「2018年」とは何であったのか?

ヘイトスピーチの悪については語られるけれど、歴史修正主義者が押しつけるノスタルジーの悪のことは語られない。明治維新150年というノスタルジーは悪だ。2018年で最も幸せに感じるのが今日この日で、2018年が車で立ち去っていくときにバックミラーにうつる街の標識みたいにどんどん小さくなって行く‬

今年ははじめて湯島聖堂を訪ねました。ここで林羅山と藤原惺窩の学者たちのことを思いました。徳川政権という武士たちの時代は寺社・僧侶・貴族が独占していた学問を民衆に与えました。心学の石田梅岩は農民出身の町人学者(儒者)ですね。17世紀という世界史的同時代性というか、商人出身の学者たち(伊藤仁斎)からはアジアの知識革命が起きてくるのは面白いです。徳川時代は武士たちが学ぶ時代で、簡単に言えばお役人になっていくということですが、とにかく学ぶことによって、何とかアイデンティティを築こうとしました。主流は朱子学ですが、荻生徂徠などの幕臣たち(高級官僚)は古学なんですね。 このギャップが興味深いです。19世紀になって横井小楠福沢諭吉などの近世の知識人の確立をみます。

網野善彦の影響のもとで、鎌倉時代の評価が高いように思いますが、しかし徳川政権の統治権鎌倉幕府より遥かに普遍的な地域性をもっていました。議論があるでしょうが、鎌倉時代といっても、鎌倉幕府と京都の古代王権とが両立していました。権門体制にたいする応仁の乱に遡ることですが、徳川政権は天皇を京都に幽閉・隔離したのが画期的だったのです。津田左右吉によると、ほんとうの意味で象徴天皇制が成り立ったのはこの時代というのですね。その点で薩長の明治政府は失敗したと言わざる得ません。どうしてか?天皇を京都から呼び出して権力の集中が起きれば、戦争が次々と起きてくるのは必然ではないでしょうか。結局昭和10年代の全体主義も、新権門体制と呼ぶべき明治維新の制度の設計の失敗によるものでしょう。

幕末は全国から武士的知識人という名の活動家が水戸に集まってきました。近代化を推進していく下級武士たちは政治神学的に、主権国家を想像したと考えられます。ロシア情勢をはじめ世界情勢の情報を集めて学んでいたので、吉田松陰のように内部に向かう非常に質の悪いものではなかったのです。難しい時代だったことはたしかで、アジアとの平和関係のことを考えると、経験豊かな幕府に任せたほうが外交もうまくいったかもしれませんね。明治維新のノスタルジーとは別のノスタルジーではありません。そういう可能性もあったと考えてみることが大変大切で、しかしなんでもかんでも明治維新150年㊗️では、日本はものすごく下手な近代を実現したと疑う批判的思考がなくなってしまいますね。今日の安倍政権に対する批判の仕方に関わることです。講義『明治維新の近代』(子安氏)はこの問いからはじまりました。