ルネサンス

フレンチレストランの恥をかかせることになりかねないのあの申し出を容易に断れぬが、フランス人をはじめ誰も無理みたい。食べるとはなんだろうね、ルネサンスのガルガンチュワの国を混乱させた食事は貪欲な学びの表象と関係あるらしい(Le repas du géant Gargantua)。 信と学のことは17世紀の江戸思想の文献を一緒に読んでもらってから 何とか理解できるようになったのだけれどね、改めて思うのは、ラブレーが書いたのは有限な人間の信を表している笑いである。笑いが大切だったのは、思想が民衆との結びつきを失わないためであると考えられている。‪せっかく訳してくれても、エラスムス『『痴愚神礼賛』も明治の近代の朱子みたいな文体じゃあなあ‬。日本宗教学の近代がいう崇敬の概念、笑いと対極をなす崇敬は、別の国家をもとめる民衆ユートピアの袋を指示しているかもしれないけれど、崇敬の民衆像なんて苦手だね、そんな言説を物語る袋から脱出しなくちゃ