思想史

思想(史)は哲学を位置づけるのと、言語が思想(史)を位置づけるのとは同じではない。このこと自体が思想(史)が明らかにできる課題である。ラテン語の古典が翻訳され注釈がつくられた17世紀ヨーロッパにおいて、芸術がラテン語から自立する形で文学を位置づけようとしたように、17世紀アジアの思想は京都を中心に、自然哲学に有限性の場所を与えようとした(啓蒙主義の道徳学が成立した。) 20世紀ヨーロッパは新しい普遍主義を再構成するために思想が自らを言語の端(言説)に立つように、21世紀のアジアでは、グローバル・デモクラシーの理念を求めて、「近代の超克」論や津田左右吉が、17世紀の漢文の読み方に規定された漢字書き下し文から離れずに、東京の「仁斎論語塾」で読み直された。新しく何を言うかはそれをどのように語るのかに拠っている。このことを学んだ。20世紀の(誠)実なき「日本会議」的安倍政権の偽計と21世紀の(真)実なき「世界史」的言説の転向に対抗するために、そこでアンチ・オイデプスとしてのポストモダン孔子が要請されている。2500年の隔たりに土地の名を与えるような不可能だけれど、反明治維新の批評性をもつから、脱コード化としての再領土化の場が成り立つ