だれがアジアの精神の歴史を書くのか?

アジアの精神の歴史を書くこと


1970年代から1990年代にかけて、「ヨーロッパ」は表象だった。建築物が人間の住処であるように、「映画史」が「ヨーロッパ」の住処とするポストモダンの言説があった。「映画史」はそれほど屋根もなく柱も壁もなくとも、ヨーロッパの精神史の問題がそこにあった。これは、新しく、失われた普遍主義の公理を求める身振りをもっていたのである。さてこのことから、アジアの精神史を問う問題意識も、必然として、美術史から起きてくることになった事情が理解される。「美術史」は「アジア」の住処だったと考えられた。19世紀に、アジアの中心が中国から日本に移っていくときに構成されたのが「東亜」の地域概念であった。中国の美術の傍らで、中国の美術史ではない、朝鮮と日本の美術史を包括した未知の美術史が作り出されようとしていた。これと同じ方向性をとって、岡倉天心「東洋の理想」の場合も、沈黙する映像の傍らで、イメージを思考手段とする言葉が自らを新しく語りだしていく。アジアは一つである、といわれる。中国とインドの文化が漂着していく過去の端っこにある、博物館的にあるような「東洋の理想」が「アジア」の住処であるとされた。ただアジアの精神の歴史は、帝国主義と国体的ナショナリズムに絡みとられることなくして、自らを自立的に展開することは難しかった。21世紀における世界帝国(拡大ヨーロッパ、アメリカ、ロシア、中国)の時代に、アジアの中心が再び中国へ行く時代に(トランプと習近平がエジプトのほうが紫禁城より古いかどうかのやりとりがあったらしいけど、溝口史観とかね象徴的なように)、新しく普遍主義の再構成が行なわれようとしているのだけれど、現在だれが新しく過去のイメージを編集するのか?そこで歴史を書くのはいったいだれなのかという問題がもっとも切実な問題としてでてきたのである