仁斎論語

‪折角新しい政党をはじめたのになあ、かくも正統性の教説に絡みとられるのをみると、一番最初に誰が正統性を言ったか、2500年前に遡って考える必要があるというものだ。『論語』の最初(学而)のいくつかの章は既に、孔子の死後の、弟子たちの誰が孔子の正統な継承者かを示すいわばポスト孔子の言説という性格をもつ。弟子とはなんだろうか?先進を読むと、顔淵こそは孔子のもっとも信頼する弟子だったが、孔子は彼の死に直面している。「顔淵死す。子曰く、噫(ああ)、天予(われ)を滅ぼせり。天予を滅ぼせり。」これについて、17世紀の仁斎は、孔子顔子の死するのをみて、「学のまさに絶えんとするを歎ずるなり」と注釈した。弟子の問題とは学の断絶にかかわる問題だとわかる。孔子は天から見放されたとする嘆きに、ほかならない、孔子にある天への信(信頼)を読み出すことができよう。「天への信において孔子は立つゆえに、その挫折は天に見放されたものの嘆きとしてあるのである」(子安宣邦『思想史家が読む論語』2010)。さてここで問題となるのは、天と孔子にどんなイメージを与えるかである。京都市井の学者仁斎が読みだそうとするのは、朱子学的に「天理」とするような、天に同一化している聖人孔子ではない。彼は、人は人としてあるためには?を問うたのである。だからといって、天から独立している孔子をみているわけでもない。天は高さをもっている。この高さとかかわることがなければ市民の知識革命は不可能だろう。そうして、天の領域と人の領域の間の往還運動を表象するイメージがおそらく大切だということに気がついた。出来た絵を‬見る。映像が観念に先行する。‬伊藤仁斎の天の思想(『語孟字義』)について考えることになった...