『論語』の最後の言葉

‪「子の曰く、詩に興り、礼に立ち、楽に成る」(泰伯)は、予定調和的に完成された世界の均衡を表現しているとおもう。好きな言葉である。だけれどケインズが問題提起したように、均衡というのは不完全な状態の所で安定してしまう、常のこととして、このことが必然として起きる。このことは、今日の事態のように、何を言っても無駄、現実に圧倒されてしまった、もはやその現実世界と関わることが無意味におもわれてくるとき、「礼」という精神の客観に起きてくることではないか。「孔子の曰く、命を知らざれば、以て君子たること無きなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり」(尭曰)。この『論語』の最後の言葉を、子安氏の解説と訳された仁斎の注釈を読む。普遍的的な理念(「天命」)がなければ、「人の道」の道徳性が成り立つことがなくなってしまう。対他的に、依拠するもの(他者)がないとやっていけなくなってしまう。と、このことを考えて、新しくふたたび最初の言葉を読む。「子の曰く、学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方より来たる、亦楽しからずや...」(学而)‬ とある。