溝口の映画

溝口監督が描く商人像はそれほど面白くないとおもっている、それとは正反対の商人像を描いた歴史家の網野が評価するようには。いまは、寧ろ、溝口の武士像の表現に注意しなければいけないとおもっている。「平清盛」では、何者か分からぬ者達の寺社貴族の超越性に対する拒否が描かれていた。「忠臣蔵」では、武士は‪自身を表現する文化をもつかわりに‬支配者からする制度の政治的議論をもつことになった様子が窺える。このように映画で可視化された武士像の変遷は、溝口の歴史の全体を考えた高い知的探求によって可能となったのではないかとあらためて思うことである。

広告を非表示にする