グローバルな視点をもった市民の思想

‪民主主義を考えているのは左翼だけではない。理念型の右翼を想定すると、彼らが民主主義を論じるときは国家からの実現を考えている。国民からの実現ではない。(大衆を包摂した国民から民主主義の実現をかんがえていたのはファシズム)。理念型左翼のほうは、敗戦後は階級を包摂した市民社会rから民主主義の実現を考えてきた。だが閉ざされている市民社会論はもういいのではないか。一国知に絡みとられない市民一人ひとりがアジアの市民とともにグローバルな視点をつくる時代がきているのだから。わたしの理解だが、グローバル資本主義は国家が中心的役割を終える後期近代に属する。この時代は民主主義は国家を考えなければ考えることができなくなるのではあるまい。問題は、明治維新の始めからグローバルな視点を以って国家を超えた道徳「天地公平の道理」を論じた思想家たちーたとえば横井小楠ーが尊王攘夷の一国主義者によって殺されてしまっていることだー大正時代に幸徳と大杉のようなグローバルな視点をもった市民の思想をもつ思想家たちが殺されてしまっているように。もはやもどる必要がないし、またそのまま形で戻ることもできやしない国家を一生懸命作り直そうとしていれば、どうしても国家が殺した横井小楠、幸徳と大杉を忘却することになる。グローバルな視点をもった市民の思想を失うその代償は何だろうか?‬