思想の地震

思想の地震

ポスト構造主義のラジカルリベラリズムと文化多元主義から、Badiouが再構成するようなプラトン的普遍主義の方向をもった政治的多元主義への移行が、 Occupy Wall Streetを契機に起きている。ポストモダン孔子のラジカルリベラリズムと文化多元主義もまた、アジアの市民運動の経験を契機に、朱子的普遍主義の政治的多元主義へ移行しているようにみえる。思想の地震とは、同時代的におきてくるかくのごとき、何でもかんでも、無矛盾性に巻かれても、何としても完全性に包摂されない過剰へと巻きかえして行く存在としての思想の状況としてとりあえず形容できようか。過剰とは、脱構築的な形而上学であれ脱コード化の存在哲学であれ、政治的多元主義の普遍主義という形の何らかの理論化が新しく再びもとめられている。共同体の帰属ではなく、共同体の他への依拠が問題となってきた以上、もはや国体論の構造主義の予定調和的均衡に戻ることはできないのではないか。‪(『文化と両義性』の構造主義が隠蔽していた反動的な天皇への共感と期待を繰り返すとしたらそれは時代遅れである)‬