リーマン・ショックとはなにであったか?

ポーランドからの出稼ぎ労働者が増えてきた年、ある日、アラブ系移民が集まるカフェの中が騒然とした。ガラス窓から外の様子を見ると、街の証券会社の前に、静かだが、異様な、長い列ができているではないか!イラク戦争介入を契機に信頼を失っても、ブレアー政権を支えつづけていた高齢者たちが不安にかられたのである。この眼でリーマン・ショックを見ることになった。金融恐慌ではなかったが、それを防ぐためになんでもしなければならなくなった体制の始まりを意味していた。このときの財政危機を契機に、中国資本の受け入れが増大していくという記事を読んだ。サッチャーリズムの労働党政権の終わりのはじまり。スローモーションみたいに、ここから崩壊のプロセスが緩慢に進んでいく。Joseph Stiglitz(2009年)が指摘していたようにグローバル・デモクラシーの時代にこのときイギリスに求められていたのは、a new global financial architectureだった。Black–Scholes formulaのリスク管理という<安全神話>はネオリベの市場神話に役立つものでしかないという疑問の声に耳を塞いで金融工学の過度な依存を見直すことがなかったーギャンブル国家の反知性主義と揶揄されても。経済にグローバル・デモクラシーを!だが世界経済が回復してしまうとこの声が弱くなり、同じことを繰り返す回復で危機を深めていく。実際にEU脱退の決定はこの一連の続きにある。金融のイギリスを事実上終わらせるものであるという。このことよりも、バブル以前から長年生活していた移民系の友人たちが(彼らも税金で維持してきた)公的サービスから排除されている可能性がでてきたというが非常に気懸りである。

Espen Gaarder Haug and Nassim Nicholas Taleb argue that the Black–Scholes model merely recasts existing widely used models in terms of practically impossible "dynamic hedging" rather than "risk", to make them more compatible with mainstream neoclassical economic theory.
 
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