英文学史 History of litterature in English ーBritain&Ireland&...

文学史というと、 History of litterature in English ーBritain&Ireland&... それに現在話題に上るScotlandが加わるのでしょうけれど、1970年代以降はイギリスで一般的にこういう言い方になりました。このように言うと、なにか一つに包摂できないような開かれた知の枠組みを思い浮かべますね。辞書的には、又は、分かっている専門家や研究者の間では簡潔に、English(British)Litterature で十分に通じるのですが、カフェで会話するときこの言い方はなーんか不安というか、大英帝国的「一」を喚起するなにか古臭い嫌な響きがあります。(パウンドでも勉強してるの?という感じ)。どちらがいいのか何人かにきいたことがあるのですが、尋ねてみたそのひとり、ナイジェリアの英語で書くショインカの仲間で、70年代に留学してきた方にきくと、マルチ・カルチュアリズムのロンドンでは、英文学史はやはり、History of litterature in English ー ...&...&...&...ということが要請されるとのことでした。 このことをできるだけ思想的に考えてみますと、アイルランドスコットランド、そしてナイジェリアの外部から、イギリスの近代を捉えてみることにどんな意義があるのだろうかと改めて考えるとき、言語的アプローチに依るのですが、(豪族とかの反乱で古代国家の統一が簡単には行かなかったと伝える「古事記」と比べてみることができるか?)、世界の半分をもつことになるイギリスで象徴される近代化というものが原初的に困難を極めたということ、History of litterature in English ー...&...&...&...というこの指示に反映されていると思います。Englishというものはどこにも属する散種だが、いかなる場所でも発芽して完成することはない、目的をもたない「過程」のイメージが湧きます。 そのEnglishがジョイス文学というスリットからどのように展開してくることになったのか、これが私の関心であります。