ウルフとジョイス

モダニズム」精神といえば、ウルフとジョイス。近代は自らを、過去の全体を投射する<内の読み>を住処にした。それが読みならば、ずっと私にとって読んだといえないままかも。何故か?書記言語はこの逆の方向から、近代の失敗を投射してくるような死に切った過去をもっている?