フィネガンズウエイク

ジョイスユリシーズ』について、デリダが『エクリチュールと差異』のなかで(コギトと『狂気の歴史』)、書いている。一見頗る難しいが、要するに、挿話イタケの後に挿話ペーネロペーと続く順番をかえてみても、モリーの文章を作ることは「教理問答」ほど分節化されていないだけで判断の優先としてのロゴスを保っていることがわかるよ‬。『ユリシーズ』から『フィネガンズウエイク』の入口は、挿話「イタケ」の中にある...