『仁斎論語』

‪「アルファベット文字は、直接的にはいかなる言語も語らぬがゆえに、すべての文字(エクリチュール)のうちで最も無言である。しかし、声とは無関係でありながらそれは声にいっそう忠実であり、声をよりよく代理(表現)するのである。」(デリダ)‬


‪どうかそのように勿体ぶらないで、アルファベット文字とは何ですかズバリ教えてください、と言われてもデリダは困ってしまうだろう!?ここでは、書記言語と相補的にかんがえることがもとめられているようにおもう。考える材料は身近かにある。遥か遠くギリシャやエジプトに行かなくてもいい。漢字を考えることからはじめることができよう。ただし、漢字というのは、アルファベット文字とかなり違う感じがする。ここでは、(「書かれた文字」にそって)原初的に考えることと、(現象学的な「声」にそって)起源的に考えることの差異があり、この差異をかんがえるためには発想の大転換が必要である。だがこれは、わたしのようなものには十分な説得を以て説明ができない、とてつもなく大きな問題である。だけれど、『論語』の現代語訳とはなにかを考えることによって不十分ながら日本語についてみえてくるものが若干あるかもしれないとおもっている。前置きが長くなったが、子安氏『仁斎論語』によりながら、公治長第五(第27章)の言葉をひくと、「子曰、十室之邑、必有忠信如丘者。不如丘之好学也」とある。ここからつぎのような書き下し文が構成される。「子の曰く、十室の邑(ゆう)、必ず忠信、丘(きゅう)が如き者有り。丘の学を好むに如(し)かず。」(丘(きゅう)は孔子自身のこと)。さて、ここから遡って、「子曰、十室之邑、必有忠信如丘者。不如丘之好学也」を復元?することがいつから難しくなったのだろうか?これをずっと漢文訓読法にしたがって読んでいるだけだったら復元できたかもしれない。だが、子安氏が講義のときに触れていたことでわたしが正確に理解しているかわからないが、日本知識人は漢字の文を仮名をいれて展開し、それを繰り返し書いた。反復できなくなる反復が生じたのであるが、日本語の成り立ちについて考えさせる。ところで現代語訳になればなるほど、平仮名が占めてくる。だからといって、内容が充実するわけではないのである。思想についても同様のことがいえる。日本思想は漢字の受容から千年かかって17世紀に成熟のピークをむかえる。清沢満之のような例外を別として、20世紀の思想は、17世紀の「人」の日常の卑近から語りはじめたラジカリズムの思想を保っているだろうか?)最後に、仁斎の注解と大意と論注から構成した現代語訳は、思考の柔軟性を以て、構成されている。「孔子がこういわれた。十軒ほどの小さな村におわたしほどの忠信(まごころ)の人はいるだろう。だがわたしほど学を好む者はない。」。子安氏の評釈によると、「仁斎は孔子の学を人倫日用における道徳の学としているが、彼はなお孔子を生知の聖人とする聖人観を朱子たちとともにしている。」「この聖人観は、この孔子の言葉から、われわれ身近な孔子、学ぶことが好きな孔子を読むことを妨げている。孔子はこういっているのである。『どんな小さな村にも、わたしほどの実直者はいるだろうが、わたしほど学ぶことの好きな者はいないよ』」。これは、21世紀は、17世紀の「人」の卑近から語りはじめた画期的視点を保っているのかと問いながら、再び「世界史」の教説に陥る儒教に基づくグローバル資本主義論をただす批判の言葉としての意味をもっている、と、‪わたしが理解しているとしてもそれほど禁じられた"深読み"ではないだろう‬