私は東浩紀の「観光客」になることを拒む理由とはなにか?

これからフランスに行く四つ理由を言うと、

第一に、退屈しに行く。

第二に、軽蔑されるために行く。

第三に、「美しい国」で愚かになる自身を嘲笑うために行く。

第四は、東浩紀の「観光客」=「互いに尊重し合う世界」という「帝国」知の文化的教説に騙されないように単純に外へ行くの

‪私は東浩紀の「観光客」になることを拒む理由とはなにか?それは‪ファシズムが広がる理由はなにかを考えることと同じなのです。国の教育レベルの問題として説明しきれません。私はこのことを考える必要があるとおもっています。政治は批判されるが、文化は批判されないということを、このことです。たとえば、「共謀罪」の政治は批判されるが、東浩紀の「観光客」の教説ー「帝国」知ーは批判されることはないでしょう。そして現在の問題とは、思想家は、批判を受ける知識人になろうとするよりは、批判されない文化人になろうとすることなのです。そしてファシズムは文化を住処とするとき一体何が起きてくるのでしょうか、それは歴史を参照すればわかることではないでしょうか。