退廃美術展

ベンヤミンナチスを芸術の政治化といった。だがナチスの芸術をさがしてもそれほど意味がないだろうと思う。ナチスシュールレアリズムを通じて表現を得た芸術それ自体をゴミとみなしたのではないか。退廃美術展はゴミからはゴミしか生まれないことを示したとき、現代的にその位相的意味を理解していたのではないだろう。問題は、ナチスはこの展示にどのように意味づけたかにある。政治の矮小化が極限にすすんで私しかなくなっていくナチスの領域において、巣穴的ネットワーク<芸術家>を根絶したその場所からはじめて(かれらの)公が生まれたのである‬まいか。彼らはそう考えた。‪戦争責任を問われるほどではないような、なんとなくそう促した文化人たちが周囲にいただろう。皮肉にもそれは、大衆から成る、全体主義の時代の私からはどこまでも私しか生まれないことを歴史に示してしまったのであるけれど。このヤバイ時代だから現在をその時代に投射して考えることになるのかもしれない‬