方法としての「それぞれの近代」

‪昨日の講義(子安氏)が「それぞれの近代」を方法として提唱なさっていたのは、五月末に北京で討議するためにであるが、私は最後まで出れなかったのが残念である。「世界史的な近代」と「それぞれの近代」を考えようというものである。正確で詳しいことはブログで公開されるレジュメをご覧いただきたい。私の理解では、「世界史的な近代」がはじまるのはフランス革命からである。「それぞれの近代」とは、単純に原因と結果の関係のようなフランス革命の普遍ヨーロッパの実現のことではない。近代は、方法としてのもう一つの近代によって、批判される。それが「それぞれの近代」を構成するものである。現在日本の問題は、近代が明治のほかに始まらなかったとする「世界史的な近代」にとらわれ続けている点にある。明治維新の近代にはもう一つの近代が江戸からはじまっていたとみる見方がないのだ。例えば徳川日本では京都に幽閉された天皇は祭祀権力しかもっていなかったのに、明治のクーデターは天皇に政治権力を与えたのである(そうして昭和十年代の天皇ファシズムの戦争が起きた)。‪クーデターによる明治維新の近代からは自立的国民は成り立たなかったとみる見方がある。‬ 「それぞれの近代」は批判的視点のための方法としてある言説だが、「それぞれの近代」を実体化してしまうと、よく統御されたユートピアの単線的内部のほうに絡みとられた言説となってしまう。中国の問題はここにあるのかもしれない。討議が必要とされる点だが、「それぞれの近代」を実体化して、社会主義帝国のあり方をユートピア化してはいないか。‬明治維新の近代も社会主義の近代もユートピアに還元されていたままでは、アジアの公の意識をもって市民のあり方ー国家から自立した人民people の方向をもって、国家と対等である自立的私を確立できるかという課題ーを構成することは困難ではないだろうか。‬