ジェイムス・ジョイス

高校教科書はジェイムス・ジョイスがアイルランド人の作家だと記すようになった。私のときはイギリス人の作家と記されていた。近代精神の決定的勝利を象徴する、「意識の流れ」というリベラリズムヒューマニズムの"普遍"が覆い隠していた、アイルランドのジョイスを『ユリシーズ』の背後にとらえる読み手が現れたことを意味する。(全共闘世代のなかに、もしくはそれ以降の人々に、アイルランドのジョイスについて語る私の話に関心をもつ者が多いのは理由があることだろうとおもっている。)『若き芸術家の肖像』はダブリンから近代の神学の意味を知的に構成している。冒頭で、いきなり、天への昇華(プロテーウス神話)と地への転落(学校と日常生活)の提示がある。この天地の間の往復、Up in the air and Down、これはなにか?この小説は、屈折した抑圧のなかで神話とリアリズムとが反転していく言葉(ナレーション)を住処とする「人」を発見している。「人」がリベラリズムヒューマニズムの"普遍"との内在的な関係から離れるとき、「天」とは、ジョイスにとって、自己の外に、自己に向き合う形で見出されてくる。ジョイスは主人公Stephen Dedalusとともに、イギリスでもなくアイルランドでもない所謂国内亡命の場所をさがしている。ジョイスにとって、アイルランドは『ユリシーズ』にすんでいる。結局ジョイスはアイルランドヨーロッパ大陸に運び出したことになった。自分で決めた亡命が意味するのはこのことであった