啓蒙主義

不思議なことは、外国に暮らした皆さんもまったく同じ経験をもっていることでしょうが、現地の人たちがわざわざ外国人の自分に道を聞いてくることですね。同じ国の人に聞くのが恥ずかしいからなのでしょう。でもわたし達は外国人に道を聞いたりはしませんよね。この非対称はなんだろうか?ひとつの仮説として、ヨーロッパには知っていなければならないことを知らないことを恥ずかしいと感じる啓蒙主義の伝統があるからではないでしょうか。17世紀の日本にも啓蒙主義があることはあったが、だけれど明治の近代によってヨーロッパ啓蒙主義に完全に置き換えられてしまった結果、まだそれを獲得できないままに、知っていなければならないことを知らないことを恥とするような感覚が身についていないのではないですかね?