ヘーゲル『精神現象学』

‪L’esprit de ce monde est l’essence spirituelle pénétrée par une autoconscience qui es (sait) immédiatement présente comme vetted ( auto conscience) étant pour soi, et sait l’essence comme une effectivité qui lui fait face. Mais l’être-là de ce monde, tout comme l’effectivité de l’autoconscience, repose sur le mouvement ...‬

‪教養の世界を生きる精神は、自己意識の浸透した精神的存在であって、自分が一個の自立的な存在であることをあるがままの姿として認め、また、確固たる現実が自分の向こうにあることも知っている。しかし、この世界のあり方と自己意識の現実は、自己意識が自分の人格を放棄し、もって自分の世界を生み出すとともに、この世界を自分の意にそぐわぬものと考え、それを自分の支配下に置こうとするような運動に支えられている。が、自分の自立性を断念することは現実を生み出すことであり、それによって意識は直接に現実を支配下に置くことができる。別の言い方をすれば、自己意識は自分を疎外するかぎりで目に見えるなにものかになるのだ。... 精神を欠いた法の普遍性は、性格上や生活上のどんな自然のあり方をも受けいれ、それを正当なものと認知する。が、ここにいう普遍性は、精神に運動を通じてうみだされた普遍性であって、だかこそ現実性をもつのである。ここで個人に価値と現実性をもたらすものこそ、「教養」である。個人の根源的な本性と本体は、自然のままのあり方を疎外していく精神である。(長谷川訳)‬