ソクラテス

‪近世における知の自発性のことがいわれます。たしかにカントは人であるために要請された理念性を見出しました。それは、同一性の論理に依存せずに方法論を重視した外部の思考です。それに対して近代は、人間の知の自発性を読むことよりも、「物」が主宰するロゴスの声をきこうとします。そうしてヘーゲルマルクスの近代はカント哲学をあえて「モノ」を中心とした思弁的体系として再構成しようとしました。理念性がモノ(「精神」「労働」)に置き換えられます。このとき、同一性の論理で実体化していく内部の思考が中心から成り立つことになりました。問題となるのは、中心からは、外部的に考えることができないということ。周辺(端)においてでなければ外部的に考えるのが難しいのです。中心はそれを考えようとするならば、中心は周辺がいかに考えたかを必要とします。そのときは、他者を不可避とするその中心は中心でなくなり、周辺は周辺でなくなるということでしょう。アリストテレス的に物が主宰するロゴスの構造から、ソクラテスが為した議論的ロゴスへと構造がかわるということ。‪近代は常に他者を同一者に還元してしまう体制ならば、‬再び近代の中心をもつ構造に依拠することは倫理的に不可能なのですから。