都の一市民として終始し、朱子学を批判する古義堂の学風をうちたてた。それは意識的に幕府の支持するドグマとしての朱子学に抵抗する運動として起こされたものではないが、人間中心の立場をとり、広い意味での市民の立場からの啓蒙運動という意味をもっていたといえるだろう。」(貝塚)。だがこの中国研究者ははたして、啓蒙における多様性としての普遍主義へ踏み越えていくのだろうか?貝塚の文は気をつけて読まないとやっつけられてしまう。「中国と日本と洋をへだてて直接に交渉がないのに、同じ啓蒙主義的傾向の学問が起こりつつあったことは不思議な一致である。わたくしは仁斎を経験論者として見る立場をさらにおしすすめて、東洋における啓蒙主義思想の一つとして考えようとした。仁斎は日本儒教史における最初の独創的思想家だった。儒教は仁斎によってはじめて日本の思想となったのであるが、その独自性は経験論者としての仁斎にあると私は考えている。」(貝塚)。あくまでも、東洋における経験論者、東洋における啓蒙主義思想の一つとして整理し分類しようとしている。その「東洋」が意味するのは、ほかならない、中国である。つまり貝塚の語りとは、<多>なき<一>の言説の中からその言説に即して<一>の本質を再語りしているというような真理の語りである。真理の語りにとっては、仁斎というニセモノは真理のホンモノ性を強めるために必要とされるだけである。ここに近代主義の高慢さがある。けっして、仁斎という固有名の発見も多様性の発見も起きないのである。たしかに、比較が必要だと公平にいっている。だが比較が行われても、それはあくまでも中国の<一>を正当化するための比較だろう。彼は言う。「中国の啓蒙主義思想と運動とに比較して仁斎を祖とする日本の運動はどうであったか、これをいかにとらえるかは、これからの問題である」(貝塚)。だが貝塚は、いままさに問題を開くときにいきなりそれに終止符を与えて封じてしまうのである。比較ならば、今日のヨーロッパ中心主義者でもまだイギリスやフランスの正しさを確信するために、劣ったものを愛するようなこの種の比較をこれでもかこれでもかと展開する。たとえば日本という例外の例外性はヨーロッパの起源からの距離によってのみ測られる。くりかえし通過されていく真理の折り目。(あらかじめ先経性が「実体化」しておいた)経験的「多様性」の領域から、理念のヨーロッパの領域を指示するこちら側に繰り返し戻ってくる。シナ学の近代はこうしたヨーロッパ中心主義の近代と一体のものであることを見逃すわけにはいかない。いい加減にこのマンネリを終えるためには、思想革命という見方が検討されることは意味がある。「トータル」とは何か?それは、(アメリカのガソリン会社の名前ではなく)、人類を指示しようとする言葉である。「仁斎の思想革命とは天理に基づく道を、地上の万人の往く「人の道」に引きずり下ろす」ことにあった。(子安氏ー仁斎という問題・「最上至極宇宙第一論語」 )。問題となってくるのは、2016年の伊藤仁斎におけるトータルな思想革命とは何かと問う抵抗のあり方である